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影のある犯罪計画

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「けがの功名」
 とでもいえばいいのか、自分にとっての計画通りだったのかと考えれば、少し、何もしないことに関して、
「疑心暗鬼になってしまうかも知れない」
 といえるのではないか。
 しかし、これはあくまでも心理的な問題で、実際には、動かない方がいいに決まっている。
 そうなると、相手から恨みを買うということは必定で、下手をすれば、相手の方とすれば、
「もう、どうなってもいい」
 ということから、
「自分を殺しに来るかも知れない」
 ということで、不安な日々を過ごすことになるかも知れないのだ。
 確かに、相手は立場からいえば、何といっても、
「殺人の実行犯」
 ということで、まさかとは思うが、
「何か現場に、指紋であったりという重大な証拠のようなものを残していないとも限らない」
 と考えたとすれば、それは、
「いつ捕まるかも知れない」
 ということで、このまま一生、怯え続けなければならないと考えた上で、しかも、
「自分が死んでほしい」
 と思っている人がまだ生きているというのは、問題解決になっていないわけなので、本来であれば、お互いに、
「得をする」
 という計画が、相手からすれば、
「さらに、鉄壁になった」
 ということになったとすれば、それは、
「これ以上のものはない」
 ということになる。
「これは数学的に考えても分かるということで、自分たちが、今、マイナス10だったとすれば、お互いに殺してくれたことで、二人ともプラマイゼロになるはずのことが、最初の教唆犯が、そこで計画を終わらせれば、教唆犯はプラス5となり、実行犯は、マイナス5ではなく、マイナス15になってしまうのだ。つまりは、5だけ相手に移り、相手は死んでほしい人が死んだことで、さらに上乗せでプラス部分が生まれた。そのかわりに、自分がその分を受け持つ形で、マイナスがさらにマイナスになる」
 ということになるのであった。
 だから、交換殺人は、
「小説ではあるかも知れないが、実際の事件ではないだろう」
 と考えるのは、
「心理的矛盾」
 というのは、犯行を考えている場合、二人には分かり切っていることだろうと思うからであって、それが、
「本当に考えられることなのだろうか?」
 と感じるところから来ているのかも知れない。

                 三すくみの関係

「三すくみ」
 であったり、
「三つ巴」
 という言葉を使ったりします。
 しかし、この二つは似ているようで、遣い方が違う。
 元々
「三すくみ」
 というのは、三つのものが対立していて、それらの力関係が、輪になっているので、一角を潰してしまうと、残りの二つの力関係はハッキリしているので、お互いに動くことができない状態のことをいう。
 それに比べて、
「三つ巴」
 というのは、
「それぞれの-3つのものが対立していて、その力が拮抗していることから、勝負がつかないような状態をいう」
 ということである。
 この二つは基本的には、
「対立構造」
 にあり、勝負はついていないのだが、三すくみは、
「動けば負けになる」
 ということで、動けないので、ずっとこのままであるが、逆に、三つ巴の場合は、
「争っているのだが、拮抗しているので、飛び出すことができない」
 という違いがある。
 時系列で見ると、三すくみの場合は、それぞれに、
「交わることのない平行線」
 の中にいるようで、三つ巴は、
「それぞれが、争いながら、一つの輪の中から出ることができないような光景だ」
 といってもいいだろう。
 三すくみと呼ばれるものは、三つ巴のように、力が拮抗しているわけではなく、それぞれの弱肉強食という摂理が、それぞれの中に存在している形だといえる。
 動物というと、
「底辺」
 あるいは。
「百獣の王」
 と呼ばれるものでもなければ、
「自分に対して、強い者、そして、弱い者」
 というのがいることになる。
 ちなみに、
「百獣の王」
 と呼ばれるライオンであっても、自分に対して強い動物は存在しているのかも知れない。あくまでも便宜上、百獣の王という言葉を使っただけである。
 つまり、
「三すくみというのは、三匹はそれぞれに、他の二匹の種族は、自分にとって強い相手、そして、弱い相手の三つが、一つの密室のような小屋に閉じ込められているというようなものであった」
 という感覚である。
 だから三すくみというのは、たとえば、
「ヘビとカエルとナメクジ」
 のような関係で。
「ヘビはカエルを食うが、カエルはナメクジを食べる。しかし、ナメクジはヘビを溶かしてしまう」
 ということで、もし自分がヘビの立場であれば、どうなるかというと、
「目の前にあるカエルを食べてしまうと、今度は、ナメクジだけが生き残るので、そうなると、ナメクジの一人勝ちということになる」
 という関係である。
 前述で、
「交わることのない平行線」
 だと言ったのは、
「3匹がそれぞれに、けん制し合い、自分から動いてはいけないということが分かっているので。動くことができない」
 という状態なので、決して触れることはないという意味の言葉であった。
「この3匹が、
「決して動かない」
 というのは、
「動物といえども、本能のようなものがあり、自分が食べれるもの、自分を食べるもの、それぞれが分かっているということになるのだろう」
 もっといえば、
「それが遺伝子というものなのではないだろうか?」
 ということである。
 遺伝子というのは、
「先祖から受け継いできたものだ」
 ということであるが、遺伝子というのは、それだけではない。
 生きていくうえでのノウハウなども、その中には含まれていて、
「本能的な部分も遺伝子によって、持続しているものではないだろうか?」
 といえるだろう。
 また、
「先祖から受け継いだものだけでなく、人間に備わっている、自浄効果であったり、病気になった時などの抗体を作るというようなものも、遺伝子からではないか?」
 とも考えるのだった。
 人間に限らずであるが、ほとんどの動物は、ケガをしたり、外敵に襲われたりした時、血がでたりすると、かさぶたができたりして、
「止血作用」
 のようなものが備わっている。
 風邪を引いた時なども、自分の中で自然治癒のようなものが備わっているので、薬がその効力を高める役目をするのだろう。
 よく風邪をひいて、熱がでたりする時というのは、
「勘違いをしている人がいる」
 と言われるが、まさにその通りである。
「熱が出て、それを風邪だと考えると、
「熱を冷まさないと」
 ということで、すぐに、頭を冷やそうとするだろう。
 しかし、それはいけないことだというのを聞く。
 というのは、
「風邪というのは、菌であったりウイルスが身体に入ったことで、身体の中で、異物が進入してきたということで、抗体を作り、その菌やウイルスと戦おうとする。それが熱を持つということになるのだ」
 というのだ。
 そういえば、電化製品でもそうではないか。
 弱の状態よりも強にした時の方が、電力を食うので、その分、電源が熱く鳴ったりするではないか、
「電圧や電気抵抗が大きくなるから」
作品名:影のある犯罪計画 作家名:森本晃次