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時系列矛盾の解消

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 というのが元々なのであろうが、心理的には不可能な犯罪である。
 そもそも、同時に犯行を犯さないと、少しでも後から犯す人間は、相手が成功した時点で、自分の手を汚す必要はないからである。
 しかし、交換殺人の肝は、
「実行犯が犯行を犯している間に、動機を持った人間に、鉄壁のアリバイがないといけないわけで、次に犯行を犯す人間は、自分が、絶対に前の事件で、怪しまれることがないという証拠を持たないと犯行に及べないということだ。しかし、前に自分の死んでほしい人が死んでしまったのだから、自分がリスクを犯す必要はない。それが、交換殺人のもろ刃の剣だ」
 ということになるのだろう。
 殺人事件を計画する時、最初から不可能と思われる計画を練ることは普通はしないだろう。
 だから、計画を練ることはあっても、実際にはやらない。それでも、
「うまくいけば、完全犯罪だ」
 ということで、小説の上で、
「挑戦しよう」
 と考える作家はたくさんいるはずだ。
 だから、
「密室殺人」
 にしても、
「交換殺人」
 にしても、挑戦する人は少なくないといえるのではないだろうか。
 そのためには、
「実際の犯罪にはなく、小説ならでは」
 というトリックとして、
「叙述トリック」
 というものが用いられる。
 それは、
「作家の技量として、言葉巧みな誘導であったり、トラップのようなものだ」
 といえるものである。
 これこそ、
「事実ではない真実」
 というものを作り上げる。
「錯覚」
 というものなのかも知れない。

                 パンデミック

 坂上が、パチンコに嵌ったのは、大学3年生の頃であった。
 友達についていったのが間違いの元で、最初の頃こそ、
「音がうるさい」
 と思いながらだったので、いても、1時間以上いることはなかった。
 しかも、タバコを吸うことがなかったので、パチンコ屋というと、当時はまだ分煙もされていなかった頃だった。
 隣の席で、プカプカ吸っているバカを、睨みつけるようにすると、それに気づいたそのバカは、わざとこっちに煙を吐いてくるのだった。
「こんなバカの相手をするのは、愚の骨頂だと思った」
 ので、無視していた。
 それでも、
「この台で粘る意味がない」
 と少しでも思ったら、移動するのだった。
 だが、
「まだ分からない」
 という状態であれば、急いで移動する。
 ただ、こちらが移動したことで、向こうが、
「してやったり」
 という顔をするようであれば、たまらないので、もうそのバカの顔を見るようなことはしない。
 そうせ、今日だけのことだ。
 と思うと、いちいち、そんなバカの顔を覚えているようなことはなかった。
 だから、それ以降も何度か同じようなシチュエーションがあったが、顔を覚えることはないので、
「毎回同じ人間なのか?」
 それとも、
「毎回違うのか?」
 ということは分からないので、いちおう、
「毎回違う」
 と思い、
「バカばっかりだ」
 と思うようになった。
 しかし、その翌年くらいから、
「受動喫煙防止法」
 というものが、発令された。
 しかも、ちょうど時期を同じくして、
「世界的なパンデミック」
 というものが襲ってきたのだ。
 実際には、その年をまたいだあたりから、
「某国で、伝染病が流行っている」
 というウワサが聞こえていて、会社の方でも、
「某国に出張に行く場合は、気を付けるというような、社達というものが発せられている」
 というようなことを聞いたことがあった。
 それが、どういうものなのかまでは、ハッキリと分からなかった。
 だが、政府は、某国どころか、他の国からの、
「水際対策」
 をまったくやっていない。
 しかも、某国の首脳を、
「国賓」
 として招く。などという、とんでもないことを考えていたというではないか。
 しかし、さすがに我が国においても、患者が増えてくると、政府も慌てだしたのだった。
 まずは、
「学校閉鎖」
 ということをやっていた。
「水際対策が先だろう」
 ということなのに、そちらはまだやっていなかった。
「愚の骨頂」
 とはこのころだ。
 ということであったのに、やったことは、
「学校閉鎖」
 というものであった。
 この、
「学校閉鎖」
 というものは、本当であれば、
「当局」
 であったり、
「教育委員会」
 などに、事前に相談を行って、水面下で調整をすることで、初めて実行できるのに、まるで、血迷ったかのように、いきなりやったのだ。
 しかも、ソーリは、側近にも話さずに、いきなりやったものだから、いろいろなところでパニックになり、当局や他の政治家は、もちろんのこと、
「学校側や父兄」
 さらには、
「子供たち」
 と、大パニックに陥ったのだ、
 そんな状態でありながら、
「外国からどんどん、ウイルスが入ってくる」
 という、片手落ちであり、本末転倒な政策に、誰もが、政府に恨みを持つようになったのだ。
 初手から間違っていたので、
「誰が政府のいうことなど聞くものか?」
 ということで、いら立っていた。
 ただ、本来なら、
「伝染病に本気で立ち向かう」
 という思いがあるのだとすれば、
 その当時、いや今でもであるが、切り札としての、
「緊急事態宣言」
 というものを出すべきではないか?
 と、いうことで、社会を二分していた。
「いきなりは、時期尚早」
 という人もいれば、
「早くやらないと効果はない」
 という人であった。
 時期尚早と考える人は、
「学校閉鎖での、パニックを考えたら、時期尚早というのも分かるだろう」
 ということであった。
 それに、
「やるなといっているわけではなく、調整を行わないと、パニックを大きくするだけだ」
 ということであったが、推奨派とすれば、
「日露戦争の時のように、今やらないと、手遅れになるということだ」
 という意見である。
 そもそも、
「水際対策」
 で失敗しているのだから、その時点で、すでに、後手後手に回っているのだから、
「時期尚早などという生易しいことを言っている場合ではない」
 ということであった。
 それを考えると、
「緊急事態宣言」
 というのも致し方ない。
 ということで、宣言が実行された。
 日本における宣言というのは、諸外国と違って、
「強制力がない」
 つまり、いろいろな指示は、
「命令」
 ではなく、
「要請」
 なのだ。
「命令と要請の違い」
 というのは、
「強制力というのを持つか持たないか?」
 ということであり。
「罰則を伴うか?」
 ということであった。
 諸外国における、
「ロックダウン」
 と呼ばれる、
「都市封鎖」
 では、発せられた命令には、一応の拘束力があり、それを破ると、
「罰金」
 あるいは、
「禁固」
 ということになるのだった。
 だから、日本とは決定的な違いがある。
 特にロックダウンなどでは、
「外出禁止」
 となった場合、
「例外として定められた外出の事由」
 というものに合致していなければ、外出をした場合は、罰せられるというわけだ。
 日本の場合は、
「外出禁止令」
 ではなく、
「外出金祖要請」
作品名:時系列矛盾の解消 作家名:森本晃次