「辻褄と、理屈の合致」
だから、内容や、事件の動機が同じであっても、別にかまわないといえるだろう。
その内容としては、
「ある星、(ある異次元宇宙)において、平均年齢が上がってきたことで、労働力が不足してきたので、宇宙人は、地球人の若い肉体に眼をつけて、それを攫ってくる」
というものであった。
なぜ、宇宙人の、
「平均年齢が上がったのか?」
ということに言及していなかったが、考えられることとしては、
「今の時代のような、少子高齢化?」
ということであるが、当時は逆で、
「労働人口が少ないことで、産めや育てよ」
という時代だった。
そもそもが、戦争をしていたことで、若い人材は、根こそぎ戦争に取られ、そのほとんどが戦士するということが起こったことで、残ったのは、
「老人や、女子供」
ということもあり、当時は、結婚もしないうちに、戦争に行くのだから、子供が増えるわけもない。
しかも、出生率も、死亡率も高かったのだから、
「平均年齢が高くなるのも、当たり前だ」
だから、特撮ドラマとしては、
「戦争で若い人が死んでいくと、その後の労働力にも影響する」
ということで、
「戦争はいけない」
という警鐘を鳴らしていたということなのかも知れない。
それを考えると、
「人間というものが、
「戦争によって、自分たちで、自分の首を絞めているようなものだ」
ということを言いたくて、
「若い肉体を求めて、地球人を攫って、母星に連れ去る」
というやり方をするというのが、事件としては、
「人間消失」
であり、さらには、その理由が、
「平均年齢が高くなったことで、労働力が低下してしまったため、他の星の肉体をもらい受ける」
という、一見、都合のいいことのように思える。
ただ、それだって、戦争によって、若い人の命を簡単に奪えるということに比べれば、「まだマシだ」
といえるのではないだろうか?
それを考えると、
「そもそも、戦争というものがなければ、こんな理不尽なことはないだろう」
ということなのだ。
ただ、宇宙人たちからすれば、
「背に腹は代えられない」
ということでの、致し方のない方法だったのだろうが、世間一般で考えると、
「勝手な理屈による、理不尽な誘拐」
ということにしかならないだろう。
それを思うと、
「多数決では、理不尽ということになってしまう」
ということになるのだろう。
そんな特撮ものでも、時代が数年違うだけで、発想も違ってくる。それだけ、時代が、急速に発展していた時代だったのかも知れないと思うと、実に面白いといえるのではないだろうか?
最初の、
「人間喪失では、液体のようなものに触れると、そこから、瞬時に、伝送されるという仕掛けになっている」
という、少し曖昧なものであり、少し時代が進むと、今度は、
「大型のカメラのようなもので、魂だけを抜く」
という発想になっていた。
これは、たぶん、江戸末期から日本に伝わったカメラというものが、
「魂を抜かれる」
ということで、写真に写りたくないという人が多かったことからの発想ではないだろうか?
今であれば、
「なんてバカバカしい」
と言われるであろうが、当時の人間とすれば、それくらいのことを怖がったとしても、当たり前のことであっただろう。
何しろ、昔の人は、
「電線を使って荷物が早く届く」
と思っていた人が多かったということで、
「電線に、荷物をぶら下げていた人が多かったというのだから、この発想も実に興味深いものだ」
といってもいいだろう。
だからこそ、当時のテレビドラマというのは、まだまだこれからという時代であり、しかも、電気製品の開発というのは、結構いろいろ開発されていた時代でもあった。
そういうことから、
「未来に夢を載せた発明」
ということからも、
「数年で、発想は同じでも、手段がまったく違う」
ということになるのだろう。
そんな、
「人間消失」
というのは、当時は社会問題でもあった。
もちろん、本当に、
「人が消えてなくなる」
というわけではない。
失踪であったり、自殺であったり、いろいろな悩みなどから、
「世の中が嫌になる」
ということも多いだろう。
特に、田舎から出てきて、
「出稼ぎ労働者」
というと、今までの田舎の暮らしとはまったく違う都会の生活で、
「都会に憧れを持って、都会で頑張る」
と思う人もいれば、
「都会に最初からいる人と、田舎から出てきた、まったく都会を知らない人間が、言い知れぬ、差別待遇を受けるということも結構あったに違いない。
都会の人は、田舎からの出稼ぎというものを、暖かく迎えてくれればいいが、結局は都会で育った仲間に比べれば、田舎にいた人は、差別的な目で見てしまうのも仕方のないことだろう。
同じことをするのでも、同じレベルであれば、都会の人を選ぶというのも、無理もないことだろう。
しかも、都会に憧れがあって、都会で暮らしていきたいと思っても、結局、その差別の壁というものに抗うことはできず、
「自分の孤独さ」
というものを思い知る形で、結局。どうすることもできず、人によっては、
「蒸発する」
あるいは、
「自殺に走る」
という人が増えたに違いないのだ。
地球の未来
特に時代が、
「高度成長時代」
と言われる時は、確かにいろいろなものが、出てきた。
いわゆる、
「三種の神器」
と言われるもの
「テレビ」
「冷蔵庫」
「洗濯機」
と言われる、電化製品であったが、確かに便利であったが、出始めの頃というと、とにかく高くて簡単には手が出ないものばかりだった。
それでも、それを揃えることがトレンドとなったりして、さらに、世の中が次第に豊かになってくると、それまでの、
「都会と田舎の立場が逆転する」
といことになってきたのかも知れない。
というのも、
「もはや戦後ではない」
と言われるまでになった日本であったが、その前はというと、
「決定的な物資の不足」
というものがあった。
というのも、戦争が終わってみれば、都会と言われるところは、ほとんどが焼け野原になってしまっていて、住宅も物資もまったくないというような状態だった。
戦争中から物資は不足していた。
食べ物もまともになく、戦争継続のための、武器弾薬も付属していることから、家庭の金属を、国に、供出しなければいけないというほどになり、しかも、
「お寺の鐘」
なども、徴用されることになるのだから、
「罰当たり」
を通り越しているといってもいいくらいであろう。
そんな時代であったが、戦争が終わってみると、田舎の農村は、空襲にも遭わず、何とか、
「自給自足」
ができるくらいになっていたので、都会から、田舎に、
「食料を分けてもらう」
ということで、毎日のように、出かけていく人が後を絶えない。
とにかく、当時は、
「ハイパーインフレ」
と呼ばれていて、お金の価値が、
「あってない」
というようなものだった。
つまりは、
「紙屑同様」
といってもいいくらいで、
「金では、食料を分けてもらえない」
ということだったのだ。
作品名:「辻褄と、理屈の合致」 作家名:森本晃次