時系列矛盾の解消
という小説となったことであろう。
その小説の内容は、
「いざ思いだす」
ということになると、本当に曖昧だった。
それでも、要点だけは掴んでいるつもりであるので、ひょっとすろと、
「同じ作品を読んで、ここにその作品を思いだして書いてみる」
ということをした際に、ある意味、
「一番、答えが曖昧になるような作品」
といえるのではないだろうか。
その小説を思いだしていくうちに、
「片方の端から、忘れて行っているような気がする」
ともいえるのであった。
その小説というのは、
「SF小説」
といえばいいのか、
「オカルト色の強い、ホラー」
といえばいいのか、とにかく、
「時間を使ったミステリアスな小説」
といっていいだろう。
「一人の男が、自分の部屋のベッドで寝ているところから始まるのだが、そこに一人の女がやってくる。その女は男の姿を見て、落胆するのだが、それは、その男が、女を抱いた後だということが分かったからだった」
それが最初のシーンで、女の手に持っている赤い花と、男のベッドわきに置かれている花がまったく同じもので、その色合いも何もかも同じだったのだ。
その女は、その状態を見て。
「あの女が来たのね?」
というと、男も、隠し立てする様子もなく、
「ああ」
と答える。
男は、まったく悪びれる様子もない。たった今、浮気をしていた男の態度ではない。
いや、それどころか、
「この賢者モードを邪魔されて、迷惑だ」
と言わんばかりに、男は女を見つめた。
女は浮気をされて、怒るべきなのに、落胆はするが、それ以上何もいうことはできない。
それは、
「私は、絶対にあの女に勝つことができないんだ」
ということを分かっているからで、普通であれば、
「だったら、その女よりも先にここに来ればいいんじゃない?」
と言われるのだろうが、そういうことはできないのだった。
というのも、
「いくら私が努力しても、あの女との距離が縮まるわけはない」
と思っていた。
「あの女」
それは問題なのであり、ベッドで寝ている男は、
「いい女だったよ」
と平気で、その男の言葉を聞かなければいけなかった。
いつも、賢者モードのところに現れる女なので、その女は、今まで何度となくこの部屋を訪れているのに、目の前の男に抱かれたことはなかった。
しかし、なぜか、その部屋を出る時、確かに、
「男に抱かれた」
という感覚だけが残るのだ。
「確かに、あの人が私の中にいたことは確かなんだ」
という思いだけが残っている。
その思いは、耐えられることでありそうで、耐えられないということでもあった。
もっと言えば、
「抱かれてもいないのに、この感覚はどうしたことか?」
というものであった。
この話の肝としては、ここに登場する、
「もう一人の女の正体」
というものであった。
というのは、この女は、実は、彼女本人であり、
「10分前を生きている自分」
というものであった。
つまり、
「10分前ということが決まっているので、自分と彼女は、交わることのない平行線を描いている」
ということであった。
彼女は、一つ疑問を持っていた。
「10分前の女がいるということと、10分後の自分もいるということで、10分前の自分を、自分が妬んでいたり、恨みを感じているとするならば、10分後の自分も、今の自分を恨んで生きている」
ということになるのだろうか?
しかも、
「10分後の女からみれば、今の自分は、男に抱かれていて、満足感を味わっていると思っているに違いない」
と考えるのだ。
「そんなことはない。私は、男に抱かれていないんだ」
とは思うが、
「では、部屋を出た時の、あの抱かれた感覚は何なのだろうか?」
そう思うと、
「自分は、部屋を出たとたん、10分前の自分に憑依したのではないだろうか?」
と感じるのだ。
ということは、あの部屋にいる間だけ、
「10分前の自分」
というものが存在していて、あの部屋から出ると、
「自分は一人になる」
ということではないかと感じるのだった。
それを考えると、あの男が、とても、無表情であるということも分かるというものであった。
最初は、
「賢者モードだからだ」
と思っていたが、そうではないようだ。
しかも、男が女とした後だというのに、実にきれいになっている。
ベッドも乱れているわけではなく、ベッドの上には、女性用のガウンが置かれていて、きれいに畳まれているではないか。
誰もそれを弄ったわけでもなく、きれいに畳まれている・
それを思うと、
「これほど、きれいな状態はない」
といえるのだった。
ゆっくり男を見ていると、
「確かに汗は掻いているが、どうも、女を抱いたように見えないというところもある」
と感じていた。
それは、
「女特有の感覚」
なのであろうか。
それとも、男というものを、自分が相当知っていて、
「男から女を抱いた気配を感じない」
という感覚が溢れているからなのだろうか。
少なくとも、男からは、女の淫靡な香りがしてくることはなかった。
それは、
「自分だからだろうか?」
とも感じた。
「自分の臭いは、自分では分からない」
といえるだろう。
例えば、自分が餃子を食べたとして、その臭いを他人は、一瞬にして察知することであっても、自分には、いつまで経っても分からない。それは、
「汗の臭い」
ということでもわかることではないだろうか?
と考えるのだが、その理屈は、分かりそうな気がするのだった。
というのも、
「汗の臭い」
や、
「餃子の臭い」
というのは、身体から溢れてくるものだ。
しかも、他人であれば、それが自分のものではないと思うから、臭く感じるということであろう。
それは、逆に、
「自分は臭くない」
という思いの表れなのかも知れないが、果たしてそうだと言い切れるのだろうか?
そんな自分の嫌な臭いを感じないということなので、男から女の臭いを感じないと思った時、
「もう一人の自分だ」
と感じたのであろう。
「男は、確かに女を抱いた。しかし、その航跡とでもいうものが残っていないのだから、錯覚でなければ、それは、もう一人の自分ではないか?」
と思い、
「私を抱いたの?」
と最初に聞くと、男は、
「ああ、いい女だったよ」
というではないか。
男の感覚としては、
「自分が抱いた女は目の前の女でしかない」
と思っているのだろう。
なぜ、
「10分後の女が、惨めな表情を浮かべて現れるのか?」
ということが分かっているのだろう。
「自分と似た」
いや、
「同じ女が、自分の代わりに男に抱かれる」
そんな思いを我慢できるわけもないのだ。
だが、
「部屋を出た瞬間、男に抱かれた感覚がよみがえってくる」
と感じるのだ。
それは、
「生まれてくる」
というわけではなく。
「よみがえってくる」
ということなのだ。
そう考えると、もっと恐ろしいことが頭をよぎる気がしたのだ。
「10分という単位で、その間を果てしなく繰り返しているのではないか?」
ということであり、