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疑心暗鬼の交換殺人

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 何といっても、時効が完成すれば、もうその事件は、
「事件ですらなくなる」
 ということになるのだ。
 だから、
「未解決ファイルから外れる」
 ということになり、
「増えてはいくが、減ってもいく」
 ということになる。
 下手をすれば、時効撤廃ということになれば、
「事件発生から、100年経っても、未解決ファイルの書庫にしまわれるといことになるだろう」
 と考えると、さすがにどこかで整理をする必要があるだろう。
 となると、
「時効がなくなったといっても、警察が事件として認識する期間は限られている」
 というのではないかと考えるのはおかしなことであろうか。
 そもそも、警察というところは、
「事件性がないと、動かない」
 という、
「悪しき体質」
 というものがあるではないか。
 それを考えると、
「事件がいつまで有効なのかということを、犯人側が分かっている必要がある」
 ということであろう。
 もちろん、この考えは、
「作者の勝手な判断なので、実際には、本当に、永遠に、未解決事件として、残されていくのかも知れない」
 ただ、表向きと裏とでは、相当な違いがあるというのは、
「警察においても」
 いや、
「警察だからこそ-」
 あるのかも知れないということになるであろう。
 そんな中で、一人の男が、
「完全犯罪としての、交換殺人」
 をもくろんでいた。
 そもそも、交換殺人が、どうして、
「心理的に不可能なことなのか?」
 ということであるが、交換殺人というものの特徴を考えてみれば分かってくることである。
 交換殺人を行うメリットとしては、
「教唆犯と、実行犯がそれぞれいて。それをお互いか交換するように行う犯罪だ」
 ということである。
 つまり、成立要件としては、
「お互いに死んでほしいと思っている人がいることが前提」
 であるというのは、当たり前のことである。
 そして次には、
「どうして交換殺人を敢えて行うのか?」
 ということは、
「交換殺人」
 というものに、メリットがあるということだからだろう。
 前述のように、
「教唆犯と、実行犯が別々にいるということは、実行犯には、被害者を殺す動機がないということで、もっといえば、まったく面識がない人間と言ってもいいだろう。それくらいの人間でないと、交換殺人を行うには、成功に導くことは難しいことだろう」
 といえるのだ。
 教唆犯は、その時に、
「鉄壁のアリバイ」
 を作っておく必要がある。
 実行犯ではないのだから、どれだけ遠くにいて犯行が不可能だということにしておけば、疑われても、
「鉄壁のアリバイ」
 のおかげで、犯人だと疑われることはないに違いない。
 そして、こうやって、第一の犯罪を構成してしまえば、このままであれば、実行犯だけが、いくら、利害関係がないとはいえ、何かの物証から犯人であると見つかれば、立場は悪くなるだろう。
 だから、今度は、逆に、
「最初の実行犯が死んでほしい相手を、最初の教唆犯が、実行犯となり、最初の実行犯が教唆ということになれば、お互いに利害のない相手を殺すということで、一見完全犯罪が成立するということになる」
 ということであった。
 だが、難しいのは、ここであり、
「第一の犯行が終わってしまえば、最初の教唆犯は、危険を犯してまで、相手のために、殺人を行う必要なないのだ」
 ということになる。
 自分には、鉄壁のアリバイがあり、実際に手を下したわけでもなく、警察も一応、容疑者として調べはしたが、
「鉄壁のアリバイ」
 というものが存在するということで、早々に、
「容疑者から外れる」
 ということになるということである。
 だから、
「交換殺人というのは、最初に実行犯になってしまうと、大きな損となり、自分が死んでもらいたい人が死んでくれた人は、大きな得となるということが分かり切っているので、心理的には不可能な犯罪だ」
 ということになるのだった。
 ただ、これも、探偵小説としてであれば、
「叙述トリック」
 ということで、まったく交換殺人だということを明かさないで進んでいくという本格派探偵小説になるのであるが、逆に、
「ある程度のところで、これが交換殺人だ」
 ということを明かしておいて、それぞれの人間を取り巻く環境であったり、その心理的な葛藤を描くということで、敢えて、探偵小説というよりも、
「人間ドラマ」
 としての様相を呈することで、事件を完成させようという話に持っていくというのも、一つのやり方であろう。
 こうなってしまうと、
「探偵小説」
 ではなくなり、どちらかというと、
「社会派小説」
 という様相を呈してくるだろう。
 昭和における戦前戦後という時代を謳歌したのが、
「探偵小説だ」
 ということになると、復興が進んでいくうちに見えてくる小説として、
「インフラの整備」
 であったり、
「好景気に沸く日本を背景とする」
 という意味で、社会問題が噴出してくる社会を描く作品が増えてくる。
 それが、
「公害問題」
 であったり、
「貧富の差」
 あるいは、
「差別問題」
 などと、それまで生きることに必死だった時代を超えていくということで、事件というものが、心理的なものや、人間関係という、大きな企業の中で渦巻いているものが主題となってくるのであった。
 だから、社会派小説であったり、当時流行った、
「刑事ドラマ」
 というのは、1時間番組で、その中での
「一話完結」
 というのが多かったりしたのだ。
 小説でいえば、
「短編集による、連作小説」
 と言ったところであろうか。
 交換殺人というのも、そのような、
「頭脳的なトリック」
 といってもいいのだろうが、
「この犯罪も、諸刃の剣のようで、メリットとデメリットが多すぎる」
 といえるだろう。
 得てして。
「メリットとデメリットに差がありすぎるものは、犯罪には向かない」
 といえるのではないだろうか。
 特に、単独犯ではなく、共犯もしくは、共同正犯などというものが絡む場合は、
「どうしても必要な時はしょうがないが、なるべく、共犯というのは、少ない方がいい」
 ということになる。
 特に昭和の終わり頃の推理小説などには、
「共犯として、犯罪を犯した相手が、その分け前がなくなったということで、他の犯人を脅迫し、金を脅し取る」
 などということからの、脅迫を排除するために犯す犯罪というのも、多かったりした。
「共犯というものが、デメリットだとすると、交換殺人が、もし、その遂行が成功したとしても、永遠に安全だ」
 ということではないということだ。
 元々の犯行が、
「計画された犯罪」
 という場合と、
「やむを得ず犯行を犯さなければならない状況に陥ったことで、発生した犯罪であったりした場合は、その犯行をカモフラージュするために、後から考えたものとして、その計画がずさんなものである」
 といえるのではないであろうか?
 それを考えると、犯罪を行った場合、共犯などがいれば、相手とお金を山分けする場合、
「二人が絶対に遭わないようにする」
 ということにしておくということは、もちろんのことだったはずだ。
作品名:疑心暗鬼の交換殺人 作家名:森本晃次