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時系列矛盾の解消

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 というものであれば、キチンとした書類も作ってくれて、
「法律的に、十分に有効な書類なので、拘束力はあるのだ。
 だから、
「慰謝料」
 であったり、
「養育費」
 などというものを滞納すれば、
「給料や財産の差し押さえ」
 ということも、法律によって正当化されるので、これほど、恐ろしいものはない。
 下手をすれば、そのあたりの、
「民間の消費者金融よりも、恐ろしい」
 といってもいい。
 何しろ、後ろ盾が、
「法律」
 なのだから、国民である以上。逃れることはできないというものであった。
 坂上は、まだ結婚もしていないし、当然、子供がいるわけでもない。
 学生といっても、一応、家族からの仕送りも、制限されているので、半分近くは、自分がアルバイトなどをして、賄っていたのだ。
 だから、最初は、
「パチンコとかに興じていると、お金がもったいない」
 と思っていたのだが、しかし、大学での仲間との交流という意味で出かけたパチンコだったので、嵌ってしまったというのは、若気の至りといってもいいだろう。
 それでも、自分のお金で楽しむということなので、
「何が悪いというのか?」
 という思いもあった。
 しかも、最近の、
「パンデミック」
 のせいで、
「いつどうなるか分からない」
 ということを考えてしまうと、
「今楽しめることを楽しみ」
 という考えに至ったのだ。
 特に、
「大学を卒業すると、嫌でも社会人だ」
 と考える。
 社会人になると、お金は自由に使ってもいいが、その分時間的な制限であったり、人間的な付き合いなどがあって、
「ある意味、地獄に突入することになる」
 という考えに至るのだ。
 だから、学生時代が終わるであろう時期と、社会人になってからの人生は、
「まったく違うものだ」
 と考えるようになった。
「言い方を変えると、社会人一年生からは、生まれ変わった人生だ」
 ということになるであろう。
 だから、大学生の4年間というのは、
「入学から、卒業までの間、まったく違った心境だろう」
 と思っていた。
 もっといえば、
「大学時代の四年間は、自分の一生の中の四年間で、どこを切っても、一番長いものになるのではないだろうか?」
 ということであった。
 だが、
「それが実現しない人生であれば、ろくな人生ではない」
 ということも言えるのではないかと思うのだ。
 というのも、
「社会人になってから以降というのは、一年一年が短く感じられる」
 ということを、いろいろな人から聞いた。
 大人の人のいっていることを、
「一番信じてしまう」
 という時期であるだけに、
 大学一年生の頃は、まだ子供に近かったが、
「大学三年生から上は、大人の世界に首を突っ込んでいる」
 といってもいいだろう。
 というのは、
「成人するからだ」
 ということであるが、
 その当時は、まだ成人というと、
「満二十歳」
 からを成人とすということであるので、どうしても、
「大学三年生の頃から後を、大人だ」
 と感じるのであった、
 では、今のように、
「十八歳からが、成人だ」
 ということになれば、
「大学生になった時点で、半分くらいの人は、成人」
 ということになる。
 高卒で就職した人は、成人といってもいいのだろうが、大学受験の時期を経て、大学に入学した時点で、
「成人」
 というのであれば、今までの感覚からすれば、
「どこで、成人のスイッチを入れればいいのか?」
 ということになるのであろう。
 というのも、
「高校二年生くらいから大学受験に備えないと、なかなか難しい」
 ということになり、そうなると、
「高校三年間のうちの半分は、大学受験で棒に振る」
 といってもいいだろう。
 そんな状態で、受験勉強をしている間、正直、
「大人になるための勉強」
 というものはできないのではないか?
 と考えられる。
「大人になるための勉強というと、大学受験のような、詰込みの勉強ではない」
 大学に入ってから、友達や先輩から教えてもらったり、さらには、アルバイトなどをして、一緒に働く人から学ぶということになるだろう。。
 だから、
「大学1,2年で大人になっていく」
 と考えるのが、今まで一般的な考えだろう。
 といえるのだった。
「成人というものを、18歳にすると考えると、今度は、大人になるための段階すべてを、引き下げる」
 ということを考える必要があるのではないか?」
 と思うのだ。
 というのは、
「幼稚園から、大学生までと考えると、幼稚園に、5,6歳の間で通園し。7歳で省が学校に入学し、12歳で6年生となる。そして、13歳から中学生、16歳から高校生、18歳から大学生」
 というのが、例外はあるかも知れないが、普通の進級というものであろう。
 だから、刑法などで、
「児童」
 というと、
「13歳歳未満」 
 ということになり、幼児というと、
「5歳未満」
 というくくりになるのだろう。
 だとすると、
「成人というものを、20歳から、18歳に下げたのだとすれば、他の年齢もすべて、2歳下げる必要があるのではないか?」
 ということにならないだろうか。
 そうすることによって、実際に乗り越えなければならない年齢や、保護されるべき年齢も下に下がり、それによって、教育もしっかりしていかなければいけないということになるのであれば、分かるのだが、
「結果として、成人年齢だけを変えたとしても、それは、中途半端なことだといえるのではないだろうか?」
 それを考えると、
「法律というものが、どれだけ中途半端なものになるか?」
 ということが分かるというものだ。
「何かの制度を変える場合には、必ず、反対側に問題が潜んでいるというもので、それを無視してしまうと、大きくなった問題を見ることができず。見過ごしてしまうことで、あとになって、手の打ちようがない」
 ということになるのではないだろうか?
 ただ、坂上には、
「そんな政治のことは詳しくは分からない。一つを変えれば、何か他に影響が及ぶのではないか?」
 ということは分かるのだが、それによって、どのような問題が発生するかということは、ハッキリと分かるわけではないのだった。
 ただ、今のようなことは、
「大学2年生の頃に考えた」
 のだった。
 その頃には、
「成人年齢を、18歳にする」
 という計画があるという話を聞いたからだった。
 そんな話が出てから、
「どうせ、閣議決定するまでに、まだまだ時間はかかるだろう」
 と思っていた。
 野党が、本筋の論点とは違う話を持ち出して、審議を妨害したりすることは分かっているからだった。
 攻撃される方の与党も、
「叩けばいくらでも埃が出てくる」
 というもので、野党の目論見はある程度成功することだろう。
 しかし、審議が遅れるだけで、どうせ野党にも、代替え案などなく、ただ、審議を妨害し、
「時間稼ぎをする」
 ということで、
「やってますアピール」
 を国民にできるというものであった。
 野党というのは、以前のように、
「政治政策」
 というものを盾にして、論議していたが、最近の野党というと、
「第一刀」
作品名:時系列矛盾の解消 作家名:森本晃次