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歴史の答え

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「史上最低のソーリ」
 だったのだ。
「こんな世の中に誰がした」
 といってもいいくらいで、そんな世の中を誰が想像したことだろう。
「すでに、亡国は始まっている」
 ということになるのだろうか?
 日本という国が、どんどん史上最低を更新していくうちに、十数年前に起こった、
「消えた年金問題」
 がいまさらのように出てきたのだ。
 政府は、こともあろうに、
「税金を使う」
 ということの無駄なことだということで、
「年金」
 という問題を挙げてきた。
「政府の赤字」
 を理由に、
「年金「
 というものを無駄だという扱いで考えているようだ。
 年金というのは、そもそも、サラリーマンであれば、
「給与天引き」
 ということで、
「厚生年金」
 として、
「積み立てている」
 というものではないか。
 それが、
「無駄とはどういうことなのか?」
 何も、厚生年金というのは、
「政府の金」
 ではない、
 政府が、定年後の国民の生活をすべて、賄ってくれるわけではないので、サラリーマンが、働ける間に、積立てておくという制度ではないか。
 それを政府は、どう考えているのか。
 年金を消したということは、
「銀行に入れておいた定期預金を、どれがどれか分からない」
 ということにしたのと同じである。
 年金を払っているのは、年金手帳があるから当たり前に分かっていることで、自分たちが積立ててきた金を、政府が、ずさんな管理をしたということで、許されることではない。
 なぜかというと、
「その仕事をしている連中の給料は、我々の税金から出ている」
 ということだからだ。
「我々の税金」
 つまりは、やつらは、公務員である。
 公務員というのは、本来であれば、その職務の重大さというのは、一般企業のサラリーマンよりも重たいわけである。
 なぜなら、一般企業のサラリーマンの及ぶ、義務と権利は、その会社にだけに当てはまる。
 しかし、公務員というのは、確かに管轄はあるだろうが、基本的には、国民全員の血税で賄われているわけで、少なくとも、公務員は、その思いをもって、職務に当たらなければならないということではないだろうか。
 それを考えると、
「国民をいかに扱うか」
 ということは、
「キチンとした職務ができて、初めていえる」
 ということであろう。
「国家というのがどうあるべきか?」
 というのを、
「政府だけではなく、国民ももっと知って、政治参加をすべきではないか?」
 と考えるのは、いけないことなのだろうか?
 そんなことを考えていると、
「生活をするということが、いかに難しい世の中なのか?」
 ということである。
 少なくとも、今の政府には、そんな力があるとは思えない。
 それどころか。
「利権にまみれるか」
「国民の意見を無視して、民主主義の根底を揺るがす政治をするか」
「日本人が苦しんでいるのに、自分が外国に名を売りたいというだけで、海外に血税をばらまくか」
 という形で、
「国家主席が、どんどんひどくなっている」
 といってもいいだろう。
 海の向こうの隣国など、
「大統領になれば、最後の末路は、ほとんど全員が、悲惨なことになっている」
 というところもある。
 任期中に、暗殺されたり、リコールを受けたり、任期が入寮しても、逮捕され、終身刑の判決を受けるが、恩赦で出てくる人もいたりするというようなことばかりが起こっている国である。
「日本なら、少なくとも、今の三人は、逮捕か暗殺があってもいいだろう」
 といえるかも知れない。
 と思っていたら、
「確か。誰か暗殺されたよな」
 ということは、近い過去にあったような気がする・
 ということである。
 当時は、大問題であったが、今ではすっかり忘れられているのではないか。
 まだ、
「一年くらいしか経っていないのに」
 である。
 一周年の時、
「ああ、もうあれから一年も経ったんだ」
 と思っている人が多いことだろう。
 それだけ、皆、
「すでに忘れてしまっている」
 ということで、そもそも、あの時に一緒に問題になり、あれだけ騒がれた、
「悪徳宗教団体」
 の話はどうなったのだ?
 毎日のように、マスゴミで言われ、大問題だといっていたではないか、
 それを思うと、
「政府というのは、しょせん、国民のことなど考えていない」
 といってもいいのだろう。
「あの宗教団体を糾弾するということは、それまで、甘い汁を吸っていた政治家たちをあぶりだすことになる」
 ということで、調査をしなければいけない連中が、甘い汁と吸っているので、どうせ、
「ほとぼりが冷めるのを待っているしかない」
 ということであったに違いない。
 連中にとって、
「それがどういうことなのか?」
 ということが分かっているのだろうか。
 保身にしか走ることを知らない彼らは、選挙の時に、その審判が下るといってもいいのだろうか。
 中には、
「もう終わりだ」
 という人もいるだろうが、大多数は、
「ほとぼりが冷めて、また国会議員として、できる」
 ということになるだろう。
 それを考えると、
「本当に、政治家も、政府も、いい加減なものだ」
 と国民はため息をつくしかないのだろうか?
 国会議員や政府のいい加減さが、以前には、
「消えた年金問題」
 という大問題を引き起こしておきながら、それが原因で、
「政権交代」
 というものを起こしたということになるのだろうが、結果として、
「すぐに復権できた」
 ということで、
「他の野党では、政治を賄えない」
 ということを証明することになり、
「野党は、今の政府与党よりも、もっと最悪」
 というレッテルが貼られたことで、
「却って、悪い方に行ってしまっている」
 ということになるのだ。
 そんなことを考えていると、
「今の世の中、何が正しいのか分からない」
 という、
「迷走国家」
 ということになるのだろう。
 ただ、これは今に始まったことではなく、ただ、今は国家元首が、ろくでもないやつで、しかも、どんどんひどくなっているという、まるで、
「蟻地獄」
 のような状態になってしまったといってもいいだろう。
 そんな政府が、
「今の政治の、凝り固まった悪いところを排除できるだけの力があるわけではない」
 といえるだろう。
「俺たちの利権さえ守られればいいんだ」
 ということで、
「保守」
 というものは、自分の保守ということになれば、それでいい。
 というような政府が、
「今の政府だ」
 ということになるのだろう。
 国家というものが、いかにいい加減なものかを考えると、
「こんな国、長生きするのも、きつい」
 といえる。
「なぜ我々国民が、政府がばらまく金を税金という形で補填してやらなければいけないんだ?」
 ということである。
「他にばらまく金があるなら、今の国家の借金をどうにかしろ」
 と、どうして誰も言わないのか?
「不思議で仕方がない」
 ということになるのである。
「タイムリープ」
 と
「タイムループ」
 について考えてみた。
「そもそも。タイムリープというのは、
「別の時代の自分に、憑依する」
作品名:歴史の答え 作家名:森本晃次