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影のある犯罪計画

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 それを考えると、天皇が怒り狂ったというのも当たり前のことである。
「お前たちが二の足を踏むなら、私自らが、総大将となって、反乱軍を討ち取る」
 とまで天皇に言われては、彼らを反乱軍とするしかないのも仕方がないことだ。
 反乱軍としても、自分たちを天皇が認めてくれなかったと思えば、もう投降するしかないのだった。
 何といっても、勝手に天皇の軍を動かしたのが一番の間違いだったのだ。
 したがって、反乱軍の責任者である青年将校たちは、その場で自決したり、投降して、自分たちの言い分を、軍法会議でぶちまけるということを考えたていたようだが、実際には。
「弁護人なしで、非公開の中、全員死刑」
 という、最高の刑が処せられた。
 これはやはり、天皇というものが、
「自分というものを使っての、派閥争いを。しかも、天皇の軍で行った」
 ということを分かっていたからであろう。
 いわゆる統帥権というのは、大東亜戦争が起こった時でも、一番大きな問題は、
「戦争指導者というものが誰なのか?」
 ということであった。
 基本的にいえば、国家元首である天皇だということは、誰の目にも明らかであるが、天皇は、他の国のような、
「独裁者」
 というわけではない。
 特に、同盟国である。
「ナチス党のヒトラー」
 でも、
「ファシスト党のムッソリーニ」
 でもないわけだ。
 国家元首こそが法律というような世界ではなく、日本の場合は、あくまでも法律があり、それに従っての元首である天皇は、完全に他の国とは違っていた。
 実際に表に出てくるわけではないし、大本営には、大元帥として出てはくるが、あくまでも作戦を考えるのは、参謀総長以下の参謀本部の面々だからである。
 ただ、軍というのは、天皇直轄なので、政府は立ち入ることができない。
 特に陸軍というのは、
「陸軍省」
「参謀本部」
 と二つに分かれていて。実際に軍令を行うのが、参謀本部である。
 となると、陸軍省の陸軍大臣と、参謀本部の参謀総長を兼ねるということになると、
「権力が一人に集中する」
 ということで、
「慣例的に、してはいけないこと」
 ということになるのだった。
 だが。実際に戦争になってしまうと、戦争開始時の首相であった、東条英機は、陸軍大臣も兼ねていたが、あくまでも政府の人間なので、
「軍の作戦に絡むことはできない」
 つまりは、大本営に入ることもできないのであった。
 そもそも、東条英機というのは、
「陸軍軍人」
 である。
 統制派の中心人物として、実際に、陸軍エリートだったのだ。
 しかし、首相となり、陸軍大臣を兼ねている以上、軍には口も出せないし、軍からの情報も流れてこない。
 ということは、
「東条英機は、対戦国からすれば、戦争指導者にしか見えないのに、実際には、戦争の指導どころか、作戦参加も、現在の状況も分からない」
 ということになるのだ。
 それだけに、ミッドウェイでの散々な敗戦も、知ったのは、半年後だったというそんな中途半端な状況であった。
 これが、日本における統帥権の問題であった。
 一番大きな問題となったのは、
「軍縮会議での国際会議において、外務大臣や海軍大臣が、その軍縮に調印した」
 ということであった。
 そもそも、海軍大臣は、政府の側であり、
「軍の人事などをつかさどる省庁なのだ」
 ということである。
「軍縮問題」
 などというのは、完全に軍の作戦であったり、軍令に踏み込むことなので、これは、越権行為である。
 しかも、相手が、天皇なので、
「統帥権を持っている天皇の権利を、冒涜するものではないか?」
 と言われ、
「統帥権干犯」
 ということで問題になったのだ。
 とにかく、
「有事になっても、統帥権問題が絡んでいる」
 ということで、戦争にならないということにしかならないのだった。
 そんな大日本帝国ではあったが、日本の歴史から見ると、ずっと今までの政治家であったり、軍部の人たちは、
「いい悪いは別にして、中央集権国家をつくることが、日本国にとって一番いいことだ」
 ということを信じていて、それを国民全員が思ってきたということは、人によっては、
「洗脳されている」
 というかも知れないが、それが本当に悪いことなのだろうかと思う。
 今の日本も、
「いい悪い」
 という問題はあるかも知れないが、考えてみれば、戦争に敗れたことで、かつての大日本帝国というのは、
「そのすべてが悪いことだ」
 という教育を受けているのではないだろうか?
 だから、歴史の教科書でも、近代史というのは、実にはしょってしか書かれていない。幕末から敗戦までの、ほとんどが、大日本帝国だった時代も、時系列を並べ、あった事件を定義づけているだけの文章だけで、さらりと終っている。
 本来であれば、明治以降の歴史だけでも、教科書一冊でも全然足りないくらいの歴史なのに、ここまではしょってしまうと、
「これは学問ではない」
 と思えてくる。
「だったら、大学に行って、その時代を専門的に勉強すればいい」
 ということになるのだろうが、それも極端な例であろう。
 今の時代は、アジアの近隣の国に気を遣っているのかどうか分からないが、結果、軍国主義となってしまったことが、
「悪いことなんだ」
 ということにさせられて、政府も弱腰である。
 そして、本来であれば、昔の日本を支えてくれていた人を敬うのであれば、いいのだが、それこそ、
「罪人」
 というような扱いになるからこそ、今でも、
「靖国問題」
 などと言われるのだ。
 確かに今までの歴史から考えれば、
「豊臣政権から徳川時代に変わった時、徳川は、徹底的に豊臣政権時代のものを叩き潰し、徳川時代から、明治新政府に変わった時も同じだった」
 といえるだろう。
 ただ、それは、クーデターが起こり、新しく握った政府によって押し付けられたものであったが、今回の敗戦は確かに、最初こそ占領軍による教育というものがあっての、
「民主制の押しつけ」
 だったではないか。
 しかし、
「サンフランシスコ講和条約」
 によって、日本は、独立した民主国家になったのだから、教育も変えていいはずだ。
 過去の過ちがあれば、それをすべて、軍部のせいにして、本当の真実を見せずに、連合国の押し付けられたままの教育と、戦後80年近くも経った、もうすぐ、1世紀にもなるというのに、それこそ、
「愛国心というものはないのか?」
 ということである。
 それだけ、今の国民に押し付けられた教育が、今の政府にとって都合がいいということであろうか?
 要するに、
「明と暗」
 というもの、それをトータルで考えて、今明らかにする、
「明」
 という部分は、明らかに、
「自分たちの都合」
 というものしか考えていないということなのであろう。
 だから、本来なら、歴史の事実も、
「いいところ、悪いところ」
 それぞれをちゃんと教えるのが教育なのではないだろうか?
「学校では教えない歴史」
 というような本が売れているというのも、今の教育体制に対する皮肉であり、対抗心となるのではないだろうか?

                 トリック
作品名:影のある犯罪計画 作家名:森本晃次