果てのない合わせ鏡
「このまま、政府の言いなりになっていると、、目に見える最悪を防ぐことはできない」
ということであった。
まず、一つの大きな問題は、
「地球環境問題」
であった。
「地球温暖化」
いや、
「地球沸騰化」
と言われる現状としては、最初に考えていた、
「青写真」
から、想定以上に早く、
「地球滅亡のシナリオ」
が進んでいるようだった。
実際に、そのことは、政府もわかっていたようだ、
有識者の研究、さらには、海外からの情報によって、
「このままでは、地球が生き残ることはできない。何といっても、最初の計画よりも、進行がかなり早い状況だ」
ということは、すでにわかっていたのだ。
国民もそうであろう。
「毎年夏になると、体温よりも、はるかに高い気温が、襲い掛かってくる」
というのである。
ここ数十年で、最高気温の高さが、5度くらい上昇しているといってもいいくらいなので、それだけでも、大変なことであった。
さらに、その影響による、
「異常気象の数々」
マスゴミや政府の呼びかけで、昔、こんなことを言われたことなどなかったのに、今では率先して言わないといけない事態になったことだろう。
というのは、
「命を守る行動をしてください」
という言葉であった。
今までなら、
「気を付けて行動してください」
だったものが、今では、
「決して表には出ないでください」
と、今までのような、
「危険な場所には近寄らないでください」
という言い方だったものが、その程度であれば、国民はまともに話を聞いてくれない。
その心がどこにあるかというと、
「注意喚起が何であろうと、自分の思った行動をする」
ということで、逆をいえば、
「それだけ、国家やマスゴミのいうことは、信用できない」
ということになるのである。
それを果たして、そのように解釈すればいいというのだろうか?
さすがに、日本は、
「戦争放棄の平和な国」
という建前があるので、言い方を変えれば、
「平和ボケ」
の国である。
だから、国民は、
「どういうことが、本当に危険な行動なのか。身に沁みないと分からないのだ」
そのため、簡単に無謀な行動をして、結局嵐に巻き込まれ、命を落とすということになるのだ。
一つは、
「国民をいい方に導くはずの政府が、私利私欲に塗れ、自分たちさえいいとうことを考えるようになった」
ということがあるからだろう。
だから、考え方としては、
「自分たちが、政権にいる間。さらには、生きている間に、地球滅亡などということが起こるわけはないだろうから、「未来の人間のことなど知るか」と思っていることだろう。そうなると、国家を憂うることなどない」
というものだ。
かつての大日本帝国というのは、軍国っ主義で、天皇中心の中央集権国家だったといってもいいのだろうが、少なくとも政府も軍部も、
「日本の将来を見据えて、行動していたのだ」
といえるだろう。
「226事件」
などに代表される
「軍事クーデター」
などというものも、あくまでも、
「国の将来を愁いてのことだった」
といってもいいだろう。
だから、クーデターに失敗し、天皇から、
「反乱軍」
の烙印を押された青年将校が、軍を原隊に返すという時に、
「諸君たちの行動が正しかったことは、歴史が答えを出してくれる」
という演説になったのだ。
つまり、
「あくまでも、自分たちは、信念をもって行動しているのであり、その証明は、未来がしてくれる」
ということで、いい悪いはべつにして、
「信じた道を突き進む」
ということで、
「行動は国を愁いてのこと」
であったのだ。
少なくとも、今の政府のような、
「自分たちのことだけしか考えていない」
という、
「腰抜け政府」
とは違っていた。
今回の野党による、
「W大学を使っても研究が、どのようなものになるか」
おいうことは、今の段階では、
「神のみぞ知る」
ということであろうが、
「国家を憂うる気持ちは、かつての大日本帝国の、軍人や政府の人間に追いついている」
といってもいいだろう。
彼らが提唱する、
「アナフィラキシーショック」
への注目は、
「有識者」
による助言からではなかった。
野党の政治家が提唱したもので。それを有識者が、
「追認した」
ということである。
そもそも、国会議員に立候補して、政治家になる人というのは、それまでやっていた職業が、
「学者」
であったり、
「医者」
であったりという人も多い。
中には、
「実業家」
であったり、もっといえば、
「タレント議員」
などと言われる輩も多いことであろう。
前者は、本当の有識医者であり、後者は、
「選挙において、いかに、知名度の高い人を集めるか?」
ということで、その人たちは、当選してからの政治要因ではなく、党としての、得票のための、
「人数合わせでしかない」
ということになるのだろう。
「選挙において、金と名声は不可欠だ」
ということでの、
「宣伝」
というところを担うという意味で、
「こちらも不可欠だ」
ということになるのだろう。
だから、表に出てくるのは、そんな
「宣伝部隊」
ということなので、そもそも、
「政治家の先生」
というものが、
「国家を動かすことになる」
ということが分かっていないので、
「政府は行き当たりばったりで。信用できない」
と思えてくるのだろうが、
「実際には、そんなことはない」
ということであった。
だから、
「アナフィラキシーショック」
というものが、今の世の中において、
「きっと何かの役に立つに違いない」
ということを信じて、日夜研究を重ねているのであった。
同じ時間を、
「自分たちの私利私欲のためだけに、接待や営業めいたことしか考えていない。実際に表に出てきている政治家などとは、まったく違っている」
といっていいだろう。
最初、
「アナフィラキシーショック」
というものに着目した時、感じていたのは、
「アナフィラキシーショックというのは、悪いことばかりではなく、今最悪な結果にもたらされている原因は、電気を発生させるところにある」
ということを提唱している学者がいたのだ。
しかし、その研究は、今のところ、信憑性があるものではなく
「電気を起こすから、まずいんだ」
とかんがえられていたのだが、この黒川博士の考えることとしては、
「その電気を分離させることで、今は悪い方にしか向いていないが、いい方に二つに分離させる」
と考えていたのだ、
その研究が今、W大学で行われていることであるが、そのうちの一つとして、
「超能力が生まれるのではないか?」
と考えられることであった。
超能力というのは、
「人間の脳の中で、使われていないという、いまだにまっさらな部分を刺激して、そこから潜在している力を引き出す」
というものであった。
それには、一つ考えることとして、
「電気を発生させ、そのショックを与えることで、人間の脳を活性化させる」
という考えであったが、ちょっと考えると、