一人三役
それも、政府が政策をとってこなかったことが原因なのに、その自覚がないから、
「学校を閉鎖するとパニックになる」
ということが分からないのだろう。
何しろ、学校閉鎖をしてしまうと、
「子供が、今まで学校に行っていた時間を、誰かに見てもらわなければいけない」
ということになる。
家族や親せきの中にそういう人がいればいいが、その家にも家庭があって、それどころではないだろう。
見てくれる人は、
「普通はいない」
と考える方が当たり前のことであって、そんな状態を下調べもせずに、いきなり、
「来週から、効率の小中学校は、閉鎖する」
などと言えば、大きなパニックになるというのも当然というものだ。
それでも、確かに、学校閉鎖をしないといけないくらいの事態にはなっていた。
それから、一か月もしないうちに、日本の法律でできる最大の対策といえる。
「緊急事態宣言」
というものが発令された。
基本的には、
「人流を八割減らす」
というのが最終目標だったのだ。
したがって、会社には、テレワーク、あるいは、出社しなければいけない最小限の人だけを残して、あとはテレワークということである。
そして、店舗については、飲食店は、休業要請、あるいは、時短営業を強いるということであった。
それ以外の、お店で、スーパー、コンビニ、薬局などの生活必需品を置いてあるお店以外は、基本、休業要請ということであった。
街は、完全に、
「ゴーストタウン」
になっていて、それでも、政府の発表としては、
「人流抑制としては、六割程度」
ということであった。
「その程度なんだ」
と驚きが隠せなかったが、確かに、これで六割というのは、ひどいというものだったであろう。
そんな中で、この宣言には、
「強制力というものはない」
というのも、日本の憲法は、
「平和憲法」
であるため、国民の権利を一部から、大部分を制限するという、
「有事」
という状態がないために、大日本帝国時代にあった、
「戒厳令」
というものは、存在しないということであった。
だから、憲法で保障された、
「法の下の平等」
であったり、
「基本的人権の尊重」
ということが、こういうときの政策に強制力を持たせられないのであった。
そもそも、
「有事」
というのは、別に戦闘状態になった時だけではないだろう。
大災害に見舞われた時だってそうなのだ。
この時の、
「世界的なパンデミック」
だって、大災害なのではないだろうか。
その証拠に、
「学校閉鎖」
というのは行ったではないか。
確かに罰則というのはないのだろうが、他が皆従っているのに、自分だけが営業をしているということは、社会生活では、命取りといってもいいほどである。
中には、
「緊急事態宣言下」
では、
「ここで営業をストップすると、数日で確実に潰れる」
ということが分かっているところは、
「背に腹は萎えられない」
ということで、強硬営業を行うところもあった。
普通の店は別に何も言われなかったが、その分、攻撃対象になったのが、
「パチンコ屋」
であった。
「あの開いている店は許せない」
といって、
「自粛警察を自認する連中は、容赦しない」
ということであった。
ただ、自治体も、
「従わないと、店名を公表する」
ということで、従わなかったので、店名を公表すると、今度はまったくの逆効果になった。
「おい、あの店営業しているらしいぞ」
ということを言われ、
「パチンコ依存症」
と呼ばれる人が、たくさん集まってくることになったのだ。
しかも、近所の人たちだけではなく、各地からわざわざ車で来たりするのだ。
大阪の店舗なのに、わざわざ九州から、パチンコをしに来るわけである。
しかも、台数に限るがあるので、例えば、全部で1000台あるとしても、もし、待っている人が、5000人いたとすれば、よほど早くいかないと入れない。
もし、店の方針が、先着ではなく抽選ということになれば、
「早くいけば、遊ぶことができる」
とは限らなくなり、
「そこまで行っただけ、労力の損だ」
ということになる。
しかもである、来たということは帰らなければいけない。
「たくさん勝つことができた」
ということであれば、疲れも少しが癒されるだろうが、
「実際に、勝てる保証などない」
といえるだろう。
せっかく抽選か先着で、座れたとしても、店も覚悟で営業しているわけだから、ぎりぎりの収支のところまで、儲かるように考えることであろう。
そうなると、
「客があおりを食らうのは当たり前」
ということで、それこそ、
「収支は関係なく、遊べたことだけで満足しないといけない」
といえるだろう。
九州から車で行く」
などという暴挙に及んだ人間の末路がどうだったのか、想像を絶することなのかも知れない。
そんなパンデミックに見舞われたことで、起こった、
「政府による、緊急事態宣言」
というものは、相当の経済に大きな影響を及ぼした。
「その宣言があった、一か月我慢できれば、元のように活気づいた街が戻ってくる」
なとというのは、あまりにもお花畑にいるような、
「夢物語」
であった。
伝染病は、
「ウイルスが原因」
だったのだ。
昔から、伝染病が流行った時というのは、
「第何波」
という形で、
「その波は少なくとも、4、5回はある」
というものであった。
しかも、
「ウイルスというのは、変異するものだ」
ということで、一度、ウイルスが下火になってくると、まるで蛇が脱皮するかのように、ウイルスはその形を変えて、人間が抗体を作れば、それに立ち向かえるだけの、方法を持っているということである。
そんなウイルスの変異に対して、翌年くらいに、そのピークを迎えた。
その頃になると、会社が潰れたり、店の営業がうまくいかないということで、失業者もあふれてくる。
国家は大した政策を打てるわけでもなく、ただ、
「怪しさ満載」
というワクチンを、奨励するだけだった。
「何かあったら、国が補償する」
といって接種させておいて、いざ、
「接種後に亡くなった」
という人がいても、
「因果関係が認められない」
などといってごねる始末だ。
「じゃあ、あんな保証するなんて言わなければううのに」
ということで、そんなことがあってから、さらに、ワクチンを打つ人が減ってきた。
「2回目接種以降、若者のほとんどは接種していない」
ということで、世の中には、伝染病患者があふれることになった。
それでも、
「ワクチン接種のおかげで、重症化しない」
などと、政府は言っているが、それこそ、
「1%しかないほどのよかった部分を、さも、80%くらいよかった」
とでも言いたいように、誇大宣伝をする。
自分たちがいっていることの辻褄が、いかに遭っていないかということが分かってのことなのか、きっと、
「馬鹿な国民をだまし切れている」
とでも思っているのだろう。
しかし、それが甘いことを、政治家は、選挙の時になって分かることだろう。
中には、あまりにも独裁的なことをしたことで、党内からも、