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果てのない合わせ鏡

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「町の行政を勉強しないと分からない」
 ということであり、いくら、他の街で、町長の経験があるといっても、それは通用しないということであった。
 それを考えると、この町長は、まだこの街に来て3年目だった。
 それは誰もが知っていることであり、本来なら、町長立候補の際に、
「資格がない」
 といって、却下することもできたのだが、分かっていて、選挙に出したのだ。
 それでも、当選するから面白いもので、
「それだけ、街の人は、新しい人を求めていた」
 ということであろうか?
「毎回同じ人であったり、街に、どっぷりつかっているような人に飽き飽きしていた」
 ということなのか、この街で3年しかいないのが分かっていて、それでも、この人に票を入れるというのだから、街の人の心境はどういうことだったのだろう?
 ただ、それも、街の人で、この人に票を入れた人は、
「産業廃棄物処理所」
 というものの計画を水面下で知っていたという人だったのではないだろうか?
 考えられることとしては、
「傀儡政権」
 を作りたかったということであろう。
 この街の町長は、歴代、大体、この街の規則で、3期までが最高ということになっている。
 都会では、基本は2期なのだが、タレント議員であったり、
「他に適任者がいない」
 というような理由で、仕方がなく、3期以上している人も多いだろう。
 実際に、
「十数年市長をしている」
 などという人が多いが、そのわりに、辞める時は、スキャンダルめいたことであったり、議員が、
「やらかした」
 ことを、大きくマスゴミに報じられて、市民からは、ボロクソに言われて、それまでの実績が、一瞬にして無駄になってしまうということが多かったりするだろう。
 そんな市町村が、世の中にはたくさんある。 特にタレント議員などがやっているところでは、日常茶飯事ではないだろうか。
 長い間、公務を続けている人でも、
「この人はいい人だから、信頼できる」
 というわけではない。
 それこそ、
「他になりてがいない」
 という理由であったり、
「名前を聞いたことがあるのは、この人だけだから」
 という、いかにも、
「私は政治には興味などありません」
 という人が入れるだけだろう。
 だから、当選する。
 特に、政治に興味がない人が多い、自治体では、
「投票率が低いと当選する」
 と言われている。
 というのは、投票率がたかろうが引くかろうが、
「必ず投票にいく」
 という人が一定数いるのだ。そういう人のことを、
「組織票」
 というのだが、そういう人は、それだけの地盤を持った人であり、現職であったり、中央政党の公認を得られている人だったりになるのである。
 中央政権で、しかも与党だったりすれば、県議会に名の通る事務所だって、それぞれの地区に存在しているだろうから、それらの人が、必ず、その候補を投票するのだから、完全な固定票ということである。
 つまりは、中央からの公認政党というのは、それだけ、
「金を持っている」
 ということである。
「政治は金だ」
 と言っている人が多いのだが、まさにその通りだといってもいいだろう。
 何といっても、
「それだけの人が固定票で投票するのだから、もし、固定票が2割だとして、投票率が3割しかなかったら、それだけで、当選確実ということになるのだ」
 そもそも、フリーの票が、
「すべて対抗馬に入れられる」
 ということがあるわけもなく、もしあったとすれば、それこそ、組織票だといえるだろう。
 そういう意味で、
「組織票同士の一騎打ち」
 というような選挙が今までに行われたのかどうか、正直分からないが、どうなのだろうか?
 そんなことを考えていると、実に面白いといってもいいだろう。
 だが、今回解任された町長は、どこからも、公認されていなかったのだが、なぜか当選したのだ。
 それは、県でも、
「不思議だ」
 と言われていたが、人のウワサも75日ということで、すぐに誰も気にしなくなったのだった。
 そんな街で、町長が変わったことで、最初あれだけ、水面下で、そして、町議会で、話題になった
「産業廃棄物処理所」
 というところの建設計画は、完全なしりすぼみとなってしまったのだ。
 誰も何も言わなくなり、それこそ、そんな話題があったということを口にする人はいなかった。
「言ってしまうことがタブーだ」
 と言わんばかりだったのだ。
「世間で、タブーと言われるようになったことというのは、その後下冷えになってしまう」
 ということがよく言われているようだ。
「最初からなかったことのようにする」
 という、いわゆる、
「黒歴史」
 とでもいえるのだろうか、
「産業廃棄物」
 というものが悪いのか、それとも、
「この街に、何か、中央の思惑で動かされる」
 ということが、議会の中での長老などと言われる人たちにはたまらないことなのかということであった。
 今の長老と言われる人たちは、昭和の時代を生き抜いた人たちとは若干違っている。
 昔ほど厳しくはないが、時代背景が、
「そうは言っていられない」
 というようなものだったといってもいいだろう。
 時代は、昭和のような、
「バブル最盛期」
 とは違い、
 バブルがはじけたことであったり、行政における、
「国営事業の民営化」
 という波があったのだ。
 特に、民営化の中で、鉄道関係というのは、赤字問題がかなり大きな部分を占めていて、民営化し、株式会社になってからも、いまだに、その赤字を解消するまでには行っていないということだ。
 何といっても、
「親方日の丸」
 という時代の会社が行っていたことは、
「税金泥棒」
 といってもよかった。
「外には辛く、内には甘い」
 と言った状況が続いていたのだが、いまだにその借金を返せていないというのは、すでに、30年以上という月日が経っていながら、やっていることは、まだ、
「昔の国鉄だ」
 だということである。
「やっている基本的なことは、国鉄時代をそのまま継承し、さらに、株式会社ということで、乗客が一番のはずなのに、営利を目的にしないといけないということで、鉄道会社の理念をまったく無視するから、たちが悪い」
 と言われるのだ。
 つまり、
「最悪な状態を、さらに最悪に掘り起こしたのだ」
 ということになるのであった。
 ハッキリいえば、
「そんなことも分からない政治家たちが、民営化すれば、借金も返せるだろう」
 という安易な考えになるのだろうが、
「民営化したくらいで借金を返せるのであれば、そもそも、こんな借金になるまで、放っておくことはないのだ」
 ということで、結局、巨大ブーメランとして、その責任の所在は、
「国家にある」
 ということになるのであろう。
 そもそも、鉄道会社の理念というのは、
「乗客や、依頼された貨物を、安全に決まった時間に、目的地に届ける」
 ということが、一番に理念のはずである。
 もちろん、民営化されたのだから、そこから先、
「利益追求う」
 というのは当たり前のことであり、
「利益を出せない企業というのは、社会的には、罪悪だ」
 とまで言われるくらいである。
作品名:果てのない合わせ鏡 作家名:森本晃次