「辻褄と、理屈の合致」
と自分では思っているが、そのことを誰がいかにして証明できているのだろうか?
と考えるのだ。
実際に、証明できていたとして、それは、
「時間をずっと回り続けるから、限界というものがない」
という理屈になるのではないか?
と考えるのであった。
四次元というと、まず思いつくのが、
「タイムマシン」
というものではないだろうか?
タイムマシンというと、
「「まずは、時間を飛び越えて、その場所に現れる」
ということであり、基本的に、
「場所を移動することはできない」
と考える。
そうなると、何が問題になるかというと、
「今からいくその場所のその場所が、キチンと自分が存在できる場所なのか?」
ということである。
例えば、極端な話であるが、飛び出したその場所が、
「火葬場の、火葬される場所だったら?」
と考えれば、恐ろしくて、飛び越えることなどできないだろう。
または、未来であれば、どうなのか?
「この地球が存在しているか」
ということすら分からないだろう。
ということである。
それを考えると、
「タイムトラベルをするのであれば、最低は、自分が行き着く先がどうなっているかということを、キチンと把握できなければ、まずいけない」
ということである。
近未来の、例えば、数時間後などであれば、そこまではないかも知れないが、何が起こっているのか分からない。
下手をすれば、空き地だと思っていても、そこに、車が飛び込んでこないとも限らないのだ。恐ろしくなってしかるべきなのに、あくまでも、タイムマシンというものを簡単に皆考えすぎなのではないかと思うのだった。
だから、タイムパトロールであったり、時空警察の存在を、
「信憑性がある」
として考えるのだ。
もし、タイムマシンというものが開発され、それが、今のパソコンのように、一般に普及するとなると、
「免許制になるかも知れない」
と思う。
時間の規定に対して、ある程度分かっていないといけないというどころではなく、
「満点を取らないと、免許がもらえない」
というレベルになるだろうか。
ただ、それも少しおかしな気がする。
「その時の問題が、自分にとって、簡単、難しいということによって、不公平が出てくるのは否めない」
それを思うと、
「満点でなければいけない」
というのは、不公平であり、もしそれを公平にしようとすると、
「試験は一度だけではなく、数回行う」
という必要があるだろう。
そもそも、その日の体調のようなものというものが影響してくるということであるので、そのあたりも、いろいろ考慮する必要があるだろう。
ただ、タイムマシンというのは、何が難しいのかというと、今まで、
「三次元までを常識と考えていた人が、四次元になった時点で、まったく違うものが自分のテリトリーに入ってきた時、いかに理解できない部分を自分で納得させることができるのか?」
ということが問題なのであった。
だから、スペースアニメなどでは、ワープを行った場合、どこに出てくるかということをきちんと計算してワープを掛ける。
ワープというのは、一種の
「瞬間移動装置」
というもので、
「タイムマシン」
とは、あらゆることで、
「対称となる考え方を持っているものだ」
ということである。
不老不死というもの
時間を操るものとして、大きく分けると、最近では、3つがいわれているようだ、
まず、そのうちの一つが、一番一般的に言われるものとして、
「タイムスリップ」
というものがある、
これは、
「自分の身体も精神も、その場所から消えてしまい、目指した時間に現れる」
というものだ、
近未来に行く場合を想定すれば分かることであって、例えば、
「5分先のその場所にタイムスリップをする」
といいうことを考えると分かりやすいであろう。
タイムマシンの乗った本人は、一瞬にして、時間だけが一気に進んでしまったのだから、
「5分経った」
という意識はない。
目の前が、いきなり光景が変わったということしか感じないだろう。
これが夕方であれば、
「急に暗くなった」
朝であれば、
「急に明るくなった」
という感じで、朝なら、人の数が増えてきたということも、あるいは、
「さっきまでいた人がいなくなったり、いなかった人が急に見えたりと、明らかにまるで、映像の頭出し」
という感覚になるのだろう。
それを思えば、面白いものである、
では、まわりの人は、どうだろう?
いきなり目の前から、タイムマシンが消えてなくなり、5分経つと、その場所にいきなり現れるということだ。
そして、これは、まるで、
「慣性の法則」
とでもいうように、タイムマシンの中に、時計を入れておけば、その時計は、数秒しか進んでいないということになるわけだ。
そういう意味で、
「数分先の未来で試すと実に分かりやすい」
というものだ。
これは、アインシュタインが発見したとされる、
「相対性理論」
というものとも比較されることになる。
「光速を超えるスピードで移動すると、その間、中にいる人の時間は、非常に遅くなっている」
と言われる。
「それこそ、浦島太郎の原理ではないぁ」
と言われるが、それはあくまでも、
「竜宮城の時間が地上に比べて、進みが遅い」
ということになると、
「竜宮城というのは、宇宙にあるのか?」
という考えや、あるいは、
「水圧の違いが、地上との時間の進みを変えているのではないか?」
ということになるのだろうが、だとすると、
「アインシュタインが発見するよりも前に、都市伝説のように、相対性理論も言われていたのではないだろうか?」
ということになる。
つまりは、
「アインシュタインは、発見したというよりも、昔から言われていることの証明をしただけのことではないか?」
ということになり、
「いかにも、相対性理論の的を得ていた」
ということなのはないだろうか?
竜宮城が、
「宇宙空間」
であったか、それとも、
「海の底にいくのに、カメの背中に乗ったというが、そのカメの背中というものが、一種のタイムマシンのようなものだった」
ということなのか分からないが、
ひょっとすると、カメが知っていたのは、
「ワームホールではなかったのか?」
ということを考えれば、
「海の中で、呼吸もしないでいけた」
ということに、太郎が、何ら疑問を抱かなかったのかということも分かるというものではないか。
海というものを、そもそも神秘的なところと考えるのは、
「生物の祖先は、海にいた」
という考えからであろうか。
そもそも、この話の最初に出てくる動物が、
「永遠の命」
があるのではないかと思うほど、
「万年生きる」
と言われるカメだったというのも、何か因縁めいたものがあるということになるのだろう。
浦島太郎にとって、もう一つおかしいのは、
「助けたカメの背中にのって」
ということであるが、
「そもそも、そのカメを苛めていたのは、子供たちだ」
というではないか。
作品名:「辻褄と、理屈の合致」 作家名:森本晃次