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影のある犯罪計画

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「いつ何が起こるか分からない」
 と言われていた。
 それを徐実に表したのが、
「キューバ危機」
 という状況であった。
 アメリカの南の島国が、
「キューバ革命」
 という革命によってできた政権を、アメリカが警戒することで、キューバは、自国自衛の方法を探っているところに、ソ連という共産国から、友好関係を結ぶ話が舞い込んだ。
 ソ連とすれば、
「仲間が困っているのだから、助けるしかない」
 ということで、キューバ国内に、核を搭載できるミサイルの配備を決定したのだった。
 アメリカが航空写真でそれを見つけ、アメリカ国民がそれを知ってしまったことで、
「核戦争」
 というものが、現実味を帯びてきたのだ。
 ソ連とアメリカは、もちろん、そんなことを望んでいない。しかし、どちらも、引き下がるわけにはいかないという中での、2週間ほどの、極限状態が続いたが、結果、ソ連が、ミサイル撤去を約束し、アメリカも、トルコのミサイル基地を凍結することで合意し、
「核戦争」
 の危機はなくなった。
 もちろん、キューバは文句を言ったが、それは、キューバがいっているだけで、世界は安堵したのだった。
 ただ、米ソはその後、
「ベトナム戦争」
 というものを、数年後に引き起こし、ベトナムという土地で、
「代理戦争」
 が繰り広げられたのだ。
 結局世界は、
「何を学んだ」
 というのか>
 それを思うと、
「キューバ危機」
 というのが何だったのか分からないだろう。
 何と言っても、その時のそれぞれの国家元首が、かたや、
「暗殺」
 され、かたや、
「失脚し、死ぬまで、当局の監視下にあった」
 という、悲惨な歴史もあるのだった。
 そんな両国が、ベトナムで、
「代理戦争」
 を引き起こすのだから、結局、時代は、
「グルグル回っているのではないか?」
 といっても過言ではないだろう。
 それを考えると、日本も、そのうちの片方の国におんぶにだっこという形である。
 一体どうなるのだろうか?
 もっとも、日本という国は、軍事力はあるが、
「戦争放棄」
 という平和国家である。
 世界の表舞台、つまり、
「戦争という舞台」
 に上がることはできず、
「三すくみ」
 というものにも、
「三つ巴」
 という舞台に上がることもできない。
 それを考えると、大日本帝国では、許容できる範囲ではなかったが、日本国になって、
「これでよかった」
 ということであろうか。
 つまりは、
「日本という国は、金を出すことしかできない国」
 ということで、世界から甘く見られていたのかも知れないが、そのいい悪いというのは、誰が決めるものでもないのだ。
 ただ、
「某国の属国」
 ということになってしまった今の日本は、
「日本という国内で、三すくみや、三つ巴という形を描いているのかも知れない」
 と感じる。
 そこで一つ考えたこととして、
「三すくみというものと、三つ巴というものが、一つのサークルの中に存在し得るのだろうか?」
 ということであった。
 片方では、
「それぞれ、そこを支配する空気の均衡が保たれていることで、動いた方が負けだという、三すくみの関係」
 かたや。
「それぞれの個々の力が均衡していることで、動かないと雌雄を決することができないが、そのために、その空気は、次第に大きな波のようになってしまう」
 ということである。
「ひょっとすると、三つ巴の一つの中に、三すくみが存在するというのは、ありではないだろうか?」
 ということが考えられる。
 ただ、逆はどうなのか? 考えるのに、少し時間がかかりそうだ。
「三つ巴の中にある、個別な中に、三すくみがある」
 という考えは面白いかも知れない。
「三つ巴の一つが個体だとすれば、その中にある三すくみの構成要素は、分子のようなものだと考えることができる」
 ただ、そうなると、個体というのは、一つの元素とも考えられ、そこからの発想であれば、
「一つの物体を形成するものの元素を形成する原子、例えば、ベンゼン格のようなものは、三すくみの関係となっていて、だから、その分、強く結びついているのかも知れない」
 と考えられないだろうか?
 ということであった。
 一つの物体を、表から見て、三すくみのように固まった状態であったとして、すぐにその状態を、誰が、
「三すくみだ」
 ということが分かるというのだろう。
 つまりは、三すくみのように、動いていないものは、まるで、戦国武将の武田信玄が提唱した、
「風林火山」
 のように、
「動かざること山のごとし」
 という言葉が思いだされるのではないだろうか?
 そういえば、あれは、子供の頃に見たアニメだったが、
「ある一定の空間に入ると、そこは紫色の空間で、もちろん、本来なら無色なのだろうが、分かりやすくするために、紫に塗っているのだろうが、その箇所だけ、凍り付いた世界だった」
 ということであった。
 しかし、よく見ると、そこは、物体がゆっくりと動く世界で、警官がビックリして相手に発砲したのだろうが、その発射された弾丸が、ゆっくりと、相手に向かって、宙に浮いている感覚で、ただ移動しているのであった。
 そんな光景を思い出すと、その世界で、普通に動いている人からみれば、自分たちは、早すぎて、その存在すら分からないという形になっていることであろう。
 そんなアニメがあるかと思えば、違うアニメで、
「主人公には、加速装置がついているようで、それは、サイボーグだったのだ。その時は子供心に、家族装置を埋め込むのだから、サイボーグでないといけないんだろうなというようなことを、ただ感じているだけだった」
 しかし、もっとよく考えてみると、
「我々普通の人間から見ると、普通の人間に加速装置をつけるとどうなるか?」
 ということであるが、考えてみれば、
「戦闘機などのスピードであっても、重力などの圧力がかかるということで、訓練が必要なのだから、それが、見えないくらいの速度であれば、本当に人間の身体が耐えることができるということなのだろうか?」
 ということになるわけである。
 それを考えると、
「人間にとって、身体を形成している分子が、どれほどの絆になっているかということは、元素の構造によって決まるであろう」
 ということである。
「地球上で、一番硬いとされる物質と、軟体とであれば、元素がどのように違うのか?」
 ということになるであろう。
 だが、元素というものは同じであり、それを構成する要素が違うことで、硬度が変わるだけで、
「その基本的な関係に変わりはない」
 ということになるのであろう。
 それが、
「三すくみというものだ」
 ということであれば。人間の思考というものも、その三すくみでできているといえるのではないだろうか?
 ただ、それは人間でしか創造することはできない。
 なぜなら、三すくみというものは、
「発想することができる人間だからこそ、できているものであって、思考能力があるのは、三すくみを創造できる人間だけではないだろうか?」
 といえるのではないかと思えるのだった。
作品名:影のある犯罪計画 作家名:森本晃次