表裏と三すくみ
というのも、美術部が、静かだというのは当たり前のことであり、賑やかな人がいないというのも、ある意味、入部の動機であった。
それだけ、
「ゆいかの存在が、そんな静かな雰囲気にさせているのだろう」
と思うと、気が楽になってきた。
しかし、そんな静かな雰囲気の波に、乗っかっているという気持ちはあったのだが、乗っかれば乗っかるほど、どこか、不気味な気がしていたのも事実だった。
「皆、何を考えているんだろう?」
という気持ちになっていた。
確かに何を考えているのか分からないというのは、正直なところで、
「時々その視線を感じて、ゾッとする」
ということもあった。
ただ、その視線が自分に向けられているものではなく、ゆいかに向かってのものだった。
だから、余計にゾッとしたものであって、なぜかというと、
「俺も、ゆいかに対して、同じ視線なのではないか?
と感じたからだった。
ゆりかが入部してくると、そのゆいかに向けられていた視線が、急にゆりかに向いたのだった。
ただ、その視線の種類は違うもので、
「何がどう違うのか?」
ということを説明することはできないが、
「明らかに違う」
ということだけはいえたのだ。
そして、その違いから、
「ホッとした」
という気持ちと、
「これは困った」
という気持ちが交互に襲ってくるように感じたのだった。
最初の、ホッとしたという気持ちだが、こちらは、ゆいかに対しての視線がなくなったことで、ホッとしたといってもいい。
しかし、次の困ったという思いには二つだったのだ。
一つは、
「皆の視線が、ゆいかから抜けたことで、自分だけの視線をゆいかが浴びることになり、俺が意識していることを知られるのではないか?」
という危惧であった。
もう一つは、言わずと知れた、ゆりかが、今度はまわりの視線を浴びることで、
「さらし者になっている」
ということを感じさせられるような気がして、それが嫌だったのだ。
最悪、自分もゆいかも、さらにはゆりかも、皆嫌な思いをすることになると思うと、
「ホッとする」
という気持ちよりも、
「これは困った」
と思う気持ちの方が強いのであって、下手をすると。
「美術部に入部したのは、早まったかな?」
とも感じたのだ。
ただ、もう一つ気になったのが、
「なぜ、ゆりかは美術部への入部に、1カ月もかかったのか?」
ということであった。
相談してから、自分が入部するまでは、
「ほぼ、電光石火だった」
といってもいいくらいなのい、それから考えれば、1か月という期間は、長すぎるといえるだろう。
その間、ゆりかの気持ちの中で、何か紆余曲折があったということは想像ができる。
そもそも、ゆりかという女性は、
「思い立ったが吉日」
とばかりに、
「それこそ、本能で、決断をする」
というタイプだったのだ。
その決断というものが、どれほど適格なものだったのかということを、正孝が、一番知っているのだろう。
それだけに、1カ月というブランクが何を意味しているのか、次第に気になってくるのだった。
だが、美術部に入ってしまうと、ゆりかという女性が、
「いかに、順応性が高いか?」
ということが分かる気がした。
熱い視線を浴びながらでも、まるで気づいていないかのような素振りに、今度は最初の視線とは違ったものが、ゆりかに注がれているのだった。
それがどんなものか分かる気がした。
それこそ、正孝が、ゆいかに退位て書似ているものだったのだ。
だから、
「困った」
と思ったのだが、ゆりかは、そういう視線をはぐらかすのがうまいのか、
「そんな視線など感じていない」
と思っていることが、よくわかっていたのだ。
ゆいかは、分かっていて、素知らぬ態度をとっているが、ゆりかの場合は、分かっていると相手に思わせて、その上で、煙に巻こうとしている。
まったく正反対のやり方であるが、
「どちらも正攻法だ」
ということを感じる。
それだけ、ゆりかとゆいかは、対照的な性格なのだろうが、そう思えば思うほど、正孝には、二人が次第にダブって感じられ、
「どちらも大切なんだけど、それ以上に、大切さというものがどういうことなのかというのが分からない」
と感じられてきた。
それが、
「まだ中学生という年ごろだからなのか?」
ということなのか、それとも、
「思春期にいるからなのだろうか?」
と感じたが、
「要するに言い方が違っているだけで、同じ年齢なのだから、考えることは同じであって、ただ見ている角度が違うから、言い回しが違っている」
というだけのことだということは、自覚しているつもりだった。
ゆりかが、美術部内で、次第に、その存在感を深めていくのを見ていると、今度は自分が小学生の頃のように、孤立してくるのを感じた。
それは、今に始まったことではないと思っているだけに、嫌な気持ちであるはずがない。
それを思うと、
「小学生の頃、孤立が好きだったと感じたのは、ゆりかの存在があったからではないだろうか?」
と感じた。
これは決して。嫌なことだと感じているわけではない。
むしろ、
「ゆりかがいてくれることで、孤立しても、もし、寂しくなった場合には、ゆりかがいるではないか」
と感じることで、安心感があったからではないだろうか。
ここでもそうだ。
「もし、憧れのゆいか先輩から嫌われたら、どんなにつらいことだろう」
という思いがある中で、
「俺には、ゆりかがいる」
という、まるで、言い方は非常に失礼だが、
「敗戦処理」
としての、事態の収拾を行ってくれる気がして、直接的にではないだろうが、
「俺のことをなぐさめてくれるに違いない」
と感じるのだった。
しかし、
「なぐさめるというのは、どういうことなんだ?」
と思った。
あのゆりかが、
「よしよし」
という感じでなぐさめてくれるなどということはありえないだろう。
というのも、
「ゆりかという女性は、どちらかというと、ストレートにしか表現できないので、慰めの言葉というものを知っているとは思えない。もし、知っていたとしてその言葉をいかに的確に使えるかというのも分からない」
つまり、
「ゆりかは、俺を慰めるとすれば、無言でしかない」
ということになる。
だが、今までのゆりかを知っている正孝は、
「無言のゆりか」
というものを想像することはできない。
なぜなら。
「無言のゆりか」
というものが、どこから来るのか、想像を絶するからだ。
「ゆりかが、いつも賑やかなのは、相手を慕いたい」
という思いを整理しているからだと、正孝は感じていた。
その思いは、
「間違いない」
と思っている。
「賑やかな人が急に静かになったり、静かな人が急に賑やかになった場合は、悩みを抱えているか。それとも、何か心機一転するだけの理由があるかの二択だろう」
と正孝は思っていた。
ゆりかのように、賑やかな女性が急に静かになると、それこそ、ストレートに悩みがあるということを示しているようなもので、その静かな雰囲気は、
「尋常ではない」