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疑心暗鬼の交換殺人

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 ということが大前提であり。それを踏まえた上で、次に、
「人間の命令には、服従いなければいけない」
 ということになる。
 だから、いくら人間の命令だからといって、
「人を殺せ」
 という命令を出すのであれば、それは、明らかに本末転倒だといえるであろう。
 もう一つは、
「ロボットは、自分の身は自分で守らなければならない」
 ということであるが、この項目に限らず、あくまでも、この三原則は、ロボットのためではなく、
「人間のため」
 なのだ。
 だから、自分の身を自分で守らなければいけないというのは、ロボットのためではなく、
「ロボット開発のためには、高額の金がかかっている」
 ということで、変な命令の中に、
「自爆しろ」
 などという理不尽な命令は聞かなくてもいいということにしないといけないのだ。
 そんな三原則を組み込むことと、もう一つ、ロボット開発において、ネックになるものがあるのだ。
 それが、一種の、
「フレーム問題」
 と言われるものであり、これは、実は、
「タイムマシン開発」
 における、一種の、
「タイムパラドックス」
 というものにも、絡んでくるということであった。
「タイムパラドックス」
 というのは、いくつかあり、一番よく言われるのは、
「過去に戻って歴史を変えてしまうと、自分が生まれなくなる可能性がある」
 ということから始まった。
「自分が生まれたから、過去に戻って歴史を変えたので、自分が生まれなくなった」
 ということは、矛盾している。
「生まれないと、過去にも戻れないから、生まれることになる」
 と考えると、どちらの化膿性を考えても、そこに矛盾しか残らないということである。
 もっといえば、
「タマゴが先か、ニワトリが先か」
 という考えであり、
「タイムループにも絡むことではないか?」
 と言われることでもあった。
 そんな発想が、
「タイムパラドックス」
 ということになるのだが、
「フレーム問題」
 というのは、
「ロボットは、人間から受けた命令を忠実に守ろうとするが、次の瞬間に何が起こるかということを考えて行動できるかどうか?」
 という問題があるのだ。
 例えば、洞窟にある燃料を取ってきてほしい」
 という命令を出すと、ロボットは、一歩も動けなくなるというのだ。
 それは、次の瞬間の無限に存在する問題を解決できないということであり、つまりは、
「無限に存在する可能性から、何が正しいのかということの判断ができない」
 ということだ。
 そのために、考えたのが、
「それぞれのパターンに分けてしまえば、無限が有限になるのではないか?」
 ということであったが、この考えは、ほぼ秒殺で打ち消されることになるだろう。
 なぜかというと、無限の可能性があるものをいくつかに分けるということは、数学の計算式で考えても、
「無限を何で割っても、無限にしかならない」
 ということである。
 この公式で考えれば、やってみてから、
「ああ、そうだった」
 ということにはならないだろう。
 もし、無限の可能性をpパターンに分けていくとすれば、
「永遠に終わらない」
 ということに、いつ気づくかというだけの問題だ。
 つまりは、これこそが、
「無限ループ」
 と言われるものである。
「ロボットの開発が進まない」
 ということは、この、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
 という発想の、
「タイムパラドックス」
 が解決しないと、いけないということであり、それがしいていえば、
「フランケンシュタイン症候群」
 を解決できないということになり、
「人間は、永遠に、自分たちよりも、強かったり、頭脳が上の生物を作り出してはいけない」
 ということへの戒めになるのだろう。
 だから、
「神に近づこう」
 としたことが、
「いけないことだ」
 ということになるのだろう。
 それを考えれば。
「ロボット開発も、冗談では済まされない」
 ということになる。
 それこそ、人類の文明を、自分たちが作り出したものに、滅ぼされるということになる。
 つまりは、
「フランケンシュタイン」
 だけではなく、
「聖書」
 であったり、他の神話にも同じような話がある。
 ということは、
「それだけ、人間にとって、容易に発想できるということであるが、それでも、人間は、ロボットや、サイボーグを作ろうとする」
 ということは、それこそ、
「自殺行為ではないか?」
 と思うのだが、違うのだろうか。
 それを考えると、
「決して許されることではない」
 ということを閃くように、せっかく作られているのに、
「それを教訓として受け入れることができないというのが、人間だ」
 ということになるのだろう。
 人間というものは、確かに、
「自分たちが知っている動物の中では、一番賢くて、偉いと思われている動物だと思うのだが、一番愚かなことを繰り返す動物でもある」
 ということなのだ、
 それが、
「核開発に代表される」
 自分たちで、自分たちを滅ぼす兵器の開発だ」
 といえるのではないだろうか。
 まるで、
「ヘビが、自分の身体を尻尾から、飲み込んでいるかのようではないか?」
 ということである。
 結局、
「見つけることができない」
 という答えを、
「見つけることができないなどということはない」
 という思い込みで突き進むことで、それ以外が見えないという暗示に、引っかかっているのかも知れない。
 それはあくまでも、
「堂々巡りなので、出口などあるわけがない」
 という当たり前の発想ができていないのだろう。

                 殺人予告

 時間がどれくらいすぎたのだろうか?
 安西が中学生だった頃から、10年は経ってしまっていることだろう。
 その間にいろいろなことがあったが、時代が、
「平成から、令和」
 というものに変わったというのが、大きかっただろう。
 細かいことをいえば、その間に、
「世界的なパンデミック」
 という、致死率の高いウイルスの伝染というのが、世界的な問題となり、今だ解決はしていないが、ある程度落ち着いてくるというまでに、4年という歳月が経っていた。
 ウイルスというのは、
「変異をするもの」
 ということで、普通の生物のように、
「細胞分裂」
 によって、成長するものではないのだ。
「変異」
 をすることで、人間などの動物の本能として作る、
「抗体」
 というものが効き目をなくすということになるのだ。
 本当であれば、
「そのウイルスが侵入してきた場合、そのウイルスに対抗できるだけの抗体を自分の身体に作ることで、その侵入を許さなかったり、入ってきても、戦うことができる」
 ということである。
「未知のウイルスではないの、それだけ抗体の力が強い」
 ということだ。
 だから、小児がよく罹る、
「おたふくかぜ」
「水疱瘡」
「はしか」
 と呼ばれるものは、基本的に、
「一度罹ってしまうと、二度と罹らない」
 と言われていたりするのだ。
 だから、今回の、
「世界的なパンデミック」
 を引き起こしたウイルスというものも、
「二度目は罹らない」
作品名:疑心暗鬼の交換殺人 作家名:森本晃次