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表裏と三すくみ

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 ということで、その言い方は明らかに、
「今の自分たちは、マイナーなんだ。だから頑張ってメジャーに上がりたい」
 と思っているのだろう。
 彼女たちのグループであれば、
「ライブやコンサートでは、すぐ目の前にファンがいて、ファンと一体になって騒いだりする」
 というのもありかも知れない。
 しかし、メジャーとなって、メディアへの露出が大きくなると、
「音楽を静かに聞きたいと思っている人には、きつく感じられる」
 だが、今のファンというのは、たぶん、地下アイドルの時代から、見守ってきていたとう人が多く、
「俺たちが育てたんだ」
 ということを思っているので、ファン層の厚みは、結構なものがある、。
 ということは同時に、
「後からのにわかファンは、入りにくい」
 ということでもあり、下手をすると、
「メジャーに上がった瞬間、ファンが伸び悩み」
 ということになるのではないだろうか?
 しかも、マイナーから支えていると自負しているファンの中には、アイドルの中には、メジャーに上がったことで、
「ファンを大切にする」
 という意識を忘れた人もいるかも知れない。
 本人には、そんな気持ちはないのかも知れないが、ファンというのは、アイドルの変わり方には、敏感になるものであろう。
 それを思えば、
「アイドルと、ファンというのは、厚い絆で結ばれているように見えるのだが、実際には、そんなことはなく、お互いに、利害関係という薄いもので、表裏一体だ」
 と思っているのかも知れない。
 ファンとすれば、ストレス解消であったり、アイドルとすれば、自分のステータスの証明をファンに求めたりするのだ。
 だから、ファンというのは、地下アイドルの間であれば、嫉妬のようなものがあっても、何とかなるものだが、メジャーに上がれば、そうもいかない」
 だから、アイドルに対して、
「恋愛禁止」
 という戒律を出しているかというと、
「アイドルは、あくまでもアイドルでなければいけない」
 ということになるのであろう。
 ゆいか先輩に、今のアイドルを見ることはできないが、
「自分の理想とするアイドル」
 というものを見つけることはできた。
 それが、正孝の、
「好きな女性の好みなのかどうか」
 ということは分からないが、
「決して、嫌いなタイプではない」
 といえるだろう。
 自分が好きなタイプというのは、
「おとなしい人で、従順な人」
 というのが、前提であった。
 そもそも、
「おとなしい人が、従順な人だ」
 ということであったり、逆に。
「従順な人が、おとなしいタイプだ」
 とは限らないだろう。
 それはあくまでも、その人の思い込みであり、相手をよく見ないと、
「おとなしい人だから、従順なはずなので、自分のタイプだ」
 というのは、結論を急ぎすぎているといっても過言ではない。
 しかも、
「自分のタイプだからといって、自分と合うということがいえるのかどうか?」
 とは言えないだろう。
 むしろ、それが合うのであれば、自分の好みの人を探しさえすれば、その人と、うまく行くということだから、この世で、
「離婚」
 などということはないはずである。
 しかも、
「成田離婚」
 という言葉があるように、
「付き合っている時は、問題なかったのに、結婚して、一緒に暮らすようになると、それまで分からなかったことが、分かるようになってくる」
 ということである。
 もっといえば、
「結婚して、一緒に暮らすということを、ゴールだ」
 と思っているからだということと、
「一緒に暮らすということが、まるで天国にいるかのような幸せしかない」
 と思い込んでいることから、実際には、
「スタート」
 であり、
「結婚は、人生の墓場だ」
 という言葉の意味を、初めて知ることになるというのであろう。
 結婚というものを考える時、
「今までは、付き合っていたのだから、こちらが与えていた」
 ということなのに、
「結婚すると、今度は甘えさせてもらおう」
 と考える男が多かったのかも知れない。
 確かに、
「成田離婚」
 と言われていた頃というのは、
「結婚しても、共稼ぎということはほとんどなく、旦那の稼ぎでうまく行っていた」
 という、バブル崩壊前だった。
 というのが大きいだろう。
 時代の変化とともに、
「人間の考え方」
 というのも変わっていかないといけない。
 というのが問題である。
 それを思うと、
「結婚というのは、スタートラインでしかない」
 ということになるのだった。
 そんなゆいか先輩見ていて、
「彼女は、すべてのことに長けている」
 というわけではない。
 そもそも、美術といっても、最初から、
「すべてにおいて、長けている」
 という人はいないだろう。
 美術といっても幅が広い、
 絵画もあれば彫刻もある。
 絵画の中には、
「油絵もあれば、水彩画もあれば、鉛筆デッサンもある」
 そのすべてを、
「絵画と呼ぶのだ」
 さて、そんな絵画であれば、その中に、被写体の違いで、分かる場合もある。
 被写体が、人物であったり、風景であったり、目の前に絵を描くために演出された物体というのもある。
 だから、そのすべてに長けているというのは、土台無理な話だった。
 だが、ゆいか先輩を見ていて、感じるのは、
「肖像画」
 というのは、
「確かにうまい」
 と感じた。
 目の前にある綺麗な絵をどのように自分で感じるかということなのだろうが、その美しさは、下手をすると、自画像を描いていて、
「実物よりもきれいだ」
 と感じることがある。
 それは、もちろん、相手が女性であるがゆえに、
「まるであなた本人は美しくない」
 と言っているようで、
「これ以上、失礼なことはない」
 ということになるのだが、本当は、
「あなたの美しさがあるからこそ、絵が引き立つのだ」
 と言いたい。
 彼女も、芸術家の端くれだとすれば、それを言ってもらいたいと思うのだが、特に相手が女性だと考えれば、あまり強くはいえない。
「特に、失言を何とか、取り繕うようにごまかそうとしているのであれば、それは、本当に失礼なことである」
 といえるだろう。
 どうせなら、失言だと思っても、キッパリと言い切ってしまう方が潔く、相手を傷つけないのかも知れない。
 ごまかそうとすると、本人にそんな意識はなくとも、
「言い訳をしている」
 としてしか見えないということになり、
「どうしようもない」
 という気持ちになり、感覚がマヒしてくるかのようになるのであろう。
 ただ、やはり、
「言いたくてたまらない」
 ということを言わないでおけば、相手ともぎこちなくなるだけなので、思い切っていってみることにした。
 すると彼女は、
「ありがとう」
 と言っただけで、それ以上は何も言わずに、考え込んでいる。
「俺が口にしたことを、彼女自身、こっちが、どういう気持ちで口にしたのだろう?」
 と考えているのだとすれば、思い切ったのは、失敗だったのかも知れない。
 というのは、
作品名:表裏と三すくみ 作家名:森本晃次