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影のある犯罪計画

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 と思うと、本来なら、発刊禁止ということになるのだろうが、実際の犯罪は、小説のようにはいかない。
 一つには、犯人は、
「すべて同じ心理状態であるわけはない」
 ということだ。
 しかも、
「犯人が計画した通りに事件が進んでいるのであれば、いずれは、完全犯罪というものが出来上がるのかも知れないが、そんなことはまずありえない」
 しかも、小説のストーリーというのは、
「作者がすべてを考えていて、被害者側、犯人側、推理をする側と、違う視線から見ているかも知れないが、結局はすべて、一人の人間によって組みたてられている」
 といっても過言ではないだろう。
 もっといえば、
 特に、密室であったり、アリバイトリックのように、最初から読者に情報提供しているものは、読者も考える時間があるということなので、進んでいくストーリーの中で分かってしまうようなものは、探偵小説としては、二流と言われるかも知れない。
 ということで考えられることとしては、
「それぞれのトリックに、伏線を敷いておく」
 ということだ。
 そもそも、探偵小説というのは、伏線を敷いておかなければいけないものであるのだが、特に、
「密室トリック」
 であったり、
「アリバイトリック」
 というものは、そのストーリーの中にある、例えば、
「起承転結」
 と呼ばれるものがキッチリとしていて、それぞれの部分で、少なからずの、
「伏線」
 と、その
「伏線回収」
 というものが、行われなければいけないということになるであろう。
 では、
「小説を読んでいて、トリックが何か分からずに、そのトリックが何か?」
 ということ、つまりは、
「潜伏しているトリックという小説のパターンが分ってしまうと、その時点で、作者の負けだ」
 と言われるような小説である。
 たとえば、
「一人二役」
 であったり、
「交換殺人」
 などというものである。
 また、
「顔のない死体のトリック」
 の場合は、最初から顔がないということで、
「死体の身元を隠す」
 ということで、その謎は分かり切っているといえるだろう。
 つまり、
「顔を分からなくするということは、被害者が誰か分からない」
 ということであり、実際に今まで描かれてきた、
「顔のない死体のトリック」
 というと、基本的に、パターンは決まっているのだ。
 だから、ある意味、
「何度も使えない」
 ということになるかも知れないが、それこそ、
「バリエーションで、いかようにもできる」
 と考えられるのではないだろうか。
 それを考えた時、
「他のトリックとの組み合わせ」
 という考え方が生まれるのだ。
 ある作家の作品で、得意としていたのは、
「顔のない死体のトリック」
 というものに、
「一人二役」
 というものを組み合わせたものだった。
 元々、
「顔のない死体のトリック」
 というのは、
「犯人と被害者が入れ代わっている」
 というような公式があると言われてきた。
 だから、最初に、
「顔のない死体のトリック」
 というものを使う時、
「ああ、犯人と被害者が入れ代わってるんだ」
 と大体の探偵小説ファンであれば、ピンとくるものだろう。
 確かに最初は、
「その通りだ」
 ということで事件を見ていたが、これが単独殺人であったら、正直、詰まらないかも知れない。
 しかし、連続殺人ということで、それぞれの殺人に、それぞれのトリックが隠されているとすれば、読んでいる方としても、その醍醐味を味わうことができる。
 三すくみや、三つ巴というのも、トリックのバリエーションとして使えるだろう。
 しかし、それを、組み合わせることで、
「似たようなものでも、実は違う」
 ということで、見ることもできる。
 例えば、これは探偵小説のバリエーションと言えるかどうか難しいところであるが、組み合わせという意味で、
「ドッペルゲンガー」
 というものと、
「世の中には三人はいるという、よく似た人」
 という組み合わせである。
 ドッペルゲンガーというのは、あくまでも、
「もう一人の自分」
 なのだ。
 本来ではありえないはずの、
「同一時間同一次元に、同一人物が存在している」
 という。いわゆる、
「タイムパラドックス」
 というものに、違反しているというものだ。
 だから、
「世の中に三人はいるという自分と似た人間」
 ということではない。
 だから、ドッペルゲンガーというものを認めた時点で、小説は、
「探偵小説ではなく、ホラー、オカルト小説ということになる」
 というのだ。
 それをあくまでも、
「探偵小説だ」
 と言い張るのであれば、それは、もはや、ドッペルゲンガーではない。
「自分によく似た人間」
 でしかないだろう。
 つまり、この世において、
「科学で証明できるものが、探偵小説で。証明できないものが、ホラーやオカルトだ」
 といってもいいだろう。
 だからこそ、探偵小説に、ホラー色があったとしても、科学で証明できないことをトリックにすることはできない。
 もっといえば、
「完全犯罪というものを成し遂げるとするなら、それは、もはや、探偵小説の息を越えている」
 といってもいいだろう。
 となると、探偵小説のまわりに、ホラーやオカルトという小説があると考えれば、
「三すくみと三つ巴」
 の関係といている。
 ただ、それは
「どっちが表で、どっちが裏か?」
 ということになるのだおる。
 それを考えると、
「トリック」
 というものは、
「似たようなもので、表裏を構成させるのがいい」
 ということになるのだろう。

                 大団円

 マツモトが考えている、
「交換殺人」
 というトリックには、
「影がある」
 と思っていた。
 その影というのは、本当であれば、
「形があるもの」
 ということでの影なのだが、元素と分子という発想をした時点で、
「そこは平面で、顕微鏡のようなもので見た感覚」
 というものを想像させるのだった。
 ただ、微生物であっても、その向こうに陰が見えることがあったのだが、それが、単体が別れた時のものだという感覚から、
「細胞分裂」
 を考えるのだった。
 それが、変異となるのかどうか分からないが、
「変異」
 というのは、ウイルス特有のもので、変異しない他の生物が細胞分裂をするのだと考えると、
「変異」
 と、
「細胞分裂」
 とでは、どちらが高等動物のものなのか、調べれば分かるのだろうが、知らないということにして、小説に組み込もうと考える。
 そんな中で、マツモトが交換殺人について、いろいろ考えていたが、
「やはり、他のトリックと組み合わせなければ難しい」
 と考えるようになった。
 何が組み合わせやすいのか?」
 ということを考えたが、そもそも、
「探偵小説において、単独のトリックよりも、そこに何かを組み合わせたものの方がいいトリック」
 というものを考えてみた。
 その一つとして、前述の
「顔のない死体のトリック」
 というものに、組み合わせるのが、
「一人二役」
 というトリックであった。
 こちらは、数学的な理論から、なかなか難しいものだったりするのだが、それは、
作品名:影のある犯罪計画 作家名:森本晃次