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一人三役

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 から人気があるようで、さらに、これはあまり知られていなかったが、
「その奥さん連中からも、ひそかに気に入られている」
 ということであった。
 松崎は、その中では、あまり樋口青年のことを意識はしていなかった。
 というのも、
「一人にのめりこんでしまうというのは、あまりいい傾向ではないからな」
 と思ったからだった。
 そんな状態を松崎は、
「少し歪なことになっているな」
 ということで、
「一応気に留めておこう」
 と感じるようになっていたのだった。
@それにしても、確かに奥さんが、あの場所で殺されたというのは、解せないですよね、特にあの場所は、狭くなっていて、入って何かをするには、狭すぎますからね」
 ということであった。
 というのも、あの場所は、ビルの中の、一つの店舗の、ガスメーターなどがあるところで、それも、
「表にあると、体裁上悪いから」
 ということで、奥まったところにあったわけで、要するに、
「ガス会社などの点検員が、入れるだけのスペースがあればいい」
 というところだったのだ。
 だから、
「無駄に広くするという必要などない」
 ということであった。
 ガス会社だけでなく、電気もそうである。
 ただ、一つ言えるのは、
「何かあった時、修理をできるだけのスペースは必要だ」
 ということもあって、人が二人並んでも、少し余裕があるほどという程度にはしてあるということであった。
 そのことは三人とも分かっていて、さすがに、
「人間関係には、まだまだ」
 という樋口青年も、そのあたりの、建設上の理屈は、分かっていたのだ。
 樋口青年というのは、
「想像以上に賢い青年だ」
 ということは、誰もが認めるということであったのだ。
 だから、皆も、樋口青年を、早くから認めていたのだった。
 樋口青年が、そういう理屈に強いというのは、
「彼は、国立大学を出ていて、そこの理工学部に所属していた」
 ということを聞いたからだった。
 こういう商店街の人たちというのは、比較的、
「閉鎖的な人が多い」
 と言われているが、だからといって、
「閉塞性がある」
 というわけではなく、
「都会から来た人がいたとすれば、最初は、一度は皆、敬意を表する」
 という気持ちになるのである。
 しかし、敬意を表した相手に、少しでも、こちらに対して、マウントなどをとったとすれば、もう許さない。
 ここから先は、商店街の人間が一緒になって。
「あいつを追い落とそう」
 と考えるか、
「追い出そう」
 とするに違いない。
 追い出すということになったとしても、そこは、本当に露骨であり、
「相手に、皆が敵なんだ」
 ということを思い知らせることで、自分から逃げ出すように仕向けるのである。
 だから、
「必ず、どこかに、逃げ道を作っておく」
 ということが当たり前ということであった。
「逃げ道を作らずに、相手をつぶす」
 ということもできるだろう。
 ひょっとすると、そっちの方が楽なのかも知れないが、商店街の人たちは、
「皆、優しい」
 といえばいいのか、
「とどめを刺すことを嫌う」
 という傾向にある。
 しかし、この考え方には、賛否両論がある、
 たとえば、誰かが切腹をしなければいけないという時、
「とどめを刺す」
 ということで、
「介錯をする人間」
 というのが、必ず必要となるであろう。
 どういうことなのかというと、
「腹を切るだけでは、なかなか死にきれないので、後ろから、首を落として、少しでも苦しみから解放してあげる」
 ということをする人が必要であった。
 切腹というのは、いわゆる、武士における、
「けじめ」
 ということであり、
「自らで自らのけじめをつける」
 ということで、日本では、当たり前のことだった。
 だから、戦に負けた時、そこの領主は、
「最後には腹を切る」
 ということが当たり前になっている。
 討ち死にということになると、相手に、首を献上することになってしまうが、それは、武士としては、嫌なことであっただろう。
 あるいは、相手につかまってしまった場合というと、まず間違いなく、
「斬首」
 ということになるのは必至で、武士としては、
「斬首よりも、自ら、腹を切って果てる」
 という方が、潔いということになるのだ。
 だから、まずは、
「武士の情け、切腹させてくれないか?」
 と頼む人もいるだろう、
 しかし、ほとんどは斬首ということになる。
 その理由は、
「斬首することで、まわりに対して、自分に逆らうとこうなる」
 という戒めもあり、さらに、
「これからは、自分がここを治めていくということへの宣言」
 という意味もあるだろうから、
「斬首は致し方のないことだ」
 ということであった。
 それを考えると、
「とどめを刺すことは悪いことではなく、相手を楽にさせるということで、善だといってもいいのではないだろうか?」
 ということだった。
 そういう意味で、一番今の時代で問題になることというと、
「安楽死」
 というものである。
「尊厳死」
 という意味のこともあるのだが、
 例えば、病気や、事故によって、
「植物人間化」
 してしまった人間は、
「はっきりいって、目覚めるという確率は、万に一つも」
 という状態において、
「このまま生かしておいても」
 と考えるのは、必死であった。
 しかも、生かすためには、
「生命維持装置」
 というものが必要で、
「その費用は、バカ高い」
 といってもいいだろう。
 看病しなければいけないのだから、当然、仕事もやめて、無収入状態になったにも関わらず、莫大な、
「生命維持装置費用」
 を払わなければならない。
 もし、仕事をするために、誰か、見てくれる人を雇うとしても、お金がかかるのだ。
 しかも、その人にも他に家族がいてその人たちを養わなけれないけない立場であれば、金銭的には、
「もうどうしようもない」
 ということになってくる。
 精神的には、ズタズタになってしまい。家庭も崩壊しかねない状況で、本人は、
「目が覚める確率は、万にひとつ」
 などというと、普通なら誰が考えても、
「とどめを刺してもいいのではないか?」
 ということであるが、現行法では、例外は若干あるが、
「有罪」
 ということになるだろう。
 日本の刑法には、
「違法性阻却事由」
 というものがあり、
「一定の条件を満たせな、人を殺したとしても、罪にならない」
 と言われているのがあるではないか。
 それは、刑法としては、二つなのだが、
「正当防衛」
「緊急避難」 
 である。
 正当防衛は、分かるとして、緊急避難というのは、
「大きな船が座礁するか、難破するか何かして、海に救命ボートで逃げた人がいたとして、そのボートが、4人乗りだったとした時、ちょうど4人が乗っていて。もう一人が、泳ぎ着いて乗ろうとするのを妨害し、死に至らしめたとしても、その時、その人を乗せると、皆が、おぼれて、全員が死ぬことになる」
 というような場合は、
「殺人罪に問われない」
 ということであった。
「正当防衛」
 も、
「緊急避難」
 も、どちらも当然のごとくに、
「一定の要件がそろってのこと」
作品名:一人三役 作家名:森本晃次