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二つの世界と同じ顔

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「個人の尊厳をどこまで尊重できるか?」
 ということを重視して考えられていた。
 そうなると、どうしても、
「犯罪者というものをいかに扱うか?」
 ということが問題になってくる。
 そこで、論争になったのが、
「死刑廃止論」
 というものであった。
「実際に、死刑に値する人間を、生かしておいてもいいものなのか?」
 ということであったが、逆に、
「そういう人間を簡単に死刑にせず、終身刑ということで、死に値する。あるいは、それ以上の苦しみを与える方がいいのではないか?」
 というと、
「だが、恩赦などで出てくる人だっているではないか?」
 というと、
「じゃあ、終身刑の中でもランクをつけて、絶対に恩赦にはならず、死ぬまで牢屋の中というものを、死刑の代わりにすればいいではないか」
 という意見が出た。
 もちろん、終身刑の最高刑であっても、生きている間は、人権というのが保障されるので、病気になったり、余命が分かったりした場合など、
「特例のシャバへの出ることが許される」
 ということは、法律の但し書きに書けばいいということであった。
 それを考えると、
「死刑廃止論」
 というものを、国家が国会で論じているということが、世間に分かると、世間は世間で、いろいろなことを言いだした。
 特に、反対が多かったのは、
「被害者の家族たち」
 であった。
「極刑をなくすと、犯罪が助長され、法律というものが、犯罪の抑止に繋がるということがなくなってしまう」
 という思いだった。
 だが、同じ、被害者の家族の中には、
「いやいや、あいつらは、簡単に殺すのではなく、一生刑務所から出られないという、一切の権利を比定して、ただ、死ぬためだけに生きているという究極の苦しみがあるだけだということを自覚させることが、最高のバツではないのか?」
 ということを主張し、
「死刑廃止」
 および、
「終身刑の重たいものを、最高刑とする」
 ということに賛成だったのだ。
 どちらの意見も、国会議員もわかっていた。
 しかし、法律というのは、なかなかシビアなもので、どちらが正しいと国会議員個人で考えても、
「所属政党の考え方」
 というものがあるので、手放しに、自分の意見を言えない場合もある。
「この法律の成立いかんによっては、政権交代も夢ではない」
 などという状態の時、多数決の票が拮抗していう場合、一人の票が重たかったりした時に、
「政権交代ができなかった」
 あるいは、
「政権交代してしまった」
 ということで、その責任が、自分にあった場合は、せっかくの党を、
「除名処分」
 となり、次の選挙を無所属で争うことになるだろう。
「この人がいたから、自分たちの意見が通った」
 といって、一時期は喜んでくれるだろうが、だからといって、選挙の時、彼らが、自分を助けてくれるということはないだろう。
「のど元過ぎれば、暑さを忘れる」
 というものだ。
 この国では、結構早く、
「死刑廃止」
 という法案が成立した。
 やはり、
「死刑に変わる、終身刑に対しての法律」
 という代替案が国民の心を捉えたのだろう。
 もちろん、賛否両論はあったが、それよりも問題となったのが、
「その時点における、死刑囚の処分」
 であった。
 ちょうどその時、死刑が確定し、後は、執行を待っている人が、100人近くいた。
「その人たちをどうするか」
 という問題で、国民のほとんどは、
「早く死刑執行すればいい」
 と思っていたことだろう。
 でないと、新法案が施行されてしまうと、
「死刑執行できなくなるのではないか?」
 ということであった。
 これまで、もちろんのことであるが、
「死刑囚に対しては、恩赦というものはない」
 とされてきた。
「死刑判決は、刑が確定された瞬間から、執行されるまでの間、死刑囚には人権はない」
 ということであった。
 だから、
「死刑判決」
 というものに対しては、かなりの吟味があった。
 他の国で死刑判決が出るよりもかなり深いところまでの吟味が行われる。
「死刑案件で、死刑が確定するまでに、かかる年月は、他国に比べ、倍くらいではないだろうか?」
 ということであった。
 それでも、この国の死刑確定は、他の国に比べて、多くも少なくもない。政治家の中には、
「どうせ他の国と変わらないのであれば、他の国と同じような捜査にて、死刑を確定させればいいではないか」
 と、死刑判決までに確定の遅さを懸念している意見もあった。
 それこそ、
「死刑判決までに、時間を掛けるということは、金も掛けるということで、経費のムダではないか」
 とも言われてきた。
 というのは、
「死刑囚に時間と労力を掛けていては、他の犯罪裁判がおろそかになる」
 ということであり、その意見ももっともなことであった。
 それを考えると、
「死刑囚に対して。そこまで配慮する必要があるのか?」
 ということになり、そのあたりから、
「死刑廃止論」
 というものが出てきたのだ。
 この廃止論というのは、
「死刑ということに対しての、道徳的な発想」
 ということではなく、もっとシビアな、裁判における、
「効率の問題」
 であり、
 だが、この問題がひいては、
「裁判における優先順位」
 という問題にもかかわってくることで、けっして無視することはできないもんだいだった。
 実際に、裁判所が少しずつであるが、減ってきているということが問題になりかかっていたので、
「先手を打った」
 といってもいいだろう。

                 同じ顔

 今回の、
「死刑廃止論」
 が論じられたのは、実は別の側面からの圧力があったということを知っている人は少ないだろう。
 これこそ、実は、
「国家の最高機密」
 であり、他の最高機密が、この国で多いのは、
「本当の再興国家機密を隠すため」
 という意味もあったという。
「木を隠すには森の中」
 という言葉があるが、まさにその通りであり、実際に、この国には、
「最高国家機密」
 としなければいけないことが、山ほどあったのだ。
 昔の軍国主義の時代から、最高国家機密というのは、数多く存在していた。
 それは、あくまでも、
「最終的には、国民のためになる」
 ということで、それが途中でバレてしまうと、国家としての威信や、他国に漏れてはいけない戦略的なことがあったからだ。
 それは、軍国主義ということで、当たり前のことだったと言っても、それは当然のことであろう。
 だが、時代が変わり、占領下ということになると。今度は、
「占領軍」
 が行うことが、最高国家機密ということになるのだ。
 だが、これが却って功を奏することがある。
 というのは、
「最高国家機密というものを、占領軍が作ってくれるおかげで、我々政府や、その一部での最高国家機密をまるで、占領軍によるものとすることもでき、逆に国民には、占領軍に対してのものとして、ごまかすことができる」
 という発想で、それこそ、イソップ寓話の中にある、
「卑怯なコウモリ」
 の話のようではないだろうか?
 この、
「卑怯なコウモリ」
 という話は、
作品名:二つの世界と同じ顔 作家名:森本晃次