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二つの世界と同じ顔

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 ということで、船に乗れなかった人を見捨てたとしても、やむを得ないということで、この犯行は無罪ということになるのだ。
 刑法においては、この二つが立証されれば、たとえ、相手が死んでしまったとしても、被告には殺意がないということであれば、
「被告に責任を負わせるわけにはいかない」
 ということで、
「無罪」
 となるのが、
「違法性阻却の事由」
 ということになるのだ。
 この手の法律は、どこの国家にもあるというもので、国家というものが、いかに整備するかということであった。
 ただ、この国の法律が実際に作られたのは、かなり前であったが、それまでは、国家体制が違っていたので、同じ法律でも解釈や捉え方が、かなり違っていた。
 というのは、世界が、帝国主義や、専制君主国が多かったりして、発展途上や後進国は、それらの国の
「植民地」
 と化しているのだった。
 実際に、植民地となった国では、宗主国と言われる国に迫害されていた。
 それを解放しようと、立ち上がった国があったが、その国も、結局は、
「宗主国が変わった」
 というだけえ、せっかくのスローガンが、自分たちが植民地を持ちたいということに対しての、
「言い訳」
 として、大義名分が使われていたかのように感じられたことで、世界の列強を相手に戦争を起こしたが、結果、散々な目に遭い、結果、敗戦となった。
 しかし、その後、それら後進国は、
「戦争で荒れた母国が復活してきたことで、再度その存在感を表してきた宗主国に対して、敢然と、独立を目指して、ゲリラ戦などを挑み、見事に独立を達成することができたのだった」
 ということである。
 その独立ができたというのも、元々、
「解放する」
 といって、一時期、植民地化した国が、統治するために送り込んできた軍隊が、母国が敗戦したことで、武装解除したために、残していった武器が、モノを言ったのだ。
 ただ、それだけではなかった、
 解放軍ということで送り込んできた連中は、確かにこの国を、母国と同じようにしようと企んでいて、一種の属国であったのだが、そのおかげで、道であったり、鉄道などと言った、インフラの整備や、自分たちだけでは、決して知ることのできなかった。資源のありかや、その豊富さ。さらには、その量の豊富さを教えてくれた」
 ということだったのだ。
 元々、解放軍の母国は、
「この国に眠っている、天然資源がほしかった」
 というのが、その大義名分に隠された目的だったのだろう。
「遅れてきた、第三勢力」
 ということで、
「列強に追いつけ追い越せとばかりに、遅れて進出したことで、最初に進出していた列強と呼ばれるところから、煙たがられるのは当たり前というものだ」
 というのも、
「何をいまさら、出てきたところで、出る杭は至れるというものだ」
 と、列強は思っていたことだろう。
 それでも、元々、天然資源が足りない母国の領土では、どんなに頑張っても列強にはおいつくことさえできないのだ。
 遅れて発展してくる国というのは、どうしても、
「焦りというものがあるもので、それが裏目に出る」
 ということがえてしてあるものだ。
 しかし、列強が今まで、
「どのように進出してきて、その間に巻き起こった問題が、どのようなもので、それをどうやって解決して切ったのか?」
 ということは、
「先人が示してくれた、「生きた教訓」
 となっているはずで、当然それらの勉強はしたことだろう。
「これから発展を目指す」
 という国は、それらを謙虚に考え、それが自分たちの発展となることを分かり切っているはずである。
 今の政府のように、目の前のことや、自分たちだけの利益しか考えないような連中と違い、
「愛国心」
 というものを中心に、国体維持であったり、国家運営と、真摯に向き合っていたということであろう。
 そんな国家というものを真剣に考えた政治家であったり、軍部がいた国だったところが、敗戦ということで、まわりの国によって、強引に武装解除され、
「二度と軍国主義に立ち返らないような憲法」
 というものを制定されたのだ。
 ただ、今の国民は、そんな時代背景を知らずに育ってきていた。
 しかも、学校教育から、徹底的に、
「戦争は悪いことであり、軍隊を持たない国」
 ということで教え込まれてきて、実際に、戦争に巻き込まれることはなかったのだから、その状況は、当然のごとく、
「平和ボケ」
 であり、精神的には、
「お花畑状態」
 といってもいいだろう。
 そんな国家において、
「戦争をする」
 ということが、いかに愚かなことなのかということを、どうやって教えればいいのか?
 確かに、子供の頃から教え込んでいけば、
「戦争はいけないことだ」
 と、頭の中には叩き込まれるのだろうが、
「どうしていけないのか?」
 ということが分かっていないのではないだろうか?
 そもそも、
「それを教える先生に分かっているというのだろうか?」
 確かに、先生くらいの年齢であれば、子供の頃に戦争を味わったはずであった。
 今でこそ、
「驚異のスピードでの復興」
 というものを成し遂げたこの国においては、元々の国民性が、
「勤勉で真面目」
 ということで、
「吸収する」
 ということには長けていた。
 ただ、元々は開発力というものは、世界でも軍を抜いていた。
 特に、戦争中などにおいての兵器開発力では、あまり目立っていないというだけで、かつては、母国を、
「連戦連勝」
 に導き、さらには、
「不敗神話」
 を気づいたことで、世界から、恐れられた時代があったくらいである。
 だが、そのせいで、列強から疎まれたのだ。強すぎるがゆえに、その制御が利かなくなっていることで、
「目の上のタンコブ」
 だったのだ。
 だから、
「出る杭は打たれる」
 ということであり、彼らも、列強とは一線を画したところでの大陸進出ということをもくろんでいたのだ。
 そうなると、国家における進出計画は、
「そのうちに、列強との衝突は免れない」
 ということであっただろう。
 そもそも、大陸などへの進出は、いずれ訪れる、世界の大国との対立に向けた、
「自給自足」
 という国家体制の確立のためであったわけなので、母国としても、
「一度走り出してしまえば、逃げることのできないところまでやってきた」
 ということになるのだった。
 それが、
「世界における我が国の立ち位置なのだ」
 ということであった。
 この地球という星には、
「パラレルワールド」
 という考えが昔からあり、
「いくつもの、時系列に閉口した世界が、複数存在する」
 と言われているらしい、
 自分たちが今住んでいる世界は、その中でも、かなり発達した世界であり、
「開発は不可能ではないか?」
 と言われていたこと以外は、かなりのスピードで、開発させられていた。
 というのは、それだけ、この世界でのこの国の人たちは、
「無駄なことをしないで、最先端技術を、最速で作ることができる」
 ということに長けた、
「人種」
 だったのだ。
 複数存在すると言われる、この世界においては、基本、
「人間が世界を支配している」
 というもので、我々の技術では、
作品名:二つの世界と同じ顔 作家名:森本晃次