小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

「辻褄と、理屈の合致」

INDEX|11ページ/17ページ|

次のページ前のページ
 

 という、いわゆる、
「精神的な発展途上国」
 であれば、かつての日本のように、
「他の国であったり、未来のことまで考える余裕などない」
 に違いないということである。
 だから、
「持続可能な、何とか」
 ということを世界的に言われているが、結局は、
「各国の温度差」
 ということで、
「何とか頑張っている国もあれば、足を引っ張っている国もある」
 というのだ。
 頑張っている国は思っていることだろう。
「これだけ頑張っているのに、計算通りにはいかない」
 ということで、下手をすると、
「ここまでやっても、目標にはほど遠い」
 と感じるようになると、
「何をやっても無駄なんだ」
 ということになり、そのうちに、一番最初に辞めることになるだろう。
 それまで一番頑張っていたところが、早々に手を引けば、他も、
「ああ、あそこがやらないのなら、俺たちが頑張ってもどうしようもない」
 ということで、
「最終的には、空中分解する」
 ということになるだろう。
 そうなってしまうと、
「我々にとって、何をどうすればいいのか?」
 というのは、もう、誰も考えなくなるのではないだろうか?
 考えてみれば、
「俺たちが今考えていることだって、過去の人間のツケを、今払わされているというわけで、これは本当に理不尽だ」
 ということになるのだった。
 過去というもの、そして、現在があって、未来に続いていく。
 現在だけが、どんどんずれていくので、
「過去が増えていき、未来はどんどん減っているのだ」
 というのが、普通の考えだろうが、果たしてそうだろうか?
「ひょっとすると、未来の限界までくると、そこが、もう一度、過去に戻るのかも知れない」
 とも思えた。
 それが、
「世界のリセット」
 ということで、」
「ノストラダムスの警鐘と言えるのではないか?」
 ということを考える。
「世界のリセット」
 という発想は、
「聖書」
 の中にあるではないか。
 聖書の中でも代表的な話として伝わる、
「ノアの箱舟」
 という話である。
「それは、聖書だけにいわれることではないか」
 という人もいるかも知れないが。実は、この、
「ノアの箱舟」
 と呼ばれるような話は、いろいろな神話や、他の宗教の話にも、似たようなものが出てくるのだ。
 それを考えると、
「宇宙人のようなものがいて、それが、世界各国えで、その話を伝えたことで、残っているということなのか?」
 それとも、古代人は、現代人に比べて、知能が発達していて、現代人に想像もつかないようなことを考えることができる中で、
「箱舟伝説」
 という話は、各人種ごとに考えられる話として残っていることなのだろうか?
 少なくとも、現代人に対して、
「これは警鐘だ」
 ということで印象深く感じさせる話なのだから、そこには、
「遺伝子なるものの存在が蠢いている」
 といっても過言ではないだろう。
 もし、宇宙人的なものがいて、彼らには。
「地球人のかつての興亡というものが見えていて、今の人類が、何度目の人類なのか?」
 ということが分かっているのかも知れない。
「地球人というのが、どのようなものであるか?」
 と考えてのことなのか。
 それとも、
「地球人も、自分たちと同じ大きな種族の中の一つ」
 という考え方なのかも知れない。
 人間は、地球上において、
「地球以外の星に、知的生命体がいたとすれば」
 などというSF的な発想を抱くのだろうが、人間というものは、そもそも、
「自分が一番偉い」
 と思っていることから、
「他の星に、地球人を上回るような知的生命体の存在を許せない」
 と思っていたとしても、無理もないことだろう。
 だから、昔のSF特撮番組なので、地球侵略に来る宇宙人の中には、
「自分たち以外の知的生命体の存在が許せない」
 ということで地球を侵略しようとする宇宙人もいた。
 彼らからすれば、
「ただ、存在が許せない」
 ということであり、他の宇宙人であれば、
「奴隷として利用しよう」
 と考えたり、
 あるいは、
「考え方が違えば、衝突することになるから、それを避けるために、相手を滅ぼす」
 ということである。
 これは、今までの人類の歴史に、たびたびあったことではないか。
「知的生命体の存在自体が許せない」
 というのは、明らかな、
「民族主義」
 であり、
「ドイツ民族だけがいればいいんだ」
 という、ホロコーストの、
「ナチスの再来」
 を思わせる。
「奴隷として利用する」
 というのは、一番多いパターンで、
「古代のほとんどの帝国」
 であったり、かつての独立宣言後のアメリカであったりと、
「人種差別から来る、奴隷制度」
 というものは、一番人間が安易に考えることだといっていいだろう
「考え方の違い」
 というものはどこにでもある。
 それをいかに扱うかということが問題になるわけだが、
「民主主義」
 の場合は、
「多数決」
 という方法で解決する。
 ただ、そうなると、少数派は切り捨てられるという懸念があるだろう。
「社会主義」
 ということになると、すべてを平等と考えるのだが、その前に、最初から敵対勢力は排除するという、
「粛清政策」
 から入って、そこからがスタートになるという、これも危険な考え方であった。
「時間を繰り返す」
 という発想は、今に始まったことではない。
「確かに、時間というものを、どの時点で考えるか?」
 と思えば、
「誰か一人の人に狙いを定めた」
 としても、
「その人のどの時代」
 ということを考えると、
「次元という発想に似ているのかも知れない」
 と感じる。
「一次元」
 というものを考えた時、それは、
「点と線」
 という世界になるだろう、
 ただ、この時、
「点も線も同じ次元だ」
 と考える理屈としては、
「二次元というものが、平面」
 という理屈であり。
「三次元というものが、立体だ」
 と考える。
 だから、基本的には三次元までなのだろうが、そこに考え方として、四次元というものがでてきたのだ。
 それが、
「時間軸」
 というものであり、
 時間軸がどこでどのように捻じ曲がるかということで、成立するのが、
「時空を飛び越える」
 という、
「タイムマシン」
 という発想であろう。
 よく言われるのが、
「メビウスの輪」
 のように、捻じれによって、
「交わることのない線が交わる」
 ということであれば、
「三次元の世界」
 という発想から考えて、
「四次元というものは、交わることのない平行線が交わるのと同じくらいの信憑性なのではないだろうか?」
 ということである。
 つまり、
「交わることのない平行線というものを証明できれば、タイムマシンの開発におけるヒントくらいは、分かるのではないか?」
 といえるのではないだろうか?
 そんなことを考えると、
「四次元というものがどういうものなのか?」
 と考えることは、
「時間というものに、限界があるのだろうか?」
 ということに関わってくるような気がする。
「基本的に、時間というものは、その限界はない」