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破滅に導くサイボーグ

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 ただ、それは、あくまでも、
「観光地のようなところ」
 であり、
「コウモリが生息する」
 という程度のものであれば、一つの村であれば、山間のところに、少しくらいはあるのではないだろうか。
 ただ、そんなに大きなものは存在していないだろう。
 本当に少ししかない限られた場所に、
「所せまし」
 と暮らしている。
 だから、
「吸血鬼ドラキュラ」
 という話は、いくつかのパターンがあるらしい、
 基本的には、どこも同じものなのだが、
「ドラキュラの話の中に、オオカミ男の話が、微妙に絡んできている」
 というものだったのだ。
 ただ、オオカミ男の話に、
「ドラキュラの話が、絡んでくるということはない」
 と言われている。
 ドラキュラの話の方が、絡まれやすいということなのか、伝わっている話は、それぞれに特徴が深く、そのうちの特徴である部分の、何かが合致してくることで、それぞれの話が、共通している部分が多いと感じさせるのだろう。
「この二つの話は元々、つながっていたのではないか?」
 と考えさせられるところがあるのだった。
 オオカミ男の話の、一番の特徴は、
「満月の夜にしか現れない」
 ということであろう。
 そして、吸血鬼の話はというと、
「吸血鬼に血を吸われた人は、そのまま、吸血鬼になってしまう」
 という、
「まるで、ネズミ算として増えていく」
 ということであった。
 まったく違う話のようだが、よく考えると、
「お互いに不足している部分を補って。話の辻褄を合わせている」
 ということになるのだろう。
「ドラキュラという吸血鬼というのが、コウモリを彷彿させる」
 ということであれば、前述の、鍾乳洞の話も分かるというもので、
「洞窟の中にたくさんいるコウモリの中で、一匹ドラキュラがいる」
 ということであり、
「他のコウモリというのは、ドラキュラに血を吸われて、吸血鬼になり、さらに吸血鬼になった人間が、またしても、血を吸って、どんどん増えていった結果だ」
 ということになるだろう。
 ただ、そのコウモリは、二度と人間の世界に帰るわけではない。この洞窟でずっとコウモリとして生きていくことになるのだろう。
 では、
「オオカミ男」
 というのはどういうものなのだ?
 元々の話というよりも、ドラキュラの話を組み合わせた方が、分かりやすいというものである。
「オオカミ男というのは、満月の夜になると、オオカミに変身する」
 ということであるが、そもそもは、人間の姿だったのだ。
 それが、満月を見ると、オオカミ男に変身をする。
 つまりは、
「人間の姿を仮の姿として、満月で月の光を浴びて、オオカミ男の本来の姿に変わる」
 ということであろうか、
 そうなると、
「吸血鬼ドラキュラ」
 とは、話が、根本から違っているということになるだろう。
 吸血鬼は、ずっと吸血鬼として暮らしているので、血を吸う時だけ、元の人間に変わるということだ。
 しかし、オオカミ男が、
「元々は、ずっと人間の姿だった」
 と思わせるのは、
「オオカミ男に変身する、あの瞬間のことではないだろうか?」
 ということであるが、
「それは、オオカミ男が、人間から変身する時、低い声でうまき、変身するところをなるべく見せないようにはしているのだが、変身するところがどうしても見えてしまう」
 ということである。
 その理由が、
「満月の明かりが、それだけ明るい」
 ということを示していることだろう。
 もっと言えば。
「満月の明かり」
 というものを浴びたオオカミ男のその姿を、まともに見ることができたかどうかということである。
 このあたりの村で言われていることは、
「見てしまうと、その瞬間に殺される」
 ということであった。
 だが、よくよく考えると、
「見た瞬間に殺されるのだということであれば、そもそも、オオカミ男が犯人だということをいかにして知ることができたのか?」
 ということである。
 しかも、オオカミ男が、人間からオオカミに変身するということも、死んでしまった人から聞くわけにもいかない。そうなると、
「これは、架空の話ではないか?」
 ということになる。
 そして、
「オオカミ男」
 の話に信憑性がないとすると、
「吸血鬼ドラキュラ」
 の話にも信憑性などないといえるのではないだろうか。
 そんなことを考えていると、
「逆に、この2つの話を、合わせ技として考えると、それ以上の信憑性を感じさせることになる」
 ということで、それぞれの話が、絡み合って、伝説的なことになっているのではないかと感じるのだった。
 オオカミ男というのは、あくまでも、
「満月の夜」
 にだけ行動するものであるが、ドラキュラと一緒に出るということは聞いたことがないので、ドラキュラは、
「それ以外の時に出現するということになるのだろう」
 しかも、
「なるべく、暗い時」
 ということになるのは、
「卑怯なコウモリ」
 という話が証明しているからに思えるのだ。
 だが、そもそも、
「吸血鬼ドラキュラ」
 という化け物の招待が、なぜ、コウモリだということになったのか、それは、
「吸血蝙蝠」
 というところからきているのかも知れない。
 しかし、この
「吸血鬼ドラキュラ」
 という話は、
「ルーマニアという、ヨーロッパの国が発祥だ」
 という。
 しかし、この
「吸血蝙蝠」
 と呼ばれている種族が生息しているのは、中南米ということで、ヨーロッパにいる種族ではない。
 それを考えると、
「吸血鬼」
 と
「コウモリ」
 という発想は、あくまでも、
「その性質が由来している」
 ということになるのであろう。
 それを考えると、
 あくまでも、吸血鬼といいよりも、コウモリとしての性質の方が、
「ドラキュラ」
 の話には、ふさわしいといえるのではないだろうか。
 そもそも、満月というものは、
「女性の血液を連想させるものではないか」
 それは、
「女性にしかない、一か月に一度の、生理」
 というものである。
 それを、生理の血と、ドラキュラ尾を組み合わせて考えようとすると、どうしても、
「オオカミ男」
 の話とは、
「切っても切り離せない」
 という話になるのではないかということである。
 そうなると、今度は、
「オオカミ男」
 と、
「吸血鬼ドラキュラ」
 という話との共通点を見つける必要があるということであろう。
 そのことは、
「吸血鬼と、オオカミという関係」
 を考えるのか、
「コウモリとオオカミ」
 というものの共通点を見つけることになるのか、非常に難しいものではないかと思えるのであった。
 コウモリもオオカミも、まったく共通点はないように思える。
 ただ、ホラーとしての題材としては、それぞれに単独ではふさわしいということであろう。
 それを思うと、
「オオカミもコウモリも、共通点は、何かの媒体を介するということになるのではないだろうか?
 コウモリとオオカミ、それぞれに、特徴があり、考え方もあるだろう、
 コウモリに関しては、どうしても、
「孤独である」
 ということを強調しているが、それはあくまでも、
「種族としての孤立」
 ということであり、それが、
作品名:破滅に導くサイボーグ 作家名:森本晃次