小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

時系列矛盾の解消

INDEX|7ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

「川というものがあり、それが文明の発祥だった」
 と言われるのだろう。
「黄河文明の黄河」
「インダス文明のインダス川」
「メソポタミア文明の、チグリス=ユーフラテス川」
「エジプト文明のナイル川」
 などがそうであろう。
 それらの文明は、その時代、それぞれに交流があったのかどうかまでは分からないが、少なくとも、
「川があるから、文明ができた」
 ということであれば、それは、
「川を有効活用した」
 ということが原点になっていることであろう。
 というのは、一番考えられることとして、
「川を交通機関」
 として使ったということであり、そうなると、当然浮かんで狂う発想というのは、
「船」
 ではないだろうか。
 誰がいつ開発したものかは分からない、
 しかし、それぞれ、遠く離れたところで、同じような方法を遣う人種、民族がいるということは、それだけ、
「人種が違っても、脳の構造は同じなので、結果、開発されるものというのは、同じものになるに違いない」
 ということであろうか。
 それを考えると、
「地球のほとんどが海であり、陸は限られている」
 と考えると、海への思いというのは、人間はひとしおなのだろう。
 ということを考えると、これから進出していくであろう、宇宙空間であるが、この宇宙空間というものに対する発想は、
「宇宙という大海原」
 ではないだろうか。
 そもそも、
「宇宙船」
 というではないか。
 元々、地球における生物の元祖は、
「海の中の、プランクトンのような生物だ」
 と言われているではないか。
 地球ができた時というのが、マグマが冷えて、固まったものが地球だということで、なぜ、そんなところに水があるのかということはよく分からないが、そんなことを考えていると、実際に面白いというものである。
 次第に陸地ができてきて、巨大生物が生まれてきて、数万年以上という月日が何事もなく流れているかのようだが、実際には違ったことだろう。実際の今というものが、どういうものなのか?
 ということと結び付けようとするのは、正直、
「愚の骨頂」
 といえるかも知れない。
 しかし、
「記憶や意識」
 というものを考える時、時間という感覚を無視することができない以上、人間としては、
「どこからどこまでを考えるかというのは自由であり、その結果、
「無限ということを証明するに至るのではないか?」
 と考えられるようで、そこまでいくのが、タブーだといえるかも知れないと感じると、考えることを恐怖だと思う時間もあるだろう。
 宇宙空間に、
「海」
 というものを重ね合わせると、
「宇宙空間が、大海であり、それぞれの星が、国であったり、大陸であったりということを考える」
 しかし、広い宇宙空間を見てしまうと、その無限さゆえに、地球上における、
「どんなに小さな範囲であっても、宇宙空間と結び付けて考えることができる」
 といえるのではないだろうか。
「限りなく広大な無限」
 というものが存在するということであれば、
「限りなくゼロに近い」
 というものがあっても、それは無理もないというものではないだろうか?
 と考えられるのであった。
 SFアニメなどを見ていると、結構面白い
「宇宙空間の、エピソード」
 というものがあったりする。
 子供のころに見て、面白いと感じたのは、
「宇宙空間を海として、そこに潜んでいる、
「宇宙潜水艦」
 なるものがあるという発想だった。
 これは、同じころに見た、同じくアニメであったが、それは、普通の日常の街での出来事なのだが、不思議なアイテムを遣えば、
「空気中を海と見立てて、飛び込むことができる」
 というものであった。
 だから、そのアニメでも、空気中から潜望鏡のようなものが出ているのを見た覚えがあった。
 そういう意味では、
「空気中も、空気のない宇宙空間というものも、海という発想を使えば、同じような発想を思い浮かべることができるのだ」
 ということであった。
 時間の感覚と、宇宙空間、さらには、大海原と、
「まったく違った世界」
 であるのだろうが、発想をめぐらすと、
「実は隣り合わせだった」
 ということは、往々にしてあるものだ。
「大どんでん返し」
 という言葉があるが、
「まったく遠い距離であっても、実際には、すぐ隣だった」
 などということもあるのではないだろうか?
「何か、心理学的に、そういうものもあってもいいのではないか?」
 と思うのだが、それこそが、
「錯覚」
 というものではないだろうか?
 少したとえは違うかも知れないが、
「地図の錯覚」
 というものもある。
 それは、基本的に、
「地球が丸い」
 ということからきている錯覚なのだが、
「丸い物体である、地球を表すのに、地球儀のような最初から丸いものであれば、説明がつくのだが、それを平面の地図で表そうとすると、輪切りにするような表現でなければ、距離を表すことはできない」
 ということになる。
 そんなことを考えると、
「時間と、空間の歪みを創造したところの四次元というものを考えた時、丸い球体をまずは考えないといけない」
 ということで、最初から、
「錯覚ありき」
 という発想でいくしかないということであろう。
 地図というもので、
「一般的に航海図などに使用されるものとしての、
「メルカトル図法」
 というものがある。
 こちらは、
「角度を正確に表したもので、距離や面積は性格ではない」
 と言われるものだ。
 それに対して。
「モルワイデ図法」
 というものがあり。こちらが、
「距離や面積が性格であるが、角度が曖昧なものということで、
「分布図」
 などに主に使われるということだ。
 実際に、特撮テレビで見た、
「地球防衛軍などの、ロゴであったり、作戦室にあった地図などというのは、
「モルワイデ図法」
 というものが使われていたような気がする。
「メルカトル図法」
 が、長方形であるのに対し。
「モルワイデ図法」
 というものが、楕円形であるということが特徴である。
 見た目に格好のいいのは、
「モルワイデ図法」
 ではないかと考えると、地球防衛軍が使うとすれば、それは、楕円形の方が格好いいと考えれば、
「なるほど、モルワイデ図法を使っている」
 ということも分かるというものだ。
「距離と取るか、方角をとるか?」
 一長一短であろうが、
「そこに、四次元の世界などを絡ませるには、そのどちらも絡ませる必要があるのではあいか?」
 ということになるのであろう。
 地図などの錯覚という中に。一つ気になるものを感じたことがあった。
 いわゆる、
「サッチャー錯視」
 と呼ばれるもので、これなどは、完全に、
「目の錯覚」
 といっていいものだ。
 これは、
「元英国首相」
 で、
「鉄の女」
 と、フォーランド紛争などの時に言われたことに由来するのだろうが、その人の性格を捩ったのかどうか分からないが、
「見た目」
 ということで、
「正対して見た姿と、上下逆さまに見た姿」
 とでは、まるで違う人物にしか見えないということからきているのだという。
 上下逆さから見ると。
作品名:時系列矛盾の解消 作家名:森本晃次