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表裏と三すくみ

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「ゆいか先輩」
 という。
 ゆいか先輩は、2年生で、一学年上なのだが、実際の学年差よりも、もっと離れているように感じる。
 しかし、その雰囲気はおとなしく、しかも、成績優秀の優等生ということで、男性先輩の、
「憧れの的」
 だったのだ。
 それこそ、
「高嶺の花」
 といってもいいくらいで、先輩たちも同じなのだろう。
 ただ、男性先輩の中には、
「ただ見ているだけでもいい」
 と言っている人もいる。
 確かに、憧れの的ではあるのだが、
「自分なんかに、対等に扱ってくれるわけはない」
 という、どこか、ひねくれた考えの人もいて、もっといえば、そういう、ひねくれた考えを持っている人に、ゆいか先輩のファンは多いようだ。
 ということは、
「ダメンズ」
 という連中の憧れであることから、彼らにとって、ゆいか先輩は、女神のように見えるのかも知れない。
 そう思うと、
「じゃあ、俺もダメンズということか?」
 と、正孝は思うのだったが、まさに、その通りであった。
 美術部に入ったのは、結構早い段階だった。もう4月の時点で入部を決めた。そもそも、最初に声を掛けてきた最初が、美術部だったというのも、何かの運命であろうか。
 最初は、
「億劫だな」
 と思っていたが、誘われるままに、部室に行ってみると、そこにいたのが、ゆいか先輩だった。
 先輩は、こちらを振り向くと、最初は、キョトンとしていたが、その様子は、何かたじろいでいるようにも思えるのだった。
 だが、次の瞬間に見せたその笑顔に、魅了されたといってもいい。
 しかし、それは、
「最初の戸惑っている顔を見たからだ」
 とずっと思っている。
 あの顔を見た瞬間に、
「先輩がどういう人なのかを分かったかのように思える」
 というくらいで、もし、
「先輩を好きになった瞬間があるとすれば、いつですか?」
 と聞かれると、
「最初の、あの戸惑いの表情を見た時」
 と、即答することだろう。
 アイドルの写真集などでも、
「確かに、笑顔が素敵な人がアイドルになるんだな」
 とは思うが、その中の数枚、まるで戸惑ったかのような表情を浮かべているのを見た時に、
「どこか、ホッとする気分がする」
 というのも事実で、
「いくら笑顔が素敵でも、最初から最後まで、すっと笑顔であるよりも、途中に、戸惑っているような表情がある方がいい」
 と思うのだ。
 それは、戸惑った表情に、
「ドキドキ感」
 というものを感じるからであった。
 笑顔がキレイだったり可愛いのは、その意識が、
「この人はアイドルなんだ」
 というイメージから、
「近づきがたい雰囲気なんだよな」
 ということを感じさせる。
 しかし、戸惑ったような表情をされると、
「ああ、あの近づきがたいあの人が、この俺に、まるで、助けを求めている」
 という感覚に襲われるのだ。
 そこで、急に、
「距離が縮まった」
 という意識が生まれ、相手に対して、劣等感がなくなり、
「俺はヲタクじゃないんだ」
 とも感じさせる瞬間だった。
 まだまだ、
「アイドルを追いかけている」
 ということになると、
「あいつは、ヲタクだ」
 と言われているような気がしていて、今では、
「推し活」
 と言われるように、市民権を得ているはずだと思いながら、結局は、
「大人から見れば、ヲタクにしか見えないんだろうな」
 と思うのだ。
 ただ、大人だって。子供の頃があったはずだ。
「ヲタク」
 という言葉はあったはずだが、なかったといても、
「アイドルの、追っかけ」
 という言葉はあっただろう。
 今と違って、
「そんなことは、人には言えない」
 という時代だったのは、間違いないだろう。
 今であれば、好きなアイドルやアーチストができると、
「そんなお金がどこから出てくるのか?」
 と思うほど、その人が全国ツアーというようなライブに、
「どこでもかしこでも姿を現す」
 というものである。
 当然、アイドルのスケジュールはすべてチェックしていて、チケットも、即行で購入し、チケットが取れれば、宿も同時に確保するということで、
「完璧な、推し活」
 というものが、できているということであろう。
 もちろん、正孝は、そこまでの
「ヲタク」
 というわけではない。
 むしろ、
「アイドルにうつつをぬかして、どうするというのか?」
 と、単純に、
「お金がもったいない」
 と思うのだった。
 しかも、
「そんな労力があるなら、他に使えばいいのに」
 と思うほどで、
「本人が、熱をあげればあげるほど、見ている方は、その逆に冷めていくものだ」
 と感じているのだった。
 まだ、中学に入ったばかりの正孝なので、アイドルに憧れるとしても、まだ、
「コンサートを見に行きたい」
 というところまでは思っていないのだった。
 そもそも、
「音楽というのは、CDなどで聴くものだ」
 と思っていた。
 コンサートやライブというと、
「それこそ、ファンやおっかけがギャーギャー騒いで、音楽の本当のよさを聞き逃す」
 と思っていた。
 人によっては、
「ライブで聴く音楽が、本当の音楽だ」
 と言っている人もいるが、正孝は、
「そんなことはない」
 と思っていたのだ。
 なぜ、そう思うのかというと、
「ライブで聴く音楽というのは、ファンと一体になって、作り上げるエンターテイメントだ」
 というイメージだった。
 だから、
「ただ、うるさいだけではないか」
 としか思えなかった。
 それは、音楽だけにいえることではなく、スポーツも同じだった。
 友達と野球を見にいった時、外野席の、ライトスタンド、つまりは、
「ひいきチームの応援団がいるところ」
 ということで、皆立ち上がったりして、応援に躍起になっている。
 それ以外の人はというと、応援団を見ながら、まるで他人事のように、ビールなどを飲んでいるのだ。
 要するに、
「真面目に野球の試合を見ている」
 というわけではない。
 いや、
「試合は見ているのかも知れないが、野球を見ているわけではない」
 ということだ。
 そもそも、野球を見にいくというのは、
「ピッチャーの球筋であったり、目の前で見るスピードボールや、そのB―るを打ち返す打者というものの、プロとしてのプレイを見るのが、野球観戦だ」
 と思っていた。
 それなのに、ホームベースから、100メーター近くも離れたところから見るのだから、球筋どころか、
「選手すら、豆粒にしか見えない」
 というものであった。
 ということは、
「プロの技を見ようとすると、バックネット裏などにいかないと見えない」
 ということである。
「野球を見る一番のベストポジションって、どこだか分かるか?」
 と誰かに聞かれたことがあったが、それに答えることができずに、黙っていると、その人は笑いながら、
「テレビで中継しているのが、一番のベストポジションなのさ」
 というではないか。
「なるほど、バックスクリーンあたりからズームで見るから、コースも球筋も、分かるというものですね」
 というと、
作品名:表裏と三すくみ 作家名:森本晃次