影のある犯罪計画
から、
「動」
になったわけではない。
元々、
「動」
だったものが、さらに動くことになるのだ。
そう考えると、動きが増長され、
「1+1=2」
ではなく、
「3にも4にもなる」
という化学ではないかと考えられ、動きが早くなるのではないだろうか?
ただ、元々、内部に向かって働いていた力は、
「静」
だったからこそ、均衡を保てたのであって、それが、表に向かっての、
「動」
ということになると、そこにスピードが加わってくる。
それぞれに違うスピードだろうから、力とスピードというものの、均衡も、力関係に響いてくるだろう。
しかし、内に向けられていた力というものは、それなりに限界というものがある。ということは、
「速度と、力の関係は、反比例するのではないだろうか?」
という考え方である。
「速度が速くなれば、その分、力は弱くなり、速度を抑えれば、その分、力が残されるということになる」
ということである。
それを考えると、
「今度考える力のバランスは、億度とそれにともなって減少する力というもののバランスによるのではないか?」
ということであった。
それこそが、前述の戦国武将である、武田信玄が提唱する、
「風林火山」
というものではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「俺が戦国時代にタイムスリップすれば、どうなるんだろうな?」
と考えるのだった。
こんな、三すくみと、三つ巴の関係をいろいろ考えていたのは、交換殺人を考える
「マツモト」
だったのだ。
彼は、実際に犯行を犯そうなどと思っているわけではなく、
「小説を書いて。それを文学賞に送り、入賞を狙う」
というものであり、
「実際に犯行を犯す」
という物騒なものではなかった。
しかし、計画するに当たって、
「実際の犯行」
というものを想定しないと、小説にするのも難しい」
ということになるであろう。
彼は、今年、大学3年生になるのだが、元々は、理数系が好きだったこともあって、化学を専攻していた。勉強も化学専攻で、
「いずれは、どこかの企業の研究所か、それとも、うまくいけば、大学院に進み、大学で研究が続けられればいい」
と思っていた。
ただ、中学の頃から本を読むのが好きで、結構昔の探偵小説などを読むのが好きだったのだ。
それも、時代とすれば、戦前、戦後という、
「探偵小説の黎明期」
と呼ばれる時期から、いろいろなジャンルが出てきたあたりであった。
それが、
「変格派探偵小説」
であったり、
「本格派探偵小説」
などというジャンルが提唱されるようになった時代のものだった。
マツモト」
は、その中でも、
「本格派」
という形をとっているが、実際にその裏には、
「変格派」
というようなものが潜んでいるという作品を書きたかったのだ。
あから、前述の、
「三すくみ」
と
「三つ巴」
という感覚を頭の中に描きながら、
「それを取り巻く環境」
として、あるいは、
「心理的な内面」
ということで、
「変質者による、猟奇的な犯行」
であったり、
「その変質者の証明としての、耽美主義的な犯行」
などを表に出しておいて、探偵などの捜査陣に、
「事件は、変質者による犯行」
と思わせておいて、実は、
「巧妙に仕組まれた犯行」
ということを、考えさせるということであった。
そこには、どうしても、
「精神疾患」
という考え方が必要となり、その考えを持っているのが、
「シノザキ」
というっ青年だったのだ。
彼は、精神科から、
「発達障害だ」
と言われたという。
そこで、発達障害や、それに伴ういくつかの病気などを調べてみることにした。
どうしても、
「交換殺人」
ということを企むということになってくると、マツモトの中では、
「精神疾患」
というものを無視しては書けないと思ったからだった。
精神疾患の人間が考えることとは、正直、かなりの隔たりがある。そこには、
「結界」
というものが横たわっているといってもいいだろう。
そして、その結界が、
「小説をいかに、立体的な発想にして、いかに、多次元的な世界に誘うのか?」
ということに繋がると思ったのだ。
小説において、
「本格派」
と、
「変格派」
というものを、重ねて考えるかということを思うと、どうしても、
「多次元性」
というものが関わってくるといっても過言ではないだろう。
昔の小説で、実際には、
「本格派小説」
のように、ち密に計算された犯行を、
「変格派」
に見えるかのような犯人が暗躍しているという話も結構あった。
例えば、
「ある芸術家が作った石膏像に、たくさんの女性の遺体が埋め込まれている」
というような、サイコパス的な猟奇殺人に見えたのだが、実際には、それらの女性は、
「元々、最初からなくなっていて、死体を病院だったり、まだ、当時、土葬が行われているところから、墓を暴くということをして、盗んできたものを、石膏に埋め込んだ」
という、死体窃盗ではあるが、少なくとも、人を殺めたわけではなく、それ以降の犯行の足掛かりであったり、犯行を錯乱させるためだったりするというために行った犯行なのだ。
そういう意味で、探偵小説の中には、
「猟奇殺人」
と思わせておいて、実は。
「緻密に計算された犯行だった」
ということも少なくはなかった。
それが、
「変格派探偵小説」
と、
「本格派探偵小説」
との融合ともいうべきか、トリックに限界を感じさせることで、
「バリエーションが大切だ」
ということから、このような融合が多く描かれるようになっていた。
しかし、そのバリエーションにも限界があったりするだろう。
そうなると、バリエーションを、いかにそう思わせ宇かということが大切になり、それが、表現などを大げさにすることでの、
「叙述トリック」
ということになるだろう。
ただ、あまりにも大げさすぎると読者にも、悟られる可能性がある。今の時代と違って、戦前戦後という、背景的なものが、
「カオス」
ということになると、その時代背景にあったような、サイコパスであったり、どこかアドベンチャーのような内容であったりと、そのバリエーションをいかに表現するかということになるのだ。
特に、探偵小説のトリックの中には。
「最初からネタを明かしておくべきもの」
として、
「密室トリック」
であったり、
「アリバイトリック」
などがあるだろう。
ただ、これらは、その謎だけを解こうとしても、基本的には難しい。いろいろな状況を踏まえたうえで、その謎を解き明かすようにしないといけないだろう。
ただ、その中に。トラップのようなものがあり、
「表に出ていることだけでは、犯人の誘導に嵌ってしまう」
という可能性がある。
「右を見れば、左を見る」
というような、マジックの謎解きのように考えなければいけないに違いない。
犯人にとって、探偵が解いていく謎の道筋は、ある程度予測していないと、トラップに導くことはできない。
「探偵小説が、そのヒントを与えるかも知れない」