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表裏と三すくみ

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「相手に考えさせてしまうといけなかったのかも知れない。電光石火というべきに、即答できるものであれば、そんなことはないのだろうが、考えさせてしまうと、今度は、彼女に、余計な時間の隙間を与えてしまうことになり、まずいことになる」
 ということなのであろう。
 そんなゆいかを見ていると、自分も、
「ゆいかの肖像画を描いてみたいな」
 と思うようになるのだった。

                 幼馴染

 小学生の頃から、いや、幼稚園の頃からだっただろうか?
「腐れ縁」
 といってもいいと思うような女の子が、正孝にはいた。
「幼稚園の頃から一緒」
 という子は、そんなに珍しくもないだろう。
 とも感じるのだが、人から言われると、
「反発したくなる」
 という思いからであろうか、
「幼馴染」
 と聞いただけで、何かすぐったいような思いを抱くようになtっていたのだ。
 幼馴染というと、相手が女の子であれば、
「それが初恋だったのではないか?」
 と言われるのだろうが、正孝には、そんなイメージはなかった。
 というのも、
「異性を意識するというのは、思春期になってからでないとありえない」
 と思い込んでいたこともある。
 というのも、この話は、親から、子供の頃にきかされていたからであって、
「こんな話を、まだ小学生の、それも低学年の子供にいうことか?」
 と思ったほどだった。
 しかし、このあたりのことは、正孝の親は無頓着だった。
 というよりも、
「完全に、子供をからかって遊んでいるんだ」
 としか思えなかったからだ。
 だから、正孝も、分かったようなふりをして、
「ああ、そんなことくらい、あんたに言われなくてもわかっているさ」
 というような顔をしてやるのだ。
 確かに。一瞬親はひるむのだが、すぐに、満面の笑みを浮かべる。それはまるで。
「さすがは、俺の息子」
 と言っているようで、正孝とすれば、最後にその言葉を言われると、
「息子である以上、何も言えなくなってしまう」
 ということになるのだ。
 だから、
「親を変えることができない」
 ということを悟るのだった。
 これは、
「人間は生まれながらに平等だ」
 という言葉に、著しく不快感を示す時に似ていた。
 というのは、
「何が生まれながらに平等なんだよ。親が選べないわけだから、どこの家に生まれてくるか? ということが決まってくるわけで、育つ環境だって、そこから決まるわけで、最初から差がついてしまっているのであれば、ひどい親に生まれた時点で、すでに、気後れしてしまっている」
 といっても過言ではないだろう。
 だから、とんでもない親に生まれてきて、途中で人生を踏み外したのだとすれば、
「それは、親が悪い」
 と自他ともに認めることができるだろう。
 しかし、
「裕福で、何不自由なく育った子供が、途中でぐれたりすれば、子供が悪い」
 ということになる。
 しかし、
「裕福で何不自由もなければ、それで幸福なのか?」
 と聞かれれば、本当にそうなのか分からない。
 何と言っても、親が先に生まれていて、その遺伝を受け継いでいるのが子供なのだ。それを思えば、
「生まれながらにして、平等」
 という言葉は、
「ちゃんちゃらおかしい」
 といえるだろう。
 そういう意味では、正孝は、
「可もなく不可もなく」
 というところだっただろう。
 父親が出世頭とかいうわけではなかったが、かといって、
「食いっぱぐれる」
 などということもなかった。
 普通に庶民的な家庭だったといってもいいだろう。
 ただ、子供の頃から孤独が好きだったこともあって、いつもまわりには誰もいなかったのだが、そんな中で、いつも、正孝を、
「兄貴分とでも慕うか」
 というような感じの人が、
「ゆりか」
 という幼馴染だったのだ。
 そもそも、女の子として見ていなかったので、ある意味、
「子分」
 のようにしていた。
 たまに、
「鬱陶しい」
 と思うこともあったが、基本的にそばにいてくれるのは嬉しかった。
 というのも、
「俺は孤独が好きだが、子分がいるんだぞ」
 とまわりに宣伝したい気分だったというのは、どういった心境なのだろうか?
 子分という言葉が悪ければ、
「しもべ」
 と言えばいいのか、
 確かに、正孝が危ないところに出てきて、助けられたこともあったりした。その時は、
「正孝君が危険に晒されそうになるのが、私にはわかるのよ」
 とばかりに、その時だけは、胸を張っていたが、さすが、その時だけは、
「いてくれて嬉しい」
 と真剣に感じていた。
 正孝は、そんな時に、
「ゆりかは、神が与えてくれたんだろうか?」
 と感じた。
 だとすると、
「自分のものだ」
 ということでいいのではないか?
 と思い、好き放題にしようと思うのだが、実際に、そんなことができるはずもなく、助けられた時には、
「ありがとう」
 と、素直にいい、彼女のことを、
「しもべだ」
 と思ったことを、恥ずかしく感じるのだったが、それも、喉元過ぎれば、すぐに忘れてしまい、
「ゆりかは、俺のしもべなんだ」
 と考えるようになってしまったのだ。
「正孝さんは、本当に優しいわ」
 と、ゆりかはいうのだが、それを、ひねくれている正孝は、
「また皮肉をいいやがって」
 と思わずにいられなかったのだ。
 だが、中学に入るくらいの頃から、少し心境が変わってきた。
 それは、
「正孝が思春期に入った」
 からだった。
 ゆりかの方は、とっくに思春期に入っていて、精神的にというよりも、肉体的にと言った方が、成長は早く思われた。
「そんなゆりかと一緒にいられるだけで、嬉しい」
 と思うくらいになっていたのだ。
 ゆりかという女の子は、おとなしい雰囲気であったが、どこかわがままなところがあった。
「自分を、女王様か何かと勘違いしているのではないか?」
 と思えるほどで、しかし、正孝は、ゆりかから、そういわれるのは、なぜか嫌ではなかった。
「あれ? 逆だったのでは?」
 と思われる読者もほとんどだろうが、そう、小学生低学年の頃と違って、高学年になると、今度は立場が逆転してきたというわけだ。
 そもそも、
「低学年の頃は、俺の方が、子分のように相手は女の子なのに、女の子という意識もなく、応対していた」
 という後ろめたさのようなものがあったのだろう。
 だから、その思いがあるのを、まさかとは思うが、小学生の女の子に、看破されてしまったのだろうか?
 と考えると、少し怖くなってくるのだった。
 とは言っても、しょせんは、小学生のことなので、立場が逆転したといっても、相手のことは、知り尽くしているといってもいい相手なので、どこか、
「無礼講」
 というところはあったのだろう。
 そんな面白い関係であったが、まわりから見ると、
「二人は好き同志なんだな」
 と思われていたり、
「ぎこちなくは見えるけど、これほどお似合いの二人はいない」
 と思っていたようだ。
 お互いに、異性の壁を越えての付き合いだということは分かっているというもので、
「俺は、別に好きでもないんだけどな」
 と軽い気持ちで思っていた。
 何しろ、
作品名:表裏と三すくみ 作家名:森本晃次