破滅に導くサイボーグ
といっても、未曽有の大地震が起こったりして、それまでの神話が神話ではなくなってしまうのだ。
「そんな時代をいかにすごしていくか?」
ということであるが、
「とにかく、世界情勢を否定するわけではなく、何があってもおかしくないというような認識を持つことが必要で、その認識の下、どのような行動をとればいいか?」
ということを、認識する必要があるというのだ。
ただ、その時、
「戦争反対論者だった」
というのは、
「まだ、列強に対応するだけの力がついていない」
ということからであったが、戦争推進論者の意見ももっともだったのだ。
というのも、
「戦争には、時期尚早だというが、今立たなければ、相手の国は、徐々に戦争準備を進めていき、その差はどんどん広がるばかりだ。だから、やるなら今なんだ」
という意見であった。
もちろん、それも当たり前のことであり、結果、
「いつぶつかるか?」
ということだったのだ。
戦争をするにはm
「下準備」
つまり、裏工作が必要だということであったが、日露戦争の時には、それがある程度うまくいった。
何といっても、日露戦争の時は、
「日英同盟の締結」
というのが、大きくものを言った。外交により、イギリスを味方につけたことで、ロシアの情報はある程度入ってくるし、
「バルチック艦隊」
が、日本を目指してやってくる時に、疲弊させることに成功したのは、大成功だったといえよう。
そして、実際に、
「日本海海戦」
において、
「下瀬火薬」
であったり、
「伊集院信管」
などという新兵器が開発されたことも、勝利に大いに貢献した。
だが、これは、
「戦術に大いに貢献した」
ということであって、
「日露戦争だから、うまくいった」
ということで、実際に、毎回うまくいくということはありえない。
もっといえば、
「こんな綱渡りの戦争を勝利できたのだから、普通なら、二度とできない」
と思うべきであろう。
しかし、日本は、
「弱小明治日本が、世界の大国、ロシアに勝った」
ということを、おごったのかも知れない。
それこそ、
「日本は神の国」
ということで、
「蒙古襲来」
の時のように、
「神風が吹いて、日本を助けてくれる」
と思っていたことだろう。
実際には、その神風という言葉を使って、大東亜戦争末期には、無謀な戦闘を続けるということになってしまうのであった。
そんな時代の大学時代に、鮫島教授は、
「時間」
というものについて、独自の考えを持っていた。
というのは、
「人間、それぞれで、時間の感覚が違っている」
というものであった。
「時間というものは、基本的にみんな同じでなければ、成立しない」
ということであるが、
「それはあくまでも、全体を見る時だけにいえることではないだろうか?」
という考えであった。
「人それぞれで、時間の感覚が違っていたとしても、それは無理もないことで、それが、一つの団体でも違っているのかも知れない」
ということであった。
もっと言えば、
「人の数だけ、時間は存在する」
といえるのだし、さらに、集団の組み合わせによっても、存在する。
ということは、
「時間の感覚というのは、無限にある」
というものだ。
ただ、それは、時間のことであって、時刻というものは違う。誰にでも平等に、時間を刻んでいるのが、時刻というもので、そこに、差別はないという考え方であった。
つまりは、
「時刻が、万国共通の基準となり、時間は、無限にある」
ということで、
「時刻は、事実であり、時間というものは、真実である」
という言い方もできるのではないか?
というのが、鮫島教授の考え方であった。
それを証明するのが、天体であり、
「月や太陽」
である。
昔から、
「太陰暦」
あるいは、
「太陽暦」
と言って、
「月を中心にするものと、太陽を中心にするものが使われていて、基本的に、今は太陽暦が世界共通ということになっているので、太陽暦を日本も採用しているわけだが、何も太陰暦が、古めかしい」
ということではない。
その考えがあることで、基本的には、変わりはないともいえるが、太陽と月とでは、あまりにも対称という意識があることで、
「お互いに、光であり、陰である」
といえるだろう。
だから、
「月の暦」
のことを、
「太陰暦」
という言葉を使うことになるのだ。
基本的に、
「月が出ている間は、太陽は隠れていて、太陽が出ている間は、月が隠れている」
ということである。
実際には、月と太陽というのは、
「同じ天体に出ていることも結構ある」
といえるのだが、太陽の光の強さでm月が目立たない」
というのが、真相であり、どちらかの影響が強い時は、どちらかは、存在を隠しているといってもいいだろう。
時刻というのは、
「太陽暦」
と、
「太陰暦」
という考え方で、それが、一か月単位、一年単位ということになると、
「閏」
などの関係で、微妙に変わってくる。
しかし、どちらの暦においても、
「短い間隔においては、変わりがない」
ということになるのであった。
「秒が、一番正しいといえる、小さな単位であり、秒が違っていれば、今までの発想はすべてに狂ってくる」
この村で、
「一日の感覚と、一週間の感覚では、はるかな違いがある」
ということを考えたとしても、それは無理もないことであるが、それを、一人が感じ、他の人もそれにつれらるように考えると、それが、
「村人皆の総意だ」
という感覚になることだろう。
村人は、意外と、そういう時間の感覚には、鋭いものを持っているようで、
「大学から、有名な教授がやってくる」
というウワサガ流れると、そのウワサヲ聞きつけて、教授に近づいてくる人もいたりした。
そして、村人は、教授たちが宿営しているところに、かわるがわる訪れて、
「わしの畑でとれた野菜じゃ」
ということでもってきては、1時間か2時間くらい、上がり込んで、いろいろな話をしていた。
その中で、
「時間の感じ方が違う」
という人の話が一番多かった。
「10人に8人が、この話だったな」
ということで、教授たちもびっくりしていた。
ただ、教授たちは、基本、民俗学が専門なので、教授は、SF的なことに興味があったので、話を興味深く聞いていたが、だからと言って、
「余計なことも言えないしな」
と聞くだけにとどめていた。
ただ、興味は大きくわいてきて、話を聞くうちに、
「何か、この村には、昔から、何か、時間に関することで言い伝えのようなものがあり、それぞれの家で、それぞれの考え方が、募っていったのだろう」
ということであった。
一人一人の話を聞いていると、微妙に違っているのだし、その話の中が、
「根本的な違いがある」
ということで、それが、
「それぞれの口伝によるものではないか?」
と考えられたのだ、
だから、時間の話題というのは、村の中では、
「タブーなもの」
として扱われていて、それが、結局、
「今回の、教授への個別の訪問」
という形になったようだ。
村人としても、
「いってはならない」
作品名:破滅に導くサイボーグ 作家名:森本晃次