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時系列矛盾の解消

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 三すくみというのは、それぞれに、けん制しあっている相手がいて、
「誰かが動けば、自分がやられる」
 という形になるわけだ。
「三すくみ」
 というのは、3つが絡んでのことなので、非常に強いのだが、
「核の抑止力」
 というのは、一見、2つの争いのように見えるのだが、実は、そこに、
「核兵器」
 という一角があるとすれば、これも一種の、
「三すくみ」
 という形になるのかも知れない。
 要するに、
「三すくみ」
 というのは、どこか一角が崩れれば、ずべてが終わりということで、
「お互いにけん制しあっている」
 ということだけになるというのとは違っているといってもいいのかも知れない。
「勝った負けた」
 という関係も、
「三すくみの一角」
 となるのかも知れないではないだろうか。
 かつての戦争というと、
「やめどころが難しい」
 というのは、かなりあったことであった。
「振り上げたこぶしを抑えきることができない」
 ということもあるが、もっと大きなものは、
「マスゴミ」
 と
「世論」
 の問題ということである。
 例えば、日露戦争の時などは、
「世界の大国ロシア」
 というものに、喧嘩を売ること自体が自殺行為であり、政府の中にも、主戦論者と、戦争反対論者がいた。
 戦争反対だからといって、
「平和主義者」
 というわけではなく、あくまでも、
「戦争は時期尚早」
 ということであった。
 しかし、実際には、
「今戦う力が整っていない」
 ということでの反対であったが、それを主戦論者から、
「今やらなければ、国力差がどんどんついてしまって、もう戦争は不可能になってしまう」
 ということだったのだ。
 そこで、何とか落としどころを見つけての和平交渉だったのだが、そこで、
「賠償金が取れない」
 ということに国民が起こって、
「日比谷焼き討ち事件」
 というものを引き起こしたということであった。
 だから、大東亜戦争でも、本当であれば、
「初戦で、勝ち続け、相手に戦意を喪失させたところで和平に結び付けよう」
 という考えが最初だったのだが、実際に勝ちすぎたのだ。
 そこで、世論も、
「大勝利」
 というのを祝って、湧き上がる。
 いまさら、
「戦争をやめるなどということを、国民に言えなくなってしまった」
 ということである。
 そもそもの原因だった。
「シナ事変」
 でも同じだ。
 途中で、
「トラウトマン和平工作」
 というのがあったのだが、その時、本当は、中国側が日本の要求を呑む予定だったものを、日本軍が、
「南京陥落」
 をさせたということで、日本は、要求をさらに厳しいものとした。
 それによって、中国側も、
「そんな条件をのめない」
 ということで、せっかくの和平交渉が、成立しなかったのである。
 もし、成立していれば、
「日米開戦」
 もなかったであろう。
 ただ、陰謀説もないわけではないので、どこまでが本当のことなのか、何とも言えないということになるであろう。
 どちらにしても、大東亜戦争をやめるきっかけは、
「トラウトマン和平交渉」
 あるいは、
「当初の作戦」
 とおりに、ことが進まなかったことが大きい。
 それだけ、戦争が、当時の日本人の士気を高めていたということになるのであろう。
 パチンコは、どうしても依存症となっていることでやめられない。
 確かに、戦争もある意味、
「依存症」
 のようなところがある。
 特に、戦争というと、どうしても、侵略であったり、それ以外のことで戦闘状態に入るとすれば、
「宗教がらみ」
「民俗戦争」
 さらには、東西冷戦期のような、
「代理戦争」
 という側面もあったりする。
 しかし、中にはまったく別の理由の時もある。
 たとえば、
「国内の不満を外にそらず」
 という意味で、戦争を始めることもあるだろう。
 日本だって、明治維新のすぐあとに、西郷隆盛らが推奨した、
「征韓論」
 というものがあり、
「朝鮮に攻め込もう」
 ということであった。
 これの理由というのは、
「明治維新によって、日本国が混乱していて、身分制度の撤廃によって、武士の不満が、くすぶっている」
 ということで、それを何とか外にそらそうとして考えられたのが、この、
「征韓論」
 というものであった。
 実際には、大久保利通が、
「まだ、日本は、戦争をしている余裕はない。まずは、国内の情勢を整えてからのことだ」
 ということで、西郷隆盛らを失脚させることで、なくなったのが、
「征韓論」
 だったのだ。
 攻め込まれる方もたまったものではないのだろうが、
「征韓論というのは、それはそれで仕方のなかった」
 といってもいいだろう。
 また、アメリカが日本を戦争に引きずり出したかったのは、
「ヨーロッパの戦争に介入する」
 ということへの、下準備だったといってもいい。
「日本に宣戦布告されたから、日独伊の同盟国は敵だ」
 ということで、ヨーロッパの戦争に、介入できるからだ。
 同盟国の条約で、
「日本が戦争状態になったら、同盟国は、その戦争をしている国に宣戦布告する」
 ということになっているのだから、
「日本が敵であれば、必然的に、ドイツと、イタリアは敵であるということで、大っぴらにヨーロッパの戦争に参入できる」
 ということだ、
 理由として、ヨーロッパでのドイツの侵攻を止める必要があるということはもちろんのこと、
「アメリカの介入で、戦争が有利になれば、戦後、アメリカの立場が絶対的なものになるだろう」
 ということもあった。
 だから、連合国の勝利がゆるぎなくなった時、
「ヤルタやカイロなどで、戦後処理の会議が行われたりしたではないか」
 ということである。
「占領問題」
 であったり、
「統治分割」
 さらには、和平交渉の問題などと、いろいろ議題はあっただろう。
 パチンコもなかなかやめられない。やめようとしても、依存症による意識があるからか、最初から、
「やめられない」
 と思っているからなのか、自分の中で、決心をつけられないのだ。
 それが、依存症の恐ろしさで、タバコをやめられないという人と似ていた。
 そういう意味で、以前パチンコ屋で、自分の顔に煙をぶつけてきたバカがいたが、もちろん、そんなバカを援護しようなどと思うわけもないが、同じ依存症ということでは、道場するところはあった。
 そもそも、パチンコだけをしている人が、タバコだけを吸っている人に対して、偏見の目で見ているのだから、逆に、タバコだけを吸っていて、パチンコだけをしている人を見ると、それは偏見の目で見ることだろう。
 しかし、前にいた男は、どちらもありなのだ。
 これは、普段から、どちらに対しても、風当たりが強いという意識が、その男を、余計にまわりへの偏見を強めるのかも知れない。
 それは反発であり、依存症というものが、自分を偏屈な性格にしてしまうのだろう。
 坂上は、さすがにそこまではないが、何とか依存症をやめようと思っていたが、その機会が訪れるかも知れないと思う出来事があった。
 もちろん、
「他力本願で、依存症が治るわけはない」
 という思いはあったが、なぜかそこに、自分の中での、
「藁をも掴む」
作品名:時系列矛盾の解消 作家名:森本晃次