疑心暗鬼の交換殺人
という意識があるから、
「嫌な視線だ」
と感じたのだろうが、やつの視線は、何も珍しいものでもない。
「他の男性と同じ視線」
ということで、女性の反応は、何もその男にだけするものではなく、同じような視線を浴びせてくる男性に対してと同じことだった。
つまり、
「彼女たちの性格が、現れていただけだ」
ということになるのを感じていたのだ。
それを考えると、
「俺にとっては、つかさはつかさなんだ」
ということで、つかさにいくら彼氏ができたからといって、他の女性に目が行くということはなかった。
ただ、その割に、
「悔しい」
という気持ちは不思議と少なかった。
だからといって、
「おめでとう」
という気持ちにもなれない。
それは逆に、
「悔しい」
という気持ちと、
「おめでとう」
という気持ちがそれぞれあって、お互いに打ち消して、相殺しているという気持ちの表れなのではないか?
とも考えられるのだった。
妹のいちかは、その半年後、公言通りに入学してきてから、美術部に入部した。
安西としては、いちかの入部に関しては、
「半分半分くらいの確率かな?」
と思っていた。
本当だったら、
「妹のことだから、運動部に入部したかも知れないのにな」
と思った。
それは、まだ二人が、小学生の低学年だった頃、オリンピックで水泳を見て、
「私、水泳選手になりたいわ」
と言っていたのを聞いて、
「そっか、妹は水泳をするんだ」
と思ったものだった。
というのも、兄である自分が、喘息で運動ができないということで、
「その分、妹が頑張ってくれるんだ」
という思いがあったのも事実だったが、自分も一緒に水泳の試合を見ていて、
「決して妹とは違う意識を持っている」
ということはないと感じていたことを、中学2年生のその時だったら分かる気がするのだ。
あの時の水泳選手は、輝いていた。それは、
「自分たちにはできないことをやった」
ということで、表彰されるのは当然のことだろう。
だから妹も、素直に、その選手を見て、憧れを持ち。
「私もあんな風になりたい」
と感じたのだろう。
だが、実際には、そんなことはなかった。妹のその時の気持ちは、尊重されるべきものなのだろうが、兄である安西は、その時、まったく違った意識を持っていたことを、いまさらながらに思い出すのだ。
「表彰されて、ちやほやされて、羨ましい」
という思いがあった。
しかし、
「俺には、あんな風にはなれない」
と思ったのだが、それは、
「喘息があるからだ」
と思った。
しかし、喘息があるからといって、
「俺にはあんな風にはなれない」
と感じたのだが、実際には、
「元々身体を動かすことが嫌いだった」
というのを、完全に、
「喘息のせいだ」
ということで、言い訳にしている自分がいるのを、感じていた。
それは、複雑な心境だったのだ、
「喘息があるから、やらなくてもいい」
しかし、
「それが言い訳であり、まわりはごまかせても、自分をごまかすことはできない」
ということであり、そんな思いを、自分で同消化すればいいのか分からなかった。
妹は、そんな兄とは別に、単純に選手を見て、
「羨ましい」
と感じ、
「自分もあんな風になりたい」
と思ったようだ。
だから、小学校でも、水泳は得意であり、水泳大会の選手に、いつも選ばれていて、複数競技に出ていたのだった。
水泳ができるようになると、
「中学では、水泳部に入ろうかな?」
と、まだ3年生の時から言っていた。
ただ、それからはあまり言わなくなったので、
「水泳熱が冷めたのかな?」
と思っていたが、そこは、本人の気持ちであり、どう感じているのかは、兄であっても、まったく分からなかった。
いちかは、水泳部に顔すら出していないようだった。
これは後で聞いた話だったが、小学生の頃に、同じクラスの女の子で、水泳が得意な女の子がいたという。
その子は、確かに選手としての素質もあったようで、本人は、
「いずれは、水泳でオリンピックを目指したい」
ということを言っていたらしいのだが、どうも、一度も一位になったことがないという。
その前に立ちふさがったのが、いちかだというのだ。
いちかは、そのために、
「いわれのない苛め」
と受けたのだという。
ちょっとしたことで、その子のグループから嫌がらせのようなことを受けていたのだ。
いちかは、その理由を正直分かっていなかった。苛めの首謀者はその子だと―いうのはわかっていたが、
「まさか理由が水泳だったなんて」
ということで、六年生の頃から、学内の水泳大会に、立候補もしなくなったのだ。
その時から、水泳が、一気に嫌いになった。
正直いうと、そこまで好きだったわけでもない。
小さい頃に見たオリンピック選手へのあこがれは、すでに消えていたのだ。
だからといって、何か、
「他のことをやりたい」
という気持ちにもならなかった。
ただ、中学に入れば何か他のことをしてみたいという思いはあったようで、それが、兄が始めた美術だったというわけだ。
いちかは、美術関係のことが、好きでも嫌いでもなかった。
どちらかというと、
「嫌いではない」
というくらいであろうか。
だから、何かのきっかけさえあれば、
「美術をしてみたい」
と思っていたのだ。
だから、小学生の取、
「美術部を見てみたい」
と思ったのは、それが理由だったのだ。
兄の安西が憧れている部長のつかさを見ると、
「なるほど、これなら、兄貴が惚れるわけだ」
と思ったのだ、
何と言っても、女の自分が惚れたのである。
「憧れの先輩」
という意識は、兄弟ともに一緒ではあった。
いちかにとって、
「憧れは、美術と部長」
ということになっていたのだ。
そういう意味では、
「ただ、部長に憧れて入部しただけの、俺よりは、マシなのかも知れないな」
と安西は思っていたが、ただ、それは、安西としても、無理もないことであった。
「喘息がある」
ということで、運動部は断念しなければならない。
ただ、それは表向きで、そもそも、身体を動かすことは好きではなかった。
「汗と涙の青春」
などという、
「臭い青春時代」
だと思い、最初から運動部は眼中になかったことだろう。
それを、
「喘息のため」
ということで、あたかも断念したかのようで、
「いい、理由ができた」
とある意味、ほくそえんでいたということである。
ただ、喘息というものが、そんなにも、大きな影響があったとは思ってもみなかったので、
「実は、本当は運動をしてみたい」
という気持ちが、
「心のどこかにあったのではないか?」
とも、どこかで感じるのであった。
だが、その気持ちを、きっぱりと遮断してくれたのが、例の、
「サッカー部と揉めた事件」
だったのだ。
サッカー部というのは、男の子なら、
「憧れの部活だ」
といってもいいだろう。
昭和の頃なら、野球部が花形だっただろうが、平成からこっちは、サッカー部も、その双璧の一つを担っていることだろう。