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表裏と三すくみ

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「それはそうだろう。それに、野球場で、解説が聞えるわけでもないし、テレビ中継が、一番のベストポジションではないかと思うんだけどな」
 と言われ、
「そうですね、しかも、タダですしね」
 というと、
「そうそう。それに、今は、有料放送にすれば、月額数百円で、試合終了まで見ることができて、ファンに寄りそう中継をしてくれる。それがありがたいんだよな」
 ということであった。
「じゃあ、どうして、皆、野球場に行くんでしょうね?」
 と聞くと、
「さあ、そのファン意識は分かりかねるところはあるが、やっぱり、野球場に出かけるというのは、ストレス解消もあるんだろうな。もっといえば、集団意識のなせるわざともいえるのではないかな?」
 というではないか。
「集団意識」
 という言葉はよく聞く。
 しかし、孤立というものを、自分で小学生の時点で選択していた正孝とって、
「集団意識」
 というのは、
「完全に他人事」
 という意識であった。
 野球にしても、コンサートにしても、確かに、
「集団意識のなせるわざ」
 であり、
「お金を払って見に行くのは、プロの技だ」
 と思っている、正孝にとっては、ファンが外野席で騒いでいるのは、目障りで仕方がない。
 しかも、トランペットやメガホンなどを叩いて、選手個人個人の応援歌を演奏するなどという応援方法は、
「日本独自のものだ」
 ということではないだろうか?
 アメリカでも、他の国でも、もっと静かに応援しているものだ。
 それを思えば、
「同じ日本人として恥ずかしい」
 とまで思うほどであった。
 野球やスポーツでそうなのだから、
「音楽ともなると」
 と考えてしまう。
 音楽というと、元来静かに楽しむものなのではないだろうか?
 クラシックコンサートなどで、声は完全に厳禁で、飲食の際に音を出すのも厳禁なので、飲食禁止というのは原則ではないだろうか?
 それなのに、コンサートでは、皆がざわざわ騒いでいる。
 しかも、アーチストが出てくると、
「キャー」
 とばかりに、声も枯れんばかりに叫んでいる。
 昔の、グループサウンズというのが流行っていた時代には、
「失神した」
 という人もいるくらいで、実際には、昭和バリバリの時期でも、今と変わらずに、コンサートの雰囲気は喧騒としていたものなのだろう。
 もちろん、昭和と今の令和とでは、その騒ぎ方もかなり変わっていることであろう。
 何といっても、アイドルという形式がかなり変わっているというのも、その理由ではないだろうか?
 ちょうど、世紀末くらいからのアイドルというと、それまでとは、革命的に変わってしまっていた。
 とにかく、たくさんの人を集めて、
「アイドルグループ」
 という形にしていたのだ。
「全国の都道府県代表を選んで、それでアイドルグループを結成しよう」
 という動きもあったくらいで、それが実現したのかどうなのかは分からないが、最近のアイドルグループというものには、それなりに、
「コンセプト」
 というものがあるといっても過言ではない。
「ブームというのは、15年に一度くらいのペースでやってくる」
 と言っているひとがいたが、その人というのは、
「メイドカフェの店長」
 で、テレビのドキュメンタリー番組でやっていたのだった。
 メイドカフェは、それこそ、
「コンカフェの一種」
 と言われている。
 そして、この
「コンカフェ」
 というのは、
「コンセプトカフェ」
 という言葉の短縮形であった。
 アイドルも、個人個人で自分の自己紹介のパターンを持っている。それも、一種の、
「コンセプトだ」
 といえるのではないだろうか?
 コンサートでは、楽曲演奏の合間に、ファンが勝手に作った、
「合いの手」
 のようなものを入れて、それを自分の人気だと思っているアイドルもいるだろう。
 確かに、アイドルからしても、
「ファンを大事」
 にして、さらに、
「ファンとのふれあい」
 というものを考えると、
「こんなに自分はファンから愛されているんだ」
 ということで嬉しいのも分かる。
 しかし、アイドルと言っても、それは、
「楽曲を披露してのパフォーマンス」
 というものが、アイドルの仕事なのではないだろうか?
 と思うのだが、最近の、
「アイドルプロデュース」
 ということで、
「歌って踊れるアイドル」
 というものから、
「すぐ近くにいるアイドル」
 というものに変わってきている。
 しかも、そのアイドルというものが、もっといえば、プロデュースをする方からすれば、
「アイドルを辞めても生きていける」
 ということを目指すようにもなっていた。
 それだけ、今までが、
「芸能界というものが、使い捨ての文化だった」
 ということかも知れない。
 正直、詳しいことは分からないが、
「分からない」
 ということだけで、それだけ、怪しいといえるのではないだろうか?
 だから、最近のアイドルは、
「歌って踊れるだけではダメで、勉強をしたり、アイドルが今までしてこなかったような分野にも積極的に顔を出す」
 ということをやるようになったのだ。
 テレビのエンタメ番組や、バラエティへの出演はもちろんのこと、最近のバラエティというと、
「芸人などが、コメンテイターという昔では考えられないほどの番組になってきた」
 ということであるが、アイドルが、そんな芸人と絡むという番組もあり、
「アイドルグループ」
 の中での、
「お笑い担当」
 と言われる部門が出てきたりしているのであった。
 それを思うと、本当に多種多様なアイドルがいる。
 中には。十数年くらい前から言われる、
「歴女」
 というように、
「歴史に関しては、誰にも負けない」
 というアイドルであったり、
「将棋や囲碁」
 などの教養番組に出て、段を取ったりする人もいる。
 もちろん、ミュージカルや舞台などで、女優として生きる人もいれば、テレビドラマや映画などで、スクリーン上の俳優として生き残る人もいる。
 ただ、あれだけたくさんのアイドルグループが、それこそ、各県にいくつかあるという状態なので、
「全国にはどれだけのアイドルがいるか?」
 ということになり、それを思うと、
「本当にアイドルというのも生き残りをかけて、年齢とともに、変わっていかないとダメなんだ」
 ということである。
 さすがに、40歳を超えてから、
「アイドル」
 というのはきついだろう。
 ただ、コンセプトとして、
「熟女アイドル」
 というのもいるので、そこも難しいところだ。
 アイドルという括りでいけば、
「地下アイドル」
 というものがある。
 最近のアイドルが、歌手や、俳優以外で活躍する人が多いことに対して言われることであるが、
「あくまでも、音楽を中心としたアイドルグループということで区別されるのが、この地下アイドルというものだ」
 ということである。
 だが、どちらかというと、
「インディーズと言われるような、野球でいえば、マイナーリーグ、二軍というような、一流アイドルへの下位組織」
 というイメージが強い。
 確かに、地下アイドルが目指すものは、
「メジャーデビュー」
作品名:表裏と三すくみ 作家名:森本晃次