破滅に導くサイボーグ
ということであった。
この村において、女の子ばかりが生まれてくるので、生まれた女の子は、成人すると、他の村に嫁入りということになるのだ。
だから、このような村では、
「いずれ、人がいなくなってしまう」
ということで、その危惧は、
「あって当然」
ということなのだが、時代が、
「女が男のところに嫁入りする」
ということが当たり前だった時代、村の運命は、最初から決まっているようなものだった。
「この村も、あとどれだけ持つかわからない」
ということであった。
いくら、運命とはいえ、どのような状態だったのかというと、
「女の子が嫁入りしたところで、今度は人口が増えてしまい、嫁を貰っても、土地がないということで、仕方なく、二者択一というものに限られる」
という時代があったのだ。
というのも、
「今までの常識を覆してでも、生き残る」
ということで、
「女が男に嫁ぐ」
ということは決まってい会いとして、
「生まれた男の子の次男、三男などは、婿入りする」
ということを許すというものであった。
別に、そうでないと幸せになれないというわけではない。
と思われていたが、実際には、
「男の子が村を離れると、不幸になる」
と言われ、なかなか、その選択肢を与えられても、その通りにいけるかどうか、難しいところであった。
ただ、それでも、
「食糧問題」
という問題が残る以上、その方法も致し方がないということであった。
だが、もう一つの方法は、
「女しか生まれないところが、過疎化してくる」
のであれば、
「村全体を、男の子が生まれるとこるに吸収させることで、体裁上の、村が大きくなるということで、婿入りということをしなくても、元々の家でとれる食糧を、嫁入りした先に、上納という形で納めるということ」
が考えられたのであった。
実際に、その時は、そういう政策をとっていた。
もっとも、これが、本当に最善の方法なのかというのは、誰にも分からないだろう。
確かにこの方法が、今のところ一番いいということになるのだが、
「それが正しいのかどうか、判断は難しかった」
といえるだろう。
しかし、
「背に腹は代えられない」
というが、
「なりふり構ってはいられない」
ということで、
「この方法が一番いいだろう」
ということであった。
実は、このやり方は、ここだけではなく、他の地域にもあるようだった。
鮫島博士は、そのことをいろいろ考えていたが、もう一つ気になることがあったのだ。
それは、この村において、
「時間の経過」
という感覚のことであった。
その違いというのが、今のこの村をもたせている、
「最大の原因だ」
ということを思えて仕方がないのだった。
「村には村の考え方がある」
ということであるが、
「本当に、そうなんだな」
ということを、この村の運営ということで考えさせられるのであった。
時間の経過
「一日一日が短く一週間は長い」
と言われているということであったが、この村にいて、最初は気づかないのだが、慣れてくると、
「満月の日だけが、一日が立つのが、非常に遅い」
と感じられる。
それは、満月というものが、どのようなものかということを考えた時、
「今までいた世界と、まったく違っている」
ということに気づかされた。
ただ、教授も、この感覚に関しては。
「以前にも、似たような感覚を覚えたことがあった気がする」
ということであった。
というのも、自分が大学にいる時、
「途中で慣れてきたからなのかも知れない」
と思っていたのだが、
「学生のころと、教授になってからでは、まったく違う」
と時間の経過に関しては感じていたからだったのだ。
鮫島教授は、大学に入学し、最初は、
「医者になりたい」
と思っていたようで、真剣、
「軍医」
というものを目指していた。
「外国で活動する兵隊は、その土地の伝染病や、過酷な戦いにその身を置くことで、最初は想像もしなかった状況に追い込まれ、
「戦争どころではない」
という状況に追いこなれていた。
何といっても、
「戦争というものを体感させられると、武士道の感覚もあり、お国のために戦って死ぬ」
というのが、当たり前の感覚になるのだ。
しかし、実際には、
「戦う前の環境になじめなくて、不本意に亡くなってしまう」
ということが当たり前のようになり、
「マラリア」
や、
「脚気」
などといった病気に罹って死んでしまうということが、当たり前なのが外国ということであった。
政府としても、
「そんなところで、兵が減るというのは困る」
ということで、何とか、
「海外でも普通に活動ができる部隊の育成」
というものを余儀なくされるのであった。
だから、
「防疫防水」
ということを考えざるを得ないのだ。
まずは、
「飲み水の確保」
ということである。
ただでさえ、外国の水は合わないということで、まともな戦争もできないということいなるのだろうが、それが、
「病気の原因」
ということになり、
「いかに、満足な戦闘ができるか?」
ということであるが、
「戦いになれば、無敵だ」
という思いが政府にも、軍にもあるも知れない。
そんな学生時代のことであるが、最初は、
「戦争反対」
というものを唱えていたが、途中で、
「戦争推進派」
に変わってしまった。
と言ってお、別に、
「平和主義者」
というわkではない、
「やらなければいけない時には、戦争でもなんでもする」
というのが、その考え方であった。
とにかく、時代が、大日本帝国が崩壊してからと、その前とでは、まったく違うのだ。
「国を富ませて、国防を強固にする」
というスローガンは、
「まさにその通りだ」
と思うようになったのだ。
「殖産興業」
「富国強兵」
というスローガンである。
ただ、それよりも気に入ったのが、
「八紘一宇」
という言葉であった。
「世界は一つの家であり、民族は皆兄弟だ」
というような発想である。
実際に、大航海時代から続く、
「欧州の植民地政策」
であったり、
「アメリカ独立後の、奴隷制度問題」
であったりと、実際に、
「世界の列強」
と呼ばれた国が、
「どのようなことをしてきたのか?」
と考えると、本当に恐ろしいではないか。
だが、それが、当時の帝国主義の時代であり、世界は、
「弱肉強食」
つまりは、
「強い国」
もあれば、
「弱小国」
もあるということである。
実際に日本も、植民地とまではならなかったが、
「不平等条約」
を結ばされたのだから、似たようなものである。だからこそ、
「平和主義」
などと言っていると、あっという間に、他の国から侵略されるということだ。
そもそも、その時代に、平和な国などだっただろうか?
「世界のどこに行っても、どこかで必ず戦争をしている」
ということで、逃げるところはないのだ。
災害だって、そうではないか。
今まで、
「ここで、大きな災害は、百年近く起こっていないから大丈夫だ」
作品名:破滅に導くサイボーグ 作家名:森本晃次