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破滅に導くサイボーグ

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「日本軍が、どんどん奥地に引きずりこまれる」
 ということは、
「中国側が、本当に意図したものだったのか?」
 ということであるが、
「結果的には、相手の思うつぼにはまってしまった」
 といっても過言ではないだろう。
「中国側のそんな意図しない戦略が、結果日本を追い詰めることになるのだが、それは、中国側が意図していないだけで、ひょっとすると、欧米列強による指示やアドバイスのようなものがあったのかも知れない」
 といってもいいかも知れない。
 何といっても、ヨーロッパでは、
「待ったなし」
 だった。
 ナチスの侵攻は、とどまるところを知らなかった。
 文字通りの、
「電撃作戦」
 というものが功を奏して、どんどんヨーロッパは侵略されていく。
 特に、フランスを降伏させたことは、日本にとってもありがたかった。
 というのは、資源確保のための、進駐先として、まずは、
「インドシナ」
 というところが問題となるのだ、
 そもそも、
「仏領インドシナ」
 という言葉があり、そのあたりは、フランス領だったのだ、
 普通でいけば、フランスが敵国になるはずなのだが、ドイツが侵攻し、そこで、傀儡政権を作ってくれたおかげで、
「仏印には、宗主国であるフランスの許可を得た」
 ということで、大義名分が整うのだ。
 しかし、列強は、そこでさらに、
「石油などの輸出を全面禁止」
 と日本に対しての、経済制裁を強くしたのであった。
 そんな日本の侵攻は、
「非難されるものではなかった」
 といえるだが、それをわざわざ、締め付けるようなことをしたのは、
「アメリカとしては、早く日本を引きずりだすことで、自分たちも戦争をする大義名分が欲しかった」
 といってもいいだろう。
 それが、世界情勢の、
「スピードを速める」
 ということの理由だったのだが、
「日本における変身を使った人間兵器」
 というものが、実際に機能していないといってもいい。
「このままであれば、まだ、10歳未満の頃に戦争が始まってしまう」
 ということであった。
 教授がくぎを刺すように、口を酸っぱくして言っていることだが、
「この兵器は、勝っていても負けていても、あくまでも、最終兵器だということをお忘れなく」
 ということを、軍には説明していた。
 しかし、軍というところは、実際に、士気が高まってくると、頭の中が、
「戦闘脳」
 になってしまうので、視野が極端に狭くなってしまい、そのために、
「戦争というものが、いかに正攻法になるか」
 と考えるようだ。
 始まってしまうと、
「なんでもあり」
 とまで考えてしまうことが、戦争というものであり、それによって、時間が短く感じるのは、
「頭が猪突猛進になってしまうからだ」
 というのが、教授の独自の考え方であった。
 ただ、どうしても、世間の声は無視できないとも思っていた。世間の声を無視できる人であれば、
「鬼になれるのだろうが、世間の声を無視できないせいで、鬼に徹することができない」
 ということである。
 世間の声を気にしるからと言って、教授が、
「聖人君子だ」
 ということではない。
 そもそも、兵器開発をする人間の、何が。
「聖人君子だというのか?」
 ということであるが、そんなことはない。
 例えば、一つの話として、
「伊藤博文は、日露戦争に反対だった」
 という話を聞くと、
「ああ、じゃあ、伊藤博文という人は、戦争反対論者で、平和主義者なんだ」
 と果たしていえるだろうか?
 日清戦争の時には、首相として、奮闘していたのだ。
 日露戦争の場合は、
「時期尚早」
 ということで、
「今、戦争になったら勝ち目はない」
 ということでの、他の方法を模索していただけであった。
 だから、伊藤博文とすれば、
「今ロシアと敵対するよりも、来るべく、対米戦に国力を蓄えておかなければいけない」
 という思いもあったことだろう。
 しかし、
「時間が経てば経つほど、ロシアとの国力が増してくるので、やるなら今しかない」
 という言葉に、納得したということでしかなかったのだ。
 一つの言葉だけを切り取るという、
「マスゴミ」
 による、常套手段をとってしまうと、
「事実を見失ってしまい、真実が遠ざかってしまう」
 ということになるのだ。
 さらには、
「人の上に人を作らず」
 といった、あの福沢諭吉だって、平和主義者というわけではなく、戦争はする時はしなければならないということであったり、中国の革命家である、孫文に肩入れしたり、助言したりしていたではないか。
 本当の、いわゆる、
「平和主義者」
 であれば、そんなクーデターを起こそうとしている人に援助をしたりはしないのではないだろうか?
「平和主義者」
 というのは、実に曖昧な表現で、平和主義者が、すべての戦争に反対しているわけではないし、逆に、戦争推進派も、相手の国に侵略し、国土を拡大するというような、独裁的な人ばかりではないということだ。
 それは、歴史認識がしっかりしていないから、そんなことになるだけで、逆に、
「歴史を勉強しないから、好きになれるわけはない」
 という理屈を同じで、それこそが、
「交わることのない平行線だ」
 といえるであろう。
 だから、その後に訪れる、
「平和な時代」
 というものを、学校で習う。
「平和憲法の下で、恒久平和な国」
 ということであったり、
「基本的人権の尊重」
 などといういうのが、
「夢幻のごとく」
 だということを分からないのだ。
「人間は生まれながらに平等である」
 という言葉があるが、これこそ、民主主義においては、
「欺瞞」
 ではないだろうか?
 というのも、
「民主主義というものの問題点は、品保の差にある」
 と言われている。
 だから、生まれてくるのも、
「誰の子供で生まれてくるか?」
 ということによえい、その後の人生が、まったく変わってしまうということは、当然のごとくあるということだ。
 だからといって。
「金持ちの家に生まれたから幸せだ」
 とも言えないだろう。
 金持ちの家に生まれると、ほとんどは、その人の人生の階段は、決まっているようなものであり、
「帝王学」
 なる、
「経営者であったり、政治家、医者になるための、いわゆる、後継者としての道しか、用意されていない」
 そのために、先代は、後継者を育てることも、大切な仕事だからである。
 だから、
「家は裕福で、何不自由のない生活を送れるかも知れないが、裏を返せば、自由というものはまったくない」
 ということになる。
 本人の意思など、まったく関係なく。親が敷いたレールに乗っかるだけで人生を終える人も多いことだろう。
 しかし、それが、封建制度の時代であったり、帝国主義時代などの、大日本帝国などであれば、その時代には、
「帝王学を叩き込まれても、立派な2代目になるということも多いだろう」
 といえる。
 ただ、
「初代が偉大過ぎると、目立たなかったり、まわりが勝手に比較することで、自分が惨めな立場に追い込まれることも少なくはない」
 それを考えると、
作品名:破滅に導くサイボーグ 作家名:森本晃次