小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

二つの世界と同じ顔

INDEX|11ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

「東側で開催される時は、西側がボイコット」
 逆に、
「西側で開催される時は、東側がボイコット」
 なることがあった。
「これでなにが、スポーツの祭典だ」
 と思った人も多いことだろう。
 そういう意味で、
「スポーツが禍を防ぐ」
 などというのは、
「お花畑的な発想でしかない」
 といってもいいだろう。
 その証拠が、
「世界的なパンデミック」
 というものだったのだ。
 この時、ちょうど、日本という国の、
「東京」
 というところで、流行った時、ちょうど開催都市になっていたのだ、
 当時のソーリは、最初こそ、パンデミックを甘く見ていたのか、それとも、利益しか見ていなかったのか、
「開催」
 を言っていたが、急に、それを延期の方向に持って行き、延期にしたのだが、翌年までの間に、病気を理由に、自分の体制がヤバくなってきたので、病院に逃げ込んだことで、ソーリを退陣ということになった。
 それが、翌年になっても、パンデミックが収まるどころか、さらに、ひどい状況になってきた。
 相手は、
「菌」
 ではなく、
「ウイルス」
 なのだ。
 ウイルスというのは、変異を繰り返し、何とか生き残ろうとするので、何度も、波がやってくる。
 ちょうど、翌年のオリンピックを開催するかどうかという時期に来た時、パンデミックは、最悪の状態になっていたのだ。
 何と言っても、
「救急車を呼んでも、受け入れ病院がない」
 という、いわゆる、
「医療崩壊を起こし、たくさんの人が、病院に入れず、救急車の中で亡くなる」
 という悲惨な状態を引き起こしたのだった。
 それを考えると、
「オリンピックを再度延期するか、中止にするか?」
 という選択肢しかなかったはずだ。
 実際に、日本という国の世論調査では、
「80%以上の人が、延期、あるいは中止」
 といっていたのだった。
 しかし、実際には、次のソーリは、それを強硬したのだった。
「もう、費用から考えると、延期はできない。中止にするか、強硬開催するかしかない」
 ということであった。
 それを、ソーリは強硬開催に向けて舵を切ったのだ。
 しかも、開催までには、パンデミック以外のいろいろな問題が起こっていたにも、関わらずにであった。
 さらに、もっと悪いことに、今回のオリンピックを、何と、
「パンデミックからの復興がかなったオリンピック」
 もっといえば、
「パンデミックに打ち勝った」
 という言い方をスローガンに掲げてのオリンピックということだった。
「国民のほとんどは、反対しているのに」
 ということで、
「国民の大半を敵に回してまで行うというのは、世界オリンピック協会なる、組織に忖度してのことなのか、それとも、自分たちの私利私欲だけを考えてのことなのか」
 ということで、結局、
「カネ」
 というものが、
「国民の意見を打ち消した」
 ということでの強硬開催であった。
 実際には、入国後にパンデミックに罹っていると分かって、隔離された連中も結構あったりしたので、とりあえず最後まで強硬したことで、
「成功した」
 と政府は言っているようだが、
「その根拠は?」
「何をもって成功というのか?」
 ということであったのだが、そのあたりは一体どうなのだろうか?
「しょせん、オリンピックなんて」
 と言われるまでに、落ちたということであろうか?
 この時、なぜ、
「オリンピックを強行したのか?」
 ということであるが、何といっても、
「票を減らしてもいいくらいのもの」
 でなければいけないはずなのに、それが何かということになれば、それは理由が一つということはないだろう。
 と、いうのは、まず一つとして、
「世界オリンピック協会に対しての忖度」
 というものである。
 今回もし、オリンピックができなかったとすれば、次の誘致はということになると、
「数十年は先のことになるだろう」
 特に、もう、16年くらい先のオリンピック候補地というのは、締め切られている。
 実際に決定するのは、8年前くらいであるが、それまでに、国内での候補であったり、そこから地域の候補が絞られて、最終選考となる8年前くらいまでには、3つくらいの候補に絞られているということで、いくら、
「世界的なパンデミック」
 というものによるもので、仕方がないといっても、
「縁起が悪い」
 とでもいわれて、実際の候補になるには、さらに、そこから10年以上の年月を費やさないと無理であろう。
 さらに、もう一つは、もっと実質的に、
「国内のスポンサーというものを敵に回す」
 ということである。
 これは、国内だけに限ったことではないだろうが、まずは、問題なのは、国内のスポンサーであった。
 スポンサーというのは、
「金が動く」
 というだけが問題ではない。
 放映権の問題であったり、いざとなれば、いずれやってくる選挙の問題にもかかわってくることになる。
 そのことを、ソーリなら、当たり前のように分かっていなければいけない。
 何といっても、スポンサーというのは、
「表向きの宣伝」
 というだけではなく、
「影のスポンサー」
 ということで、裏で動く人たちがいても、
「オリンピックの開催」
 なのだ。
 彼らが、
「自分たちが儲かる」
 ということで、動いてくれるから、政治家が、無能でも、イベントを成功させることができるのだ。
 スポンサーが一度つけば、
「政権は安泰だ」
 といえるのだろうが、逆に、スポンサーが、一度離れてしまうと、政権の維持は、まず難しい。
 それほど、
「影のスポンサーの力は強い」
 ということだ。
 彼らからすれば、
「オリンピック開催」
 というのは、必須だった。
 延期でも仕方はないが、
「なくなってしまうとどうなるか?」
 ということになれば、
「政府と一緒に共倒れ」
 ということになる。
 つまり、彼らにとっても、政府にとっても、お互いに一蓮托生。二人三脚でうまくやっていかなければいけないし、何よりも、癒着が国民にバレることは許されなかった。それこそ、政府にとっての、
「最高国家機密」
 といってもいいことであろう。
 そんな最高国家機密の中には、
「元政治家の、起業」
 というものがある。
 政界を引退してから、起業した人、あるいは、
「天下り」
 という連中に対しての忖度をしておかないと、
「自分が政界を引退した時、どうなるか?」
 ということが問題となるのだ。
 なぜなら、
「円満に、政治家を引退できれば、スムーズな転身がうまくいくことになるのだが、失敗すると、ロクなことはない」
 といえるあろう。
 ちゃんと、ソーリの座を2期ほど守り抜くことができれば、もし、
「再登板」
 という依頼が来ても、
「私はキッパリと引退する」
 と言えば、
「あの人は、ちゃんとやり切って引退したんだ」
 といういいイメージを持ってくれる人が多いだろう。
 しかし、それをまるで、政権にしがみついているかのような素振りを見せると、
「あいつは、中途半端なことしかしてないので、政権に未練があるんだ」
 と言われかねない。
 これは、少しでも、
「いいソーリだった」
作品名:二つの世界と同じ顔 作家名:森本晃次