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二つの世界と同じ顔

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「鳥と獣が戦争をしていたのだが、そこに通りかかったコウモリは、巻き込まれるのが嫌で、鳥に向かっては、羽根が生えているから、自分は鳥だといい、獣に向かって、自分には、体毛が生えているから、獣だといって、逃げ回っていた」
 という逸話である。
 結果としては、戦が終わったことで、コウモリが話題になり、
「卑怯なやつだ」
 ということで、
「けっして、人がいるところには出てこれなくなり、湿気の多い、暗い洞窟のようなところでしか暮らせなくなってしまった」
 ということであった。
 この話は、
「コウモリが卑怯だ」
 ということなのか、
「コウモリは、頭がよく、その場での判断力に優れていた」
 ということも言えるだろう。
 時と場合によるのだろうが、
「本当に卑怯だから、悪い」
 ということなのかどうか、誰もいないところでも、たくましく生きることができているコウモリというのが、
「卑怯だから、孤立してしまった」
 ということに直結っしているようには、思えないのであった。
 コウモリの話ではないが、
「最高国家機密」
 というものは、どうしても、
「国民に隠したい」
 という発想から、
「政府であったり、軍による、不透明さ」
 というものが表に出ることで、特に戦時中などのよくあったと言われる、
「情報操作」
 というものが、問題になってくるということになるだろう。
 しかし、
「情報操作」
 と言われるものが、すべて悪いのだろうか?
 確かに、戦時中というと、
「挙国一致」
 で、戦争というものを遂行するということが、戦争を始めた以上、問題になるのだ。
 もちろん、誰もが、
「戦争というのは、よくないことだ」
 ということも分かっているし、
「相手が侵略してくるのだから、それを排除しようとして戦争を行う」
 ということも、確かに仕方がないことだ。
 だとすると、
「何が悪いのか?」
 ということを考えると、
「侵略してきた相手が悪い」
 ということになる。
 しかし、そんな単純な見方でいいのだろうか?
 戦争が、いいことではないということは、戦争を仕掛ける方にだって分かっているはずだ。
 だからこそ、戦争を始めえれば、
「いかに早く終わらせるか?」
 ということを模索するのが政府だった。
 もし、戦争というものを始めたきっかけが、
「戦争によって、特需を得ることができる連中が、暗躍した」
 ということであれば、逆に、
「戦争を長引かせよう」
 と考えるはずだ。
 これは、フィクションではなく、
「実際に、国内問題を解決するために、侵略を行う」
 ということが考えられることもある。
 他の世界のある国は、
「国家が変革している時、そのあおりで、それまでは特権階級だった人たちが、彼らの不満を外に逸らす」
 ということd、侵略戦争を起こそうとしたという事実もある。
 ただ、実際には、国力のなさから、
「まずは、国家の強化を行うことがたいということが問題だ」
 ということで、
「他国制服論」
 というものは、実行されなかったのだ。
 つまり、戦争というものは、いかに、
「国家の都合によって行われるか?」
 ということになるので、
「表に出ている単純なことだけが戦争ではない」
 ということになれば、
「正当な大義名分であっても、欺瞞に満ちていたり、理不尽な侵略にしか見えていないことも、侵略される方にはたまったものではないが。侵略する方だけが、一方的に悪いわけではない」
 ということだ。
「侵略される国にはそれなりの理由があるというもので、水面下では、侵略された国が、本当は、極悪国家ではないのか?」
 といえるのではないだろうか?
 戦争というものには、
「大義名分」
 というものがあり、そうでなければ、いくら強くても、そちらに義というものがないということで、もし勝ったとしても、その国家を世の中が、その勝利を承認してくれるかどうかということは分からない。
 というのは、
「基本、国家は、平和を望んでいるもので、理想は、平和な社会を作る」
 ということであろう。
 しかし、国内の平和が乱れてきたり、たとえば、
「国内で平和に暮らせる人が減ってきた」
 それこそ、
「異常気象によって、農作物が育たなかったいして、国家の食糧問題が深刻になってきた」
 ということで、他の国に、援助を頼んだりしたとして、その時は貸してくれたのだが、その借金が実は、法外なものであったり、本来であれば、
「急いで返す必要がないはずなのに、急に、急いで返せといってきたりして」
 その話を聞いてみると、
「借用書には、期限を書いている」
 ということで、実際に、小さな文字で書いてあったりという、
「国家間の協定」
 と言ったことに遵守するはずの国際法に、ギリギリ抵触しないような、まるで、
「詐欺同然」
 とも思えるようなやり方で、国家の行く末を他から迫られた時、
「こうなってしまっては、背に腹は代えられない」
 ということで、戦争を仕掛けることだってあるだろう。
 そういう意味では、
「相手を故意に追い詰める」
 というやり方は、平気にどこの世界でも、行われている。
 特に、
「経済制裁」
 などという、
「大義名分となりそうなことで相手を追い詰め。戦争に引きずり出す」
 というやり方は、日常茶飯事である。
「先に先制攻撃をさせて、本来であれば、その少し前に、宣戦布告をしようと思っていた国の通信妨害にて、わざと宣戦布告を遅らせて、先制攻撃をまんまと、騙し討ちということにして、自分たちがやりたい戦争に、引きずりこむ」
 というやり方である。
 特に議会が承認しないと戦争をできない国は、それくらいの策を弄するなど、普通にあることだろう。
 そうなってしまうと、
「大義名分など、あってないようなものではないか?」
 ということで、
 敗戦国の大義名分を、戦争の名称とした相手に、
「別の名前の戦争とする」
 ということを押し付けることで、
「自分たちには、大義名分があるんだ」
 ということにして、敗戦国の戦争責任者を裁くことができるということになるのであった。
 そんなことを考えていると、
「私たちの戦争というのは、何が正しいのか、分からない」
 ということになる。
 その理由は。それぞれの立場の人には、それなりの大義名分があり、立場にいない人すべてが、
「戦争の犠牲者となる」
 ということである。
 それを思うと、
「戦争というものは、政府や、軍というものにおける、大義名分の応酬ではないだろうか?」
 ということになるのだ。
「そもそも、戦争で善悪という感情のマヒした状況で、個人の責任を問うということ自体が間違っているのではないか?」
 といえるのではないだろうか?
 以前に見たドラマだったが、映画だったか、何やら大将であったり、君主の人は、
「命を絶えず狙われている」
 ということで、
「顔のよく似た人間を、配置しておく」
 という話を聞いたことがある。
 何やら、
「影武者」
 というらしいのだが、この国では、その言葉はあまり使われていないようだった。
 特にこの国では、
「君主が、誰かを身代わりにする」
 という発想はなかったのだという。
作品名:二つの世界と同じ顔 作家名:森本晃次