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「辻褄と、理屈の合致」

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 であり、
「ヒューマニズムなお話だ」
 といってもいいだろう。
 しかし、
「時間というものをテーマにしているのも間違いのないところであろう」
 と言われる。
 というのは、
「浦島太郎が、竜宮城にいたのは、2,3日だったはずだ」
 ということであったが、実際に、
「そろそろ地上に帰りたい」
 といって、戻ってみると、すでに、自分の知っている人はいなかった。
 何と言っても、その世界というのは、700年くらい先の世界だった。
 ということであるが、ここで、もう一つの疑問が。
「なぜ、700年先だということが分かったのだろうか?」
 ということである。
 一番考えられるのは、
「地上にいる人間に聴いたから」
 というのが、当然考えられることであろう。
 しかし、その描写は、物語の中で、どこからも出てこない。だから、伝えられている物語の中では、
「自分が知っている人も、自分を知っている人も誰もおらず、若干村の様子も違っていた」
 ということである。
 考えてみれば、
「700年も経っているのであれば、まったく違った世界であっても不思議はない」
 ということなので、敢えてぼかしたのか。
 それとも分かっていることを知らせたくないので、
「若干変わっている」
 という言い回しになったのかどうかということである。
 そもそも、これが最初に伝えられた時、
「よく、こんな今の時代にも通じるような話が書けたのだろうか」
 といえるのではないだろうか?
 それを考えると、
「浦島太郎の話というのは、それ自体が、未来に対しての、タイムカプセルのようなものではないか?」
 とも考えられる。
「未来において、この話に、やっと追いつけて、話を理解できる時代がやってくるのではないか?」
 と考えると、
 この話は、
「本当に、難しい話であり、その時代がやってきて、初めて、理解できる」
 ということになるのではないだろうか?
 そう考えた時、思い出した言葉があった。
 それは、映画のワンシーンだったのだが、
「必ず、歴史が答えを出してくれる」
 というものでえある。
「今、自分たちは、賊軍となって、歴史に悪者として、刻まれることになるかも知れないが、歴史の結果として、いずれ、正しかったということが証明される」
 ということになるのだろう。
 という話であった。
 それは、
「クーデターの話」
 であったが、それが、証明されるということが本当にあるのかどうか。
 確かに、時代のどこかで、
「彼らは正しかった」
 ということになるかも知れないが、さらに時代が進めば。
「やっぱり、やつらは、賊軍だった」
 と言われることになるかも知れない。
 そう、歴史というもの自体が、
「不老不死」
 というものであって、
 その、
「歴史解釈」
 というものが、本当に正しいのかどうか、分からない。
 それだけに、
「人類の歴史」
 というものでしか、見ることのできない未来において、
「人間個人が、不老不死というものを考えるというのは、おこがましいことだ」
 というのを、証明しているということであろう。
 それを考えると、
「浦島太郎の話以外の物語でも、その続編に、歴史自体を冒涜したり、歴史でしか証明できないものというものが含まれている」
 と考えると、
「明治政府というのは、今の政府に比べても、しっかりとモノを考えていた」
 ということであろう。
 何といっても、当時の明治政府には、
「外国との不平等条約の改定」
 というものが一番の問題だった。
 だから、
「外国にこびる形」
 というもので、
「自分たちは、自衛の力を持ち、自衛のためには、少々強引な、領土拡大などもやむなしだ」
 ということになっても仕方のない時代だった。
 それだけに、正負も軍も、国民も必死だった。
 今の時代のように、
「政府が私利私欲だけのために動いている」
 というわけではない。
 もっとも、昔の政治家の中には、
「私利私欲に塗れている」
 という人もいて。そういう人は、当時の暗殺者n殺されるということもあったのだった。
 だから、今の時代においては、
「暗殺などありえない」
 と言われているが、それも、日本という、
「平和ボケした、お花畑にいるような政府では、何かが起こっても、対処できない」
 ということを示すかのような、
「元首相暗殺事件」
 というものがあったのだ。
 もちろん、
「警備は万全だった」
 と言っているが、その上に、
「現在できうる最大の」
 ということになるのだろう。
 ということは裏を返せば。
「どんなに厳重に警備をしても、殺される時には殺される」
 ということになるのだった。

                 スリップとループ

 前述のタイムスリップという考え方に、もう一つの考え方がある。
 それが、
「タイムリープ」
 という考え方だ。
 これは、
「タイムスリップのように、時代を渡っていくものが、肉体と身体が、別の時代に飛んでいく」
 というものである。
 しかし、このタイムリープというのは、
「精神だけが、別の時代に飛んで行って、そして、そこで、存在している自分に乗り移る」
 という考え方である。
 だから、基本的には、
「過去に行く」
 という発想から出てくるものであり、もっといえば、未来での自分であれば、
「存在しているかおうか?」
 ということが分からないので、
「現実味に欠ける」
 ということになる。
 そもそも、この
「タイム何とかもの」
 というのは、すべてにおいて現実味には欠ける。何しろ、すべてが、想像でしかないからである。
 この、
「精神だけが過去にいく」
 という考え方を、
「タイムリープ」
 というもので、これは、
「そこにいる自分の身体を憑依する」
 とでもいえばいいのか、
「記憶を持ったまま、その時代に自分に入り込む」
 ということで、その時代の自分のことを分かっているわけではないのだ。
 これは、一つの考え方として、
「自分の願望が生かされた」
 ということになるのかも知れない。
 普通であれば、
「過去に戻れるとしたら、いくつの時からやり直したい?」
 という質問をされると、
「小学生の頃」
 などという漠然とした思いがある場合はあるだろうが、中には、
「小学校3年生の、あの時」
 などという、明確な部分もあったりするだろう。
 もちろん、
「何年の、何月何日などということを覚えているわけはないので、信憑性はないだろうが、場面としては、あるだろう」
 例えば、
「友達と一緒にいて、好きになった女の子から、質問されたことを、その時はわからずに、答えてあげられなかった」
 ということを、トラウマのように思っているとすれば、
「その時に戻って、やり直したい」
 と思うことだろう。
「小学生の自分なら分からないが、大人になった自分だったら」
 ということであるが、問題は、その時から、
「大人の自分が、子供としてやり直すということになる」
 ということである。
 つまりは、
「大人の自分が、今から急に子供に戻って、果たして。子供として生きていけえるだろうか?」
 ということである。