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表裏と三すくみ

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「お前こそ、裏表があるんじゃないか?」
 と母親であっても、い、いや、母親だからこそ、嫌になるというものだった。
 そんな母親を見ていると、母親を尊敬もできなくなっていた。
 しかし、自分の保護者であり、育ててくれているということで、
「逆らえない」
 という気持ちがあった。
 特に子供の頃から考えていたのは、
「お母さんを悲しませるようなことはしたくない」
 ということであった。
 そんな相手の裏の部分を見てしまうと、子供としても、
「どうしていいのか分からない」
 ということになり、どうすればいいのかを考えると、
「悪いと思うことは見ないようにすればいいだ」
 ということであった。
 要するに、
「悪いことは見なかったことにする」
 という考えで、
「ただの都合のいい考えではないか?」
 ということになるが、そもそも、その都合の悪いことというのが、
「何に対して、都合がよくないのか?」
 ということである。
 都合のいい悪いという判断は、あくまでも自分がすることであって、人に聞いて分かるものでもない。
 そういう意味で、
「自分にとっての都合」
 というものを考えるに際しての問題は、大きなものだといえるのではないだろうか?
 正孝にとって、長政と友達になることは、
「リスクもあるかも知れないが、彼と一緒にいることで得られるであろう感覚は、プラスに近いのではないか?」
 と考えたのだ。
「ひょっとすると、直感では、都合のいいことではないかも知れないが、突き詰めたり、奥の深さを知ってくるにしたがって、次第に都合のいい方に近づいてくるような気がする」
 ということだったのだ。
 そんな長政が、なぜか、正孝が美術部に入るということを嫌がっているように見えたのだろうか?
 他の人から見れば、そんな風には見えないだろう。
「俺、今度美術部に入ろうと思うんだ」
 というと、
「ふーん、そうなんだ」
 と、完全に他人事だった。
 他人事に見えるのは、
「その人にとって、何も得られるものがない」
 ということで、
「そのことに一切の興味がない」
 ということの表れだった。
 確かに、長政は、
「部活には興味がなさそうだった」
 というのも、学校が終わると、そそくさと帰ってしまうからだ。
 彼が家庭のことを話さないというのも分かる気がする。
「話したくない」
 ということなのか、
「話をするだけ時間の無駄」
 ということなのか、長政の性格からすれば、そのどちらも考えられるというものであった。
 長政という男が、
「嫌いな人もいるが、好きな人もいる」
 と言っていたのは、普通なら当たり前のことなのだが、長政にしては、
「実に違和感を感じる」
 ということであった。
 しかし、
「嫌いな人は徹底的に嫌う」
 と言っていたのを聞いて、
「なるほど」
 と思ったのだ。
 そんな長政が、正孝と仲良くなったというのは、どういう風の吹き回しだというのだろうか?
 それを考えると、分からないところはまだまだあるような気がした。
 そう思って長政を見ていると、
「あいつは、俺以外の人と話をする時は、明らかに違っているな」
 と感じるのだ。
 いかにも面倒くさそうに見えて、顔は笑っていても、一切気持ちは冷めていると思えるのだ。
 それは、
「自分に対しての態度と、まったく違っている」
 ということを、正孝が分かっているからだと思うのだった。
「じゃあ、まわりは、長政のことをどう思っているのだろう?」
 と思って観察していると、
「実にうまく合わせているように思う」
 ということだった。
 長政から話題を他の人に振るということはないわけなので、話しかけるとすれば、まわりからのはずである。
 それも、本当に話さなければいけないというような、
「重要事項の伝達」
 というくらいであろうか。
 それを考えると、
「長政という男は、つくづく、まわりとの距離を保っているんだな」
 ということであった。
 まさかとは思うが、
「これ以上近づくと、火傷でもしてしまう」
 と思っているのだろうか?
 人によっては、そういう錯覚を起こす人もいると聞いたことがある。
 それは精神疾患のようなものなのか、
「統一性障害」
 あるいは、
「自律神経失調症」
 などと言ったものか、さらには、
「鬱病」
 と呼ばれるものが、絡んでいるのではないかと考えるのだった。
 そんないろいろな精神疾患があるのだが、中には、
「小学生でも発症する」
 と言われているのがあるという、
 特に小学生くらいの思春期前というと、精神的には大人になり切れていないわけで、
「大人が感じる」
 というような出来事に遭えば、
「トラウマ」
 となったり、それが精神的に、滞留するということだってあるだろう。
 そうなると、
「精神疾患の芽」
 というものが、生えてきていて、ある時何かの拍子に、
「精神疾患を発症する」
 ということになるであろう。
 それを考えると、
「精神疾患というものを、子供だからならない」
 ということはないのである。
 苛めの問題など、その時は、引きこもるだけで、表に出てこないという状況以外には何もなくとも、大人になってくるにつれ、異常がみられるようになり、診断を受けると、
「精神疾患ですね」
 ということで、聴いたこともないような名前の病気を、いくつも羅列され、それを聞いた親や本人は、大きなショックを受けるに違いない。
 しかも、親などは、最初に何を考えるかというと、
「この子は、こんな病気になって、世間様の前に出せないわ」
 などということを考えたとするならば、たぶん、本人にその本音は分かっているのではないだろうか。
 精神疾患というのは、
「精神が病だ」
 というだけで、問題はそこから来る、
「身体の異常だったりする」
 というのだ。
 身体の異常といっても、ケガや、普通の病気とは、少し違った症状である。ただ、深刻なことには変わりないのだ。
 特に、
「鬱病」
 というものになった時というのは、
「身体が億劫で何もできない」
 という状況に陥るのだという。
「布団から身体を起こすこともできないくらいに動けなかったり、ものぐさな性格でもないのに、お腹が減っても、食事を摂るということもできない」
 という現象が起こるらしい。
 長政は、そんなことはないと言っているが、時々、
「俺は鬱病なんだよな」
 と自分で言っている時があった。
「病院には?」
 と聞くと、
「親に言えるわけもないし、行ってないよ」
 とその時、初めて、親のことを聞いたかのような気がしたのだった。
 そして、これだけいうと、すぐに黙り込んでしまったのである。
「これが鬱病というものか?」
 と感じたので、正孝は、鬱病のことについて調べてみたりした。
 ただの、
「鬱病」
 というのもあるらしいが、
「躁状態」
 というものと、交互に繰り返しているという、
「双極性障害」
 という病気もあるという。
 病院で、
「誤診」
 というものがあるとすれば、この
「双極性障害」
 という病気を、ただの
「鬱病」
作品名:表裏と三すくみ 作家名:森本晃次