二つの世界と同じ顔
と言っていた人がいたが、その言葉の本当の意味が正直分かっていない。
なぜなら、歴史の勉強というものを、一生懸命にしてこなかったからだ。
「少しでも味目に取り組もう」
とさえ思っていれば、歴史というものが、いかに自分を楽しませてくれるかということが分かるというものだ。
「学校では教えない歴史」
という本を見たことがあったが、
「まさしく、その通りなんだろうな」
ということであった。
そんな中で、大学において、黒岩博士が研究している、
「皆同じ顔にすれば」
という研究であるが、その研究において、その根拠となる考え方が、
「バーナム効果」
というものであった。
この考え方は実に面白いもので、別の世界でも、似たようなものはあった。
しかも、同じ名前だというからすごいではないか。
「あちらの世界にも、同じ名前の人がいるということなのだろう」
と思っていた。
ただ、面白いのは、この、
「バーナム」
というのは、この世界では、
「それを発見した心理学者の名前」
という、普通のつけ方をしているのに対し、別の世界えは、
「その名前の下になった、
「興行師」
の名前だというのが興味深いところえあった。
同じ発想の研究が、別の世界でも行われていて、同じ名前であるにも関わらず、その名前の主の立場が変わっているというのは、実に面白いことだ。
しかも、そのことは、
「栗輪博士にはわかっていた」
ということであった。
黒岩博士は、この世界で、
「パラレルワールド」
というものが存在しているということが、証明される前に、分かっていたことだった。そのことを研究している学者とは知り合いだったこともあり、学生時代から、
「パラレルワールド」
についての話は、結構していたのであった。
だから、
「いずれ、パラレルワールドに対して証明される」
ということもわかっていたし、それを助言したのが自分であることもわかっていた。
しかし、だからといって、
「共同研究」
ということにするつもりはなく、
「この研究は、彼に任せているから」
といって、手柄のおこぼれを貰う気は、サラサラなかったのだ。
しかし、その考えが、
「自分が研究している心理学的な発想に役立つことになる」
と信じていて。
「パラレルワールド」
の存在というよりも、
「向こうの世界で考えられていることを、自分の中で、いかに癇癪するか?」
ということになることを気にしていたのだ。
そして、
「パラレルワールド」
というものの定義が発見され、その存在が学会をはじめ、この世界の全員に、認知されたことで、博士自身も、
「私の考えは間違っていなかった」
ということが証明されたのだった。
黒岩博士n、助手が多いのも、最初は、大学のゼミ生でしかなかったのだが、皆、博士陶酔しているというのか、その考え方に魅了され、
「博士の右腕になりたい」
と思って、慕ってきているということえあった。
黒岩博士は、そんな中で、前述の、
「日本」
という国を含む世界に注目していた。
そして、その日本という国が、自分の研究に、大いに役立つということが分かってエイルのであった。
その日本という国を考えることが、
「私の研究を正しくするものだ」
といえるのだった。
ただ、世界において、この、
「日本」
という国は、中心にいるわけではない。
どちらかというと、異端な国であり、ただ、世界の中でいえば、
「立地的に幸運な国」
といってもよく、
「自分たちから自覚して進むということがなければ、一度滅ぶということもなかっただろう」
と考えている、
そして。その日本という国は、
「我が国と似ているところがある」
と考えていた。
しかし、近いといっても、
「その距離は、全体から見て近いということであり、実際には、その距離は、気が遠くなりそうな距離であり、普通に考えたのであれば、その間を取り持つということなどありえない」
ということになるであろう。
それを、博士は、理解できているように思えた。
それはあくまでも、
「我々が、別の世界の人間である」
ということが大前提になっているからであり、その考えがなければ、
「日本という国に注目することもなかったに違いない」
博士が、
「パラレルワールドというものを知ったから、日本に注目した」
ということなのか、
「日本という国を知る前から、そういう国があることを、自分の中で想像していて、パラレルワールドが証明され、日本という国の輪郭が分かってきたから、実際に、日本の本質が分かってきた」
といってもいいだろう。
そういう意味で、
「民本という国が、我が国の盛衰を左右しているのかも知れない」
と考えていた。
日本という国をいかに考えるかというと、
「歴史という面で見れば、心理学に近づくことができる」
というものだった。
「歴史が答えを出してくれる」
ということを、日本という国では、時代の節々において言われているが、
それはあくまでも、自分の仲間であったり、自分の考えを皆に浸透させるためのもので、
「決して、歴史が答えなど出してくれるわけはない」
ということが分かっているのであった。
「口にしている人間が、一番よく分かっている」
というのは、日本という国では当たり前のことのようだが、こっちの世界では、それを信じている人はなかなかいない。
ということであった。
それを信じている人は、本当であれば、
「科学者としては、あるまじき考えだ」
と言われているのであって、そんなことを口にしたりすれば、警察がすぐに取り締まりに来る。
それだけ、ここの警察は、
「公共の福祉」
というものに特化していて、個人を尊重してしまうと、解決までに時間がかかるだけで、けっして、その証明を受けることはないということになる。
だから、
「裁判の簡易結審」
というのも、その一環であり、
その考えが、この国での、
「バーナム効果」
という考えにいたることになったのだ。
「日本」
という国のある世界では、
「バーナム効果」
というのは、あまりいい言葉ではないようだ。
占いであったりという、
「他力本願」
というものの中で、どちらかというと、宗教色に近いものが、この、
「バーナム効果」
だったのだ。
つまり、
「誰にでも当てはまるようなことを、さもその人だけにしか当て嵌まらないような言い方をすることで、心理的なミスリードを生み出すことになる」
というのが、
「バーナム効果」
という心理学的な発見であった。
だから、これは、
「あちらの世界」
では、
「バーナム効果」
というものは、
「霊感商法」
などという詐欺商法に使われることが多く、あちらの世界では、あまりいいイメージがなおのであった。
「人間というのは、信じる相手のいうことには、どんなことがあっても、逆らえない」
という考えがある。
それをいったん信じてしまうと、疑うことを知らない。
それだけ、考えかたが、まっすぐで一直線なのだろうが、それを考えると、
「信じるものは、救われる」