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二つの世界と同じ顔

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 という都市に立候補し、他を寄せ付けずに、決まったことがあった。
 だが、ふたを開けてみると、最初は、
「オリンピック特需」
 ということで、都市も国も大いに潤ったのあろうが、終わってしまい、その反動から経済が、究極に疲弊し、都市も国もやっていけなくなったことで、
「国家の破綻」
 と言われるまでにあったのだ。
 特にオリンピックというのは、
「スポーツという健全な世界」
 というものであることから、経済を支えているという、
「町の経営には、当然あるべきの、エンターテイメント性の強いもの」
 であったり、
「労働者の憩いとしてお。風億営業」
 であったりなどの商売は、
「オリンピック協会に対して、
「オリンピックの精神に反する」
 ということで、招致から外されるなどということになると、困ることになるわけで、
 完全に、
「臭い物には蓋」
 という形で、
「そんな産業は、規制を掛ける」
 ということで、営業停止であったり、廃業に追い込まれていき、そういう一帯は、少しでも店が減っていくと、街全体が、一気に疲弊するのだ。
 そういうところの経営者は、
「風俗のようなものは、少しでもヤバイと思えば、一気に撤退をしないと、沈む船に取り残されることになってしまう」
 ということで、まるで、
「クモの子を散らす」
 かのように、一気に撤退し、一気にその一帯は、
「まるで、空襲で焼け出されたかのように、人っ子一人いないゴーストタウンの様相を呈してくる」
 といってもいいだろう。
 だが、そんな状態を、都市の首脳も、国のトップもわかっていない。
 オリンピックという、一瞬だけのことのために、ここまで街の発展を支えてきた産業の息の根を止めるということは、
「オリンピックが終われば、後は、衰退していくだけ」
 という街を、今自分たちで作ろうとしていることを分かっているわけではないということなのであろう。
 そんなオリンピックにおいての、
「経済効果」
 というものを、開催都市はどのように考えているのだろうか?
 確かに、オリンピック前というと、
「インフラ整備」
 であったり、競
「技場の整備や新競技場の建設」
 などで、需要が増えて、雇用の安定はしてくる。
 だが、オリンピックが終わってしまえば、どうなるというのか?
 作り上げた競技場など、その後誰が使うというのか、
 維持費も結構なもので、正直、オリンピック用に作った競技場なので、かなりのものであるため、その使用料もかなりのものであろう。
 例えば、学生競技の会場として行うとしても、それだけの金を遣うというわけにもいかない。
 それこそ、県大会程度では、競技場は、昔からの寂れたところになるだろう。
 だからといって、国体や、総体などのように、各地区で持ち回りのようなものには、
「オリンピックを行ったところ」
 ということで、特権があるわけでもない。
 それこそ、野球でいえば、甲子園。ラグビーなら、花園というような、
「聖地」
 と呼ばれるようなところがあれば別だが、そうでもないのであれば、その競技場をずっと使うなどということはありえない。
 そうなると、競技場は、どんどん寂れていき、どこも使うところもなくなることで、観客が据わるスタンドなどには、ひびが入ったり、そこから雑草が生えてくるなどという悲惨な状態になっていくのだ。
 それは、オリンピックを終えた都市において、2,3年え訪れるという、実に悲惨な状況である。
 また、オリンピック前に、
「インフラ整備」
 あるいは、
「競技場建設」
 ということで、あつめてきた人足が、オリンピックが終われば、いらなくなってしまい、失業者があふれるということになる。
 失業問題も起きてくるし、オリンピックに関わった企業の業績も、どんどん下がってきて、
「リストラしないと、会社が成り立たない」
 ということになるのだ。
 オリンピックによる経済効果というものは、この状態になることを予想してのものだったのか、特に、
「国家の破綻」
 というところまであったくらいで、その理由は明らかに、オリンピック景気の反動によって、巻き起こった不景気による破綻だったのだ。
 これは、ある国において起こった、
「バブル」
 と呼ばれるものと似ている。
 といってもいいだろう。
 会社というものが、結局、先ゆかなくなると、都市の景気もどんどん、ひどくなってくる。
 しかも、そんな
「破綻した都市」
 あるいは、その都市を抱えている国までもが、破綻したという状況を見ておきながら、それでも、オリンピック誘致を考えるというのは、一体どういうことなのか?
 さぞや、
「国家や都市が破綻したとしても、そんなものは関係ない」
 ということで、
「一部の人間だけが、潤えばいい」
 というような、
「汚れた金」
 というものを生み出して、そのツケは、その都市の住民であったり、国民が背負わされるということになるのだろう。
 だが、オリンピック招致を考えるというところも増えてきているようで、そのうちに、帖地候補は、いなくなるのではないか?
 とも考えられるのではないだろうか?
 オリンピック招致においては、前述でも、少し触れたが、もう一つの問題としては、
「それまで、この都市を支えてきた産業であったり、経済効果をもたらしてきたものを、オリンピック開催というものが、抹殺してしまう」
 ということに誰が気づいているか?
 ということである。
 都市部というのは、しかも、
「オリンピック開催」
 というものを行うということには、それなりの目的であったり、スローガンというものが必要だといってもいいだろう。
 都市の規模にもよるのだが、ただ、オリンピック開催というには、それなりに、
「金がある都市」
 である必要があるだろう。
 たとえば、それなりの先進国の首都であったり、第二、せめて、第三くらいの都市、あるいは、合衆国や連邦国における、州都や、その中心都市などの大都市が、最低限となるのではないだろうか?
 それか、発展途上国であっても、
「資源が見つかった」
 あるいは、
「経済成長著しい国で、諸外国からの支援が集まっているところ」
 といった、
「「今注目の」
 そして、
「トレンド」
 となっている国や、都市がその対象になっていて、その都市において、その時々の、
「都合」
 によって、オリンピック招致の目的があるというものである。
 大都市などでは、急速に伸びてきたことで、
「その状況を世界に発信する」
 であったり、かつての東京オリンピックのように、
「戦後からの復興」
 などというのが、たぶん、ほとんどではないだろうか?
 ただ、そんなオリンッピク招致であっても、
「世界的に、共通の災害による禍」
 ということがあったことで、開催が延期されたり、中止になったりしたことがあった。
 かつての、
「世界大戦」
 の時などそうであろう。
 ただ、オリンピックの元々の目的は、
「戦争をしている国でも、オリンピックの期間は、休戦」
 という時代もあった。
 それなのに、戦後の世界情勢において、
「東西冷戦」
 というものがあった時、
作品名:二つの世界と同じ顔 作家名:森本晃次