表裏と三すくみ
ということを感じさせながら、その思いを、自分の中で、
「いかに租借すればいいのか?」
ということを考えていることだろう。
「ゆりかの心が分かるのは、俺だけだ」
として、正直、
「自惚れている感」
というものがある正孝にとって、美術部の中で、
「ゆいか先輩とゆりか」
という、二人の女性のジレンマに、これから襲われていくのではないか?
と思うと、何か、不安で仕方がないといってもいいだろう。
そのくせ、
「二人の女性をよく知っているのは、この俺だ」
という意識はあった。
ただ、ゆいか先輩に対しては。ゆりかに対しての自信に比べれば、かなり落ちるというものだ。
何と言っても、まだ数カ月しか、ゆいか先輩を見ているわけではない。
だが、そんな中で、一縷の望みのような自信もあった。
というのは、
「ゆりかが入ってきてからの。部員の視線が、漏れなく、ゆりかに向いたからだ」
といえる。
「もし、あの時、ゆいか先輩にだけ視線が向いている人が残っていれば、その人が少なくとも自分のライバルになるのではないか?」
ということを感じることになり、それはそれで、
「また、悩みが増えるのではないか?」
と考えられることを危惧するのであった。
そういう意味での、美術部での、
「これから起こるであろうジレンマ」
というものが、
「次第に膨れ上が阿っていくのではないか?」
と感じられ、そこから先が、自分にとって、いいことなのか悪いことなのか?
正孝は、次第に、これから、時間がゆっくり進んでいくというような。
「根拠のない妄想」
のようなものに、悩まされるのではないか?
と感じるのであった。
ただ、ゆりかが入ってきた時に、感じた思いは、ある程度、ホッとしたところが強かったので、
「却って、プラスマイナスゼロになったのではないか?」
と感じられたのであった。
それを思うと、
「ゆりかの存在というのは、俺には欠かせないものなんだな」
と、いまさらながらに、ゆりかの存在の大きさを感じさせられる正孝だったのだ。
精神疾患?
クラスの中に、面白いやつがいて、彼と友達になったのは、入学してすぐくらいのことだった。
「君とは、すぐに友達になれる気がしてね」
といって、気軽に話しかけてくる。
名前を
「長政」
といい、
「恰好いい名前じゃないか」
というと、
「うん、親父が戦国時代が好きで、長政って名前が結構多いんで、それにちなんでつけたということなんだ」
というではないか。
確かに、
「山田長政」
「黒田長政」
「浅野長政」
と、結構多い印象だ。
歴史が好きな正孝からすれば、
「なるほど、馴染みやすいやつだ」
ということで、すぐに友達になった。
彼にはいいところと悪いところが背中合わせにある感じだった。
いいところは、
「何事もこだわることなく話をしてくれる」
ということだ。
そういう意味では、本音が聞けて、こちらも言いたいことがいえるということで、ありがたいと思うのだった。
しかし、逆に、それだからこそ、失礼なところがあり、本当は、そんなつもりはないはずなのに、それでも、余計なことを言ってしまうというのは、
「言いたいことを言ってしまわないと気が済まない性格」
なのだろう。
確かに、言いたいことをしまっておくと、胃がキリキリ痛んだり、下手をすると、心が病んでしまう人もいるだろう。そういう意味では、
「吐き出す」
というのは、悪いことではないといえる。
それを考えると、
「長政の性格は、長所と短所が紙一重だという言葉を、実践しているかのようではないだろうか?」
ただ、
「竹を割ったような性格である」
と言え、プラマイゼロというよりも、プラスに近いと思えるところが、いいところではないだろうか?
そんな長政と、一緒にいることが多くなるのだが、それはあくまでも、
「学校の中で」
というだけのことで、学校を離れると、まったく分からない世界だったのだ。
まだ、知り合って少しだけなので、そこまで相手に深入りすることもない。それは、長政の方が分かっているようで、けっして、学校の外のことを話そうとはしない。
家のことはもちろん、小学校の頃の話もしようとしない。それを思うと、
「どこか変わっているな」
と感じたが、
「そもそも、人間というのは、誰しも、少しくらい変わったところを持っている」
といってもいいだろう。
そういう意味で、長政の眼に、
「自分がどのように映っているか?」
ということすら、最初は機にならなかった。
ところが、途中から気になりだした、そもそものきっかけは、正孝が、
「美術部に入る」
と言いだしたことからだった。
長政は、それを別に止めたりも反対したりもしているわけではなかった。どちらかというと、
「入りたければ入れば?」
という、他人事だったのだ。
この他人事のような普通の態度が、それまでの、
「なれなれしい」
と思えるような態度をとっていた長政だっただけに、
「少しおかしい」
と感じるようになったのだ。
長政というのは、
「自分のことよりも、他人のことが気になる」
というタイプの人間に見えた。
よく言えば、
「人を気遣っている」
ともいえるが、悪くいえば、
「嫌いな人ができれば、徹底的に嫌いになるタイプなのかも知れない」
と感じるほどであった。
そんな長政のようなタイプの人間を、小学生の頃には見たことがなかった。
「学年が上がると、いろいろな人がたくさんいるというような世界に飛び出すということなのか?」
という意識になったりした。
正孝は、自分が、思春期になったという意識を持ったのも、
「長政と知り合ったということが大いに影響しているのおではないか?」
と考えるようになったのだった。
長政という男が自分の中で、どれくらいの大きさなのかということを、しばらく考えるようになったのだった。
正孝は、小学生の頃と違って、
「友達は、少しでいいから作りたい」
と思っていた。
それも、
「自分の孤独な時間を邪魔しないようなやつがいい」
ということで、パッと見として一番ふさわしいと思える相手である、長政と友達になれたのはよかったと思っていたのだ。
しかし、それは最初だけだった。
「人間には、裏表がある」
ということを、思い出させてくれたからだ。
小学生の頃、いろいろな理由で、
「孤独がいい」
と思うようになったのだが、その理由の一つとして、
「裏表がある人間が多い」
ということであった。
まだ、子供のくせに、そんなことがよく分かったなとは思ったが、それを思い知らせてくれたのが、母親だった。
明らかに、母親は、
「裏表のある」
という人だった。
もっとも、主婦連中、あるいは、おばさん連中というと、ついつい、人のウワサに花を咲かせることが多い。
そして、その後で、さらに、親しいという人には、そのうわさ話をした相手のことをも、
「あの人は、本当に噂話が好きで」
とばかりに、自分のことを棚に上げて話すということが多いというものだ。
それを考えると、