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「辻褄と、理屈の合致」

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「日本を介さないで行われた」
 ということで、
「戦争における日本の大義名分は、間違いではなかったのではないか?」
 ということを考えると、
「本当は、大東亜戦争は間違っていなかったのではないか?」
 といえるのかも知れない。
 そういう意味で、日本が完全に独立してからこっちは、かの戦争のことを、
「大東亜戦争」
 というのが正しいのではないか?
 マスゴミなのか、政府なのか、何が悲しくて、占領軍に言われたままの、
「太平洋戦争」
 という言葉を使わなければいけないのか。
 要するに、
「日本人には、愛国心というものがない」
 ということであろう。
 そうでなければ、靖国問題が違った形で動いていっても、いいはずだと思えるのではないだろうか?
 たぶん、東南アジア系の国に対しての配慮なのかも知れない。
 何しろある国が、
「すでに対応済み」
 ということで、半世紀前以上に、終わっていることを再度蒸し返してくるような理不尽なことになっている状態を考えると、他のアジア系の国が、
「理不尽なことでもいえば、何とかなる」
 などということで、ゴネてこないとも限らない。
 それが、日本という国が、アジア諸国に対して、ナーバスになっているということであろう。
 そんな状態になったことで、日本という国が、軍国主義となることを必要以上に、他の国は気にしていることだろう。
 ただ、中国に関しては、違う感情を持っているかも知れない。
 日本という国が、
「アメリカの属国」
 という風に見えているとすれば、
「日本も攻撃対象」
 となるだろう。
「日本という国をいかに、守るか?」
 ということを考えた場合、
「アメリカの属国のままでいいのか?」
 ということになる。
 今の状況は、
「アメリカの属国だから、アメリカの言いなりに、兵器なども、どんどん買わなければいけなくなり、まわりの国からは、警戒される」
 ということになるだろう。
 その懸念というのは、相当前から言われているにも関わらず、腰抜けの日本政府は、いつになっても、その状態から、脱してはいない。
 そういう意味では、当時の特撮であったり、アニメでは、
「今でも、皮肉と映る部分がかなりある」
 ということで、
「いまだに人気がある」
 ということになるだろう。
 それを思えば、
「代理戦争」
 という考え方は、基本的には、
「ソ連の崩壊」
 でなくなったと言われているが、果たしてそうなのだろうか?
 というのも、確かにソ連という国が、なくなったとしても、アメリカや、欧州の国は、核配備を辞めたりもしていないし、その標的は、
「モスクワ」
 などに向いている。
 ということは、
「ソ連の後継国」
 としての、ロシアという国を、
「仮想敵国」
 ということで見ているに違いない。
「仮想敵国」
 というのは、あくまでも、
「戦争を対象とする国がある」
 というのが目的ということではない。
 何も戦争をする必要はなく、あくまでも、
「戦争になるとすれば」
 ということでの、訓練対象ということである。
 それが、
「平時における軍の士気にかかわることだ」
 ということであろう。
 実際に戦争になるかどうかは、軍だけの問題ではなく、
「外交努力などの、政治的な問題」
 というものが、モノをいうのだろう。
 かつての、大日本帝国というのは、他の国から見れば、特殊であり、軍の力が、かなり強かったということがうかがえる。
 だからこそ、日本の占領においての、最初の問題は、
「日本軍の武装解除」
 だったのだ。
 確かに、
「特攻隊」
 であったり、
「戦陣訓」
 などを一般市民に押し付ける国家というのは珍しいだろう、
 何しろ、
「虜囚の辱めを受けず」
 ということで、
「捕虜になるくらいであれば、自決をする」
 ということであり、さらに、
「自分一人で死ぬのではなく、一人でも多くの敵兵を巻き込んで死ぬ」
 ということが、指名とされたのだ。
 だから、敵兵は、
「相手が、降伏すると思って近づいてみると、相手は、手榴弾を爆発させて、自分たちも巻き込まれてしまう」
 ということが、当たり前の国というのが日本なのだ。
 だから、
「組織的な戦闘ができなくなった時点で、日本人は、軍だけではなく、一般市民も一緒になって、敵に立ち向かい、全員が討ち死に」
 というような、
「玉砕」
 という言葉で、美化される異常な方法が用いられたのだ。
 ただ、日本人は、それを当たり前のことのように考えていることだろう。
 というのは、
「敵の捕虜になれば、拷問を受けたり、虐殺されるものだ」
 と思い込まされているというところもあった。
 ただ、これも戦争という極限状態の中なので、戦争をしている部隊の中には、異常な精神状態になることも、十分に考えられるということで、
「虐殺されることを思えば、相手を巻き添えにして、見事に散る方がいい」
 ということで死を選ぶと考えるのも、十分に考えられることだ。
 特に、
「鬼畜米英」
 などと教え込まれたことで、
「捕虜となってしまうと、何をされるか分からない」
 と思うと、たまったものではない。
 それこそ、
「この世の地獄」
 と言ってもいいだろう。
 それを考えると、
「戦争というのは初めてしまうと、勝つまでやめることはできない」
 ということになる。

                 人間消失事件

 しかし、あくまでも、
「勝つ」
 ということが至上命令というわけではない。
「負けない」
 ということが大切なのであって、特に、
「大東亜戦争」
 を始める前に計画された。
「戦争のゆくえ」
 というシミュレーションでは、
「負けない戦争」
 ということだったのだ。
 つまりは、
「緒戦で、連戦連勝することで、相手が戦意を喪失し、戦争終結を模索するように持って行くことで、
「戦争をしたことで得られる最大の利益」
 というものを、
「どこで妥協するか?」
 ということであろう。
 それを考えると、
「日本国は、負けない戦争しかできないということになる」
 というのが、当初の青写真だったのだろう。
 しかし、それが狂ったのは、マスゴミと世論の反応だった。
「連戦連勝の日本が、どうして休戦協定に入らなければいけないのか?」
 ということである。
 そんなことをすると、
「日露戦争で、勝利した」
 というにも関わらず、
「賠償金がもらえない」
 という、日本としては、仕方のない状態を、世論は事情を分からないので、暴動を起こし、
「日比谷公会堂の焼き討ち」
 ということが発生し、
「大日本帝国初」
 ということになった、
「戒厳令」
 というものが発令されたりしたではないか。
 つまり、
「せっかく勝っているのに、なぜ、和平交渉をしないといけないのか?」
 ということであり、
「まさか、最初から、負けない戦争をしている」
 などと思っていないだろうから、国民からすれば、
「俺たちは勝つために戦争しているんだ」
 ということで、さらには、
「ここまで、死んでいった連中に、どのような顔向けができるか?」
 ということであった。
 軍というのは、