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歴史の答え

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「相手の奴隷になっても構わない」
 というくらいに、自分をさらけ出すのだ。
 その瞬間。
「私はマゾではないのかしら?」
 と思うのだが、その部屋では、いつもその瞬間に、マゾになるのだった。
 しかし、マゾになった瞬間がタイムリミットなのだ。
 だから、なるみとしては、中途半端な感情が、
「プライドを傷つけられた」
 という感情にさせられ、いつもは、
「お金をもらう代わりに、男性に奉仕をする」
 ということが自分のプライドを持たせている。
 と思っていたのだ。
 男というものを、いかに、
「プライドを傷つけずに、時間内で満足させるか?」
 ということが、自分の役目だと思っていた。
 しかし、そこには、
「金銭の授受」
 というものが、かかわってくる。
 だから、余計に、自分のことをプロだと感じさせるのだろう。
 そうではないと。
「風俗嬢など、やっていられない」
 と思っていた。
 風俗嬢には、いろいろいる。
「プライドなど持たずに、ただただ、ご奉仕する」
 ということを考えている嬢。
 あるいは、
「えっちなことが好きだから、仕事をしている」
 ということで、
「趣味と実益を兼ねた」
 かのような女性もいる。
 そんな女性は、
「プロ意識などない」
 どちらかというと、
「恋人気分のイチャイチャが好きな子で、下手をすれば、わがまま気質なタイプであることを、客の前でも隠さない」
 という子であった。
 普通なら、客は、
「今度からは別の女の子に相手してもらおう」
 と思うのだろうと感じるのだが、なぜか、彼女のようなタイプには、リピーターが多い。
「どうしてなのかしら?」
 と思っていたが、
「そんな女の子に相手してもらう」
 ということが好きな男性もいるということなのであろう。
「なるほど、そういう男性も多いということなんだ」
 ということで、
「客にもいろいろいるんだ」
 ということを、いまさらながらに思い知らされた気がした。
 そんなことを考えていると、
「目の前の男性のようなタイプ、私のお客さんにはいない」
 と感じるのだった。
 まさとは、なるみが、どうして風俗嬢だということを知ったのだろうか?
 一番に感じられるのが、
「10分前の女である、りなという女も、風俗嬢なのではないか?」
 ということであった。
 だが、まさとの口ぶりではそうでもないようだ。
 となると、
「どうもこの世界は、まさとの都合よくできた世界のようだ」
 となるみは感じた。
 ということになると、
「私はこの世界ではわき役なのかしら?」
 と感じると、もう一人の女である、りなという女も、
「わき役ではないか?」
 と思うと、
「二人合わせて一人前ということなのかしら?」
 と思うと、急に、そのりなという女に思い入れを感じるようになった。
「もう一人の私」
 という感覚である。
 ドッペりゲンガーという言葉があるが、
「りなという女は、自分のドッペルゲンガーではないか?」
 と思うのだった。
 そう感じたのは、
「この世界が、まさとの創造した世界であり、主人公はあくまでも、まさとである」
 と考えると、なるみは、
「自分とりなはまったくのわき役で、しかも二人は、それ以外のエキストラといえるわき役も、兼ねているのかも知れない」
 と感じるのだった。
 この世界では、登場人物はあきらかに3人であった。
「二人合わせて一人前」
 というなるみとりな。
 そして、なんでも知っている、
「この世界の主」
 である、まさとという男。
 しかも女性二人は、お互いをまったく知らない。
「10分間という平行線」
 の間を絶えず保っていることで、絶対に遭うことはない。
 それこそ、
「ドッペルゲンガー」
 というものの基本ではないか?
 ドッペルゲンガーというのは、
「もう一人の自分」
 ということで、
「自分とそっくりな人間が、世の中に3人はいる」
 といわれる。
「そっくりな人間」
 ということではないのだ。
 あくまでも、
「もう一人の自分」
 ということで、
「同じ次元で、同じ時間に存在している自分」
 というのが、ドッペルゲンガーなのだ。
 そして、
「都市伝説」
 として。
 ドッペルゲンガーというのは、
「見てしまうと、近い将来に死んでしまう」
 と言われている。
 そして、その伝説を証明するかのように、
「過去の偉人」
 と呼ばれる人たちが、死んだということが逸話として残されているのだ。
「リンカーン」
 であったり、
「芥川龍之介」
 という人たちが、実際にドッペルゲンガーをよく見ていたということで、そのすぐあとくらいに、命を絶ってしまったということである。
 世界の人口がどれだけたくさんいて、しかも、それがm時代をまたいでいるということであれば、その分母の数の果てしなさから考えると、
「数人くらいが重なったとしても、それは無理もないことだろう」
 といえるのかも知れないが、実際に、
「ドッペルゲンガー」
 というものを考えた時、
「そんなに単純なものではない」
 といえるだろう。
 だから、ドッペルゲンガーというものが、
「どれだけ神秘的なものなのか?」
 ということであろうが、それは、
「神秘的だ」
 というほどに、それだけ、
「科学では証明できないものだ」
 といえるのではないか?
 もちろん、その解決策となるような説はたくさんある。
「精神疾患説」
 であったり、
「タイムパラドクスというものへの辻褄合わせ」
 などというものである。
 そのどれにも当てはまるような、
「一長一短の考え方だ」
 といってもいいだろう。
 それを考えると、
「りなという女性の存在も、このドッペルゲンガーの神秘性のようなもので。それだけ考えられるということもたくさんあるのではないだろうか?」
 ということであった。
 りなという女と、自分を考えあわせた時、なるみは、
「自分が中途半端な女だ」
 と感じるようになった。
 これは、
「謙虚さ」
 というものからではなく、
「この感情は、誰もが持っているものであり、しかし、自覚するまでには、何かのきっかけが必要だ」
 というような解釈を持つことで、
「初めて意識するものではないだろうか?」
 と考えるのだ。
 そこまで考えてくると、
「りなという女が何を考えているのか、気になるところだな」
 と思った。
 まさとを見ていると、自分が、りなという女を、
「まさとを通してしか見ていない」
 ということに気づく。
 しかし、これは理屈からいっても、
「まさとを通さなければ見ることができない」
 というものであり、
「自分がもっとも、いらだちを覚えているところではないか?」
 と感じるところだった、
 そこまで考えてくると、
「りなに対して、嫉妬というものを感じていたが、それが本当に嫉妬なのだろうか?」
 ということであった。
 嫉妬というよりも、
「私が一番はっきりと分からなければいけないはずの相手を、自分よりもしっかりと分かっている、このまさとという男の存在にいら立っているのかも知れない」
 ということであった。
 まさとが、
「この世界の支配者だ」
作品名:歴史の答え 作家名:森本晃次