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破滅に導くサイボーグ

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 だから、学生の間の年齢的な感覚は、どうしても、あいまいな年齢になってしまうということであろう。
 そんな一日の違いや、一週間の長さの違いなどを意識したのは、実は、その話を聞く前のことだった、
 この村は、盆地のようになっていて、村の奥の方の、ちょうど坂になっている小高い丘があるのだが、そこには、鎮守の神が祭ってあるのだという、
 方角的には、正確に、
「どちらの方向を向いている」
 というわけではなく、村の人は別に気にしていないようだったのだが、博士がいって調べたところ、その方角の話をした時、一人の村人が、
「そういえば」
 と言い出したのだ。
「そおそも、その鎮守は、今でこそ、祠のようなものになっていて、仁王像が、一体あるだけだが、昔は近くには、神社のようなものがあったというのだ」
 というではないか、
「どうして、その神社がなくなってしまったのかというと、どうやら、不吉だということで、村の決め事として、取り壊しが決まった」
 という話を聞いたというのだ。
「それで、取り壊してから、何かあったのか?」
 ということをまわりが聞くと、
「いやいや、何もあったりはしないので、村人はホッとしてしまって、それで、誰も何も言わなくなったんだ」
 というのだということであった。
「しかし、そんな曰くのある方角にあるものを取り壊すという暴挙をやった昔の村人も恐ろしいと思うけど、何もないというのは、まるで分かっていて、やったことではないかと思うと、それも怖い気がするな」
 ということであった。
「この村には、昔から何か言い伝えがあったのか?」
 ということを聞くと、
「基本的に、一度やってしまったことを悪いことにしてしまうと、却って、それが災いとなるといわれている」
 ということであった。
 だから、ずっと、神社を再建せずに来たが、それではさすがにひどいということで、
「祠のようなもの」
 を作ったということであった。
 その祠が立っている位置というのが、いわゆる、方角として、
「丑三つの方向だ」
 ということである。
「丑三つ時」
 ということで、
「逢魔が時」
 と言われる夕方と並んで、午前二時から二時半の間と言われる時間であり、
「草木も眠る」
 と言われたものだ。
「丑三つ時」
 と言われる時間を、方角になおすと、ちょうど、
「村から見て、祠の方角にあるということで、この方向のことを昔から、
「鬼門だ」
 と言われて、嫌われる方角だという。
 そもそも、
「丑三つ時」
 というものが、
「魔物に出会う時間」
 と言われたのは、皆が寝静まっている時間ということだけではなく、この、
「魔物と出会う」
 と言われる、
「鬼門だ」
 ということからきているのだという、
 このような鬼門の方角というものを、意識していると、
「いろいろな感覚がマヒしてくる」
 と言われている。
 だから、昔の人は、気づかずに、神社を壊してしまったということも、無理もないのかも知れない。
「分かっていることだ」
 ということでも、感覚がマヒしてしまうと、まるで、麻薬にでもやられたような、信じられないことをしてしまうことであろう。
 そんな村の奥にある鎮守の祠に、毎日のように、お供え物をしにくる人がいるようで、一度も会ったことがないので、どんな人なのか、想像もつかない。
 あくまでもイメージとしては、放っ冠りのようなものをした、腰の曲がった、小柄な老婆のイメージがあるのだが、さすがに、小高い丘の中腹にあるので、
「老婆であれば、相当きついに違いない」
 と感じるのだった。
 ごはんがかなり大森に積まれていて、その横に、ちょっとした、湯漬けのようなものがあり、最初は水かと思ったが、どうやら、お猪口に注がれたお酒ではないかと思うと、
「まるで、これから戦に出る武将のようではないか?」
 と感じた。
 真っ暗な祠の奥の方に、何かがあるのだが、目が慣れてくると、それが何かということが分かってきたような気がした。
 そう、そこにあるのは、ほら貝であった。
 軍隊であれば、突撃ラッパのようなもので、ほら貝を服ことで、
「戦の始まり」
 というものを表すというものであった。
 元々あった神社を、祠のようにしたしまった村人がいた時代というのは、どうやら、江戸時代だったということであるから、その昔の、戦国武将などの、群雄割拠がいた時代というのは、この村も、それなりに被害にあったのかも知れない。
 戦国時代というと、戦に明け暮れた時代ということで、
 農民も、戦に駆り出される時代であった。
 その前の時代は、
「戦というのは、武士が行うものだ」
 ということであったが、次第に、戦国時代になると、いつの間にか、百姓も繰り出させる時代。
 ということで、それだけ、時代は、困難していたということであろうか。
 そもそも、
「戦国時代の幕開け」
 と言われた、応仁の乱であるが、これは、全国から大名が集められ、そこで、西軍東軍に分かれても戦であり、気が付けば、11年もの長い間の戦ということで、
「京の町は、焼け野原になり、死体の始末に困って、鴨川に捨てたため、その悪臭が、消えなかった」
 というような話を聞いたこともあったくらいである。
 そんな時代に、
「戦というものを、農民が行っていたことで、下手をすると、
「農民は自分たちの手で、自分の土地を荒らしまくることになるのかも知れない」
 ということであった。
「結局、感覚がマヒしてしまい」
 次第に、
「焼かれていく農地を見て」
 もう、どうなってもいい。
 というくらいになったことで、中には、下剋上をたくらむ黒人や、配下の連中に、協力するという気持ちになったのかも知れない。
「戦国時代というと、武将たちも、戦に明け暮れることで、感覚がマヒしてきて、
「衆道」
 などという、鬼畜とっも言われる行為が、公然と行われる時代だったりもするのだ。
 この時代であれば、落ち武者などに対して、
「気の毒だ」
 という感覚もなく、
「落ち武者狩りをすることで、少しでも、褒美に預かることができれば、少しでも長く生きながらえるかも知れない」
 と感じることであろう。
 そんな時代をいかに乗り越えていくかということで、やっと来た、
「天下泰平」
 と呼ばれる時代。
 しかし、その時代は、結局、徳川の天下の時代というだけで、個々の幸せなど、まったくなく。
「ただ戦がない」
 というだけの時代ではないだろうか?
 そんな時代ではあったが、それは、
「一つの勢力による搾取」
 というだけのことであり、皆が苦しめられている時代であったということに変わりはなかった。
 確かに戦はないので、理不尽なことはなかっただろうが、身分は決まっていて、職業も変えることができず、当然結婚も、別の身分の人とすることができない。
 その身分も、
「士農工商」
 という順番であるが、武士はもちろん、一番上なのは分かっているが、本来の力関係とその、
「身分における地位」
 とは、別のものである。
 特に、農民と、商人の関係は、本来であれば、逆なのではないだろうか?
 農民というのは、
「生かさず殺さず」
作品名:破滅に導くサイボーグ 作家名:森本晃次