疑心暗鬼の交換殺人
子供が大人になってなりたい職業の中に、昔であれば、
「野球選手」
「サッカー選手」
というのは入っていたらしい。
だが、今の時代は、そんなことはないという。
「ユーチューバー」
なるものが、一位になったりしているのだ。
なぜ、
「ユーチューバー」
なのだろうか?
やはり、自分で企画して、演出から撮影まで行って、アップするというところに、
「創作」
ということが、意欲として、芽生えるからなのではないだろうか?
それを考えると、
「ユーチューブ」
というのは芸術で、映像作品という、芸術を自分で生み出すということで、しかもそれがバズったりすれば、大金が入ってくるなどということになれば、これほど嬉しいというものはないだろう。
だから、安西は、
「絵や工芸などを、自分の生業にしよう」
という気持ちがあるわけではないようだ。
どちらかというと、
「絵が好きだ」
というわけでもなく、ただ、
「部長がいれば、癒しを感じながら部活ができる」
と思ったからだった。
自分にとっての部活というのは、元々、
「不純な動機から始めたものだ」
という意識があったので、
「どうせ、ユーチューバなどになれるわけもない」
とは思っていたが、
「創作」
ということが、
「自分がやりたいと思っていることだったのだ」
ということは感じるようになっていたのだ。
だから、
「部長が気になった」
という不純な理由だけではなく、
「創作というものに、興味があった」
というのが、動機の両輪だとすれば、
「こちらを表に出していきたい」
と思うのだった。
だから、
「部長が気になって」
という理由は、
「墓場まで持って行くか?」
という気持ちもあったようだが、それを許さなかったのは、
「いちかに看破されたからではないだろうか?」
ということであった。
いちかも、最初こそは、
「兄貴が好きになった女性って、どういう人な人なんだろう」
という思いで、中学の美術部を見にきたのだった。
「さぞや、キリッとした女性なんだろうな」
と思っていたが、確かに、部長は、
「キリッとした態度を取れる女性だ」
ということに違いはなかった。
しかし、いちかが思っていたタイプの女性とは違い、正直。
「あれ?」」
といちかは思ったようだ。
その理由としては。
「あれ? お兄ちゃんの好みのタイプって、こういう女性だったっけ?」
と思ったのだ。
いちかは、まだ小学生であったが、すでに思春期に入っていて、すでに、初潮もあったという。
さすがに、おおっぽらに家族の誰もが公言したわけではないか、その日は、
「赤飯に、鯛の尾頭付き」
だったのだ。
しかも、主役はいちかだったようで、
「まるで、水泳大会に優勝でもしたのではないか」
と思ったほどだった。
だが、その頃には、すでにいちかの中で水泳熱は冷めていたようで。苛めの標的になっていた。
そんないちかへの苛めは、すぐになくなったという。それは、苛めのそもそもの原因としても、
「首謀者による、いちかへの嫉妬がなくなってきたのだ」
といえるだろう。
いちかに対しての嫉妬や怒りは、あくまでも、
「水泳をしているいちかだった」
ということなのに、気が付けば、いちかを誰も攻撃することはなくなったのだった。
というのも、肝心のいちかが、
「水泳大会にも出てこない」
ということだったからだ。
彼女たちからすれば、
「自分たちの苛めから、大会に出てこなくなった」
と思ったようだが、それ以前に、水泳熱は冷めていたということだ。
水泳大会には出ていたのだが、それは、
「誰かが出ないと、選手が決まらない」
ということで、下手をすれば、ホームルームの時間を延長してでも決めかねないという状態は嫌だった。
それは、いちかだけでなく、他の生徒も同じだった。
だから、
「どうせ誰も立候補なんかしないんだから」
ということで、必然的にいちかだけになっていた。
最近では、ライバルと思しき彼女が立候補するので、別にいちかは出なくてもいいのだろうが、
「出ないといけないような雰囲気に、すでになっていた」
ということであった。
水泳大会は、いちかにとって、
「好きでも嫌いでもない」
というくらいの曖昧なもので、
「選手として選ばれたのであれば、一生懸命にやるだけだわ」
と思っていたようだ。
しかし、やってみると、何が楽しいというのか、
「中学に入ってまでやることではないわ」
と思っていた。
だから、ライバルによる嫉妬が、
「苛め」
に発展するなど、思ってもみなかったことであった。
そこで、
「じゃあ、中学に入ったら何をするか?」
と考えた時、
「兄貴の美術部なんて面白そうだわ」
という思いがあったのだ。
だから、美術部見学を言いだしたのだし、
「ついでに、兄貴が好きになったと言われている、部長さんを拝んでみようかしら」
と思ったのだ。
確かに、
「この時の、安西が好きになった部長を見にいく」
というのは、
「ついで」
だったのだ。
いちかにとって、一番の優先順位は、
「美術を志していいのか?」
というのを、
「小学生の目から見てみたい」
ということだったのだ。
実際に見てみると、
「なるほど、これは嵌ってみたいかも知れないわ」
と感じた。
その一番の理由は、
「皆、作品を前にしている時の、真剣なまなざしは、本当によく似ている」
と感じた。
一人一人は、まったく違う顔なのに、真面目に取り組んでいる顔は見分けがつかないくらいであった。
それを思うと、
「一所懸命にやある姿に、個性はないが、その分、作品に個性が込められている」
と、いちかは感じた。
いちかが、
「創作ということの面白さ」
というものを感じたのが、この時だったわけである。
ただ、この思いは、いちかだけではなく、兄の安西も感じていた。
「創作というものが、どれほどのものか?」
ということの全体像は分かっていない。
しかし、小学生のいちかに分かるのに、すでに入部して、先輩たちを見ていると、自ずと分かってくるものであった。
しかし、まさか、まだ小学生で、入部もしていない妹が看破していようなどと、思ってもみなかった。
だから、中学に入ってから入部しても、途中で嫌だとも思わなかったこともあって、
「俺がやりたかったことって、これだったんだな」
と感じるのだった。
この思いは、
「部長と一緒にいられる」
という思いではなく、もっと大きなものだったのだ、
確かに部長と一緒にいて、安心するという気分になるのは、何といっても、部長には、
「癒し」
というものがあるからだった。
しかし、癒しというのは、
「一生懸命に何かをこなして、その後に訪れる満足感であったり、達成感というものを自分の中で、盛り上げる作用がある」
というものではないかと感じるのだった。
だが、それでも、
「部長と一緒にいる」
と感じる感覚は、どうやら、錯覚のようであった。
「部長が、自分のことをどう感じているか?」
ということが気にならないわけではない。