果てのない合わせ鏡
「独立国というものに、少し近づいていたのだろう」
といえる。
ただ。そこで、ロシアを刺激したのは、当然のことだった。
「日本は、ロシアと戦争をするには、時期尚早」
という考え方もあったが、
「これ以上先延ばしにすると、機会を失ってしまう」
ということで、当時、ロシアに対して、
「ロシアの南下政策」
という意味で、
「いかに対応するか?」
ということが問題となり、結果として、
「日英同盟」
が締結された。
これは、実に日本にとってはありがたいことであった。
表向きには、
「ロシアのバルチック艦隊が、ヨーロッパを回って、日本に向かう際、当然途中で、その食料などの補充が必要になることで、いくつかの港での、補給が必要であった」
しかし、
「ほとんどの港が、イギリスの支配下にあることで、ロシアの補給を拒むことができた」
というのだ。
さすがに、敵国と同盟関係にある国の息のかかったところで、寄港などできるわけもないだろう。
それを思うと、バルチック艦隊が、日本につく頃には、ボロボロの状態だったといってもいいだろう。
そのため。日本は、連合艦隊を最新鋭の状態でぶつけることができ、日本海海戦に勝利した」
というわけだ。
だが、その時、イギリスの諜報員が、かなりロシアに入り込んでいて、いろいろな情報を得られたというのは、ありがたいことであろう。
イギリスは、その後も、
「アラビアのロレンス」
などを使って、
「現地をかく乱し、自分たちの都合のいいように操る」
ということを結構やっているようであった。
そんな諜報活動という意味では、日本は、まだまだイギリスの足元にも及ばななったようだが、結局は、日本もそのあと、諜報というものの必要性を感じたことで、特務機関というものが発展していったといってもいいだろう。
そして、日本は、満州事変を経て、かの
「大東亜戦争に入ることになるのだが、
日露戦争からこっち、中国大陸、
特に満州においては、かなりの国家体制を築いているといってもいいだろう。
そもそもの、
「植民地」
と、
「傀儡国家」
というものが、どのような違いなのかということは、わからない。
しかし、日本が傀儡国家ということにしたのは、元々の日本における。
「食糧問題」
が絡んでいるのだった。
というのも、
「当時の日本は、人口が爆発的に増えていて、しかも、世界恐慌であったり、東北地方のコメの不作などがあり、娘を売らないと食事もできない」
ということが言われたりしていた。
そこで考えたのが、
「満州を占領し、まだ未開の土地に日本人を移住させ、そこを開発させて自分の土地ということにさせれば、ロシアへの抑えであったり、日本の食糧問題という二つを同時に解消できる」
という考えだったのだ。
日本において、作戦であったり、戦術的には、
「成功だった」
といえるだろうが、中国が国際連盟に訴え、調査団が組織され、その報告が、
「日本の自作自演」
ということになってしまったので、
「日本は世界から孤立し、国際連盟も脱退」
ということになったのだった。
そんな世界情勢から、さらに日本は、中国に進出することで、次第に、全面戦争に突入することで、
「世界大戦がアジアにも飛び火する」
ということになったのだ。
そんな間にも、日本における諜報活動も大きかったことだろう。
中国に対しての、けん制もあったのだが、なかなかうまくいかないということもあり、「日本が孤立する」
ということからも、
「特務機関」
というものが、活躍するということになるのだろう。
日本という国は、他の国に比べて、どうしても、
「遅れている」
という意識が強いだろう。
しかも、決定的な問題は、
「資源のない国」
ということだったのだ。
だから、今まで日本が敵国として相手をした国は、
「みんな大国」
ということで、
「日本が勝つためには、決まった方法しかない」
ということであった。
その一つに、諜報合戦というものがあるであろう、
日露戦争の時のように、日本が、どこかの国と結んで、諜報活動ができていれば、少しは違ったのだろうが、何しろ、
「大東亜戦争」
というのは、世界の列強といわれる、
「米英蘭」
を敵に回したからだ。
というのも、太平洋上、あるいは、東南アジア系の国というのは、そのほとんどが、それらの国の植民地である、
「フィリピンがアメリカ」
「香港やシンガポール、マレーなどが、イギリス」
「インドネシアがオランダ」
ということになっていた。
ただ、ここにフランスがないのは、ある意味、不幸中の幸いだったのかも知れない。
というのも、当時のフランスはm日本と同盟国のドイツに侵略され、そこには、ドイツの傀儡国家である、
「フィジー政権」
というものが樹立されていたのだ。
だから、戦争前夜における、
「仏印進駐」
というのは、あくまでも、
「フランス政府の同意の下」
ということであるが、これは明らかに、
「傀儡政権」
というものの、
「おこぼれに預かることができた」
ということであり、そういう意味でも、
「傀儡国家」
というものの都合のよさがわかっていたということであろう。
日本という国において、この戦争は、
「アジアを、アングロサクソンから解放する」
というのが、スローガンだったのだが、それは間違いではない。
戦争に負けたことで、
「勝てば官軍」
ということで、日本は、
「アジアを侵略した」
という悪い印象を与えたが、実際には、
「日本敗戦後」
に、ほとんどの国が解放され、
「一度は退却した宗主国がまたやってきたところを、それぞれの国が独立戦争を起こし、ゲリラ戦などにおいて、独立を獲得したのは、ある意味、日本の成果なのかもしれない」
ただ、この問題はそんなに簡単ではなく、
「信憑性がどこまであるか?」
ということになるが、
この独立運動、さらには、
「独立戦争」
ということにおいて、
「社会主義国」
というものの、思惑が働いているということが言われている。
特に、彼らの先頭方式は、
「ゲリラ戦」
というものが多い。
これは、日本軍にも多いことであったが、独立戦争においては、統率がとられているということから、ほとんどが成功している。
その社会主義国というのは、ソ連であり、彼らの諜報部員が各国で暗躍することで、武器の供与であったり、戦闘方法の教授であったりと、
「ソ連の影響が大きい」
といってもいいだろう。
それを考えると、元々日本は、
「日ソ不可侵条約」
というものを結んでいたのだ。
これを、
「ソ連が一方的に破棄し、日本に侵攻した」
ということになっているが、実は、その前に、
「ソ連との密約があった」
ともいえるのではないだろうか?
「ソ連というものを、アメリカの仮想敵国」
ということにして、
「東西冷戦」
というものを、どうしても作りたかったという組織があったのではないか?
というのは、奇抜な考えなのであろうか?
それを思うと、
「社会主義国というのは、恐怖政治に成り立っている」