小説の書かれる時(前編)
「徳川時代の終焉で訪れたのは、天皇中心の、中央集権国家」
というものだ。
中世において、何度となく、朝廷が画策して、
「町営中心の世の中にしよう」
ということを考えた人もいた。
鎌倉時代における、
「承久の変」
というものが、まずその一つだった。
前述のように、
「源氏が三代で終わった」
ということで、当時の、
「後鳥羽上皇」
が、北条氏追悼の宣旨を出すことで、鎌倉方と戦になった。
上皇方の目論見としては
「鎌倉方は、結束はない」
と思っていたかも知れない。
というのは、
「朝廷に弓を引くというのは、朝敵ということで、もし、敗れれば、末代までたたられる」
という考えがあったからだ。
それだけ、政治の実権は、幕府にあるとはいえ、まだまあ朝廷の権威は、衰えることはない。
「朝敵になるわけにはいかない」
ということで、
「兵もそんなに集まらない」
と踏んでいたのだろうが、いわゆる、
「北条政子」
の演説によって。幕府軍は結束した。
そもそも、平家を追悼し、鎌倉政権を作ったのは、
「武士の時代」
を作り、朝廷からこきつかわれることを嫌がったからだった。
そんな坂東武者の気持ちを一つにして、政権を築いたのが、頼朝だったので、
「その時代をまた昔のようにして、朝廷にこきつかわれたいのか?」
ということになるのだったが、政子の演説で、御家人たちは、そのことを思い出したのだった。
そのおかげで兵は結束し、圧倒的な強さで、都に攻め入り、幕府方が勝利を収めたのだった。
それから、鎌倉幕府が、
「元寇襲来」
ということで、結果、相手の侵略を退けられたが、借金をしてまで奉公した武士が報いられないことで、不満が爆発したところに乗じたのが、
「後醍醐天皇」
ということで、今度は倒幕に成功した。
しかし、今度は、朝廷中心の政治に戻ったことで、それこそ、平安時代のような、貴族中心の文化で、武士は、その下というような扱いだったのだ。
「自分たちが命を懸けて、鎌倉幕府を滅ぼしたのに」
と考えるのも当たり前だ。
承久の変の時に、感じたことを忘れてしまったのかということなのだろうが、その時は、実際に、生活ができなくなるほど武士は困窮していたので、
「鎌倉幕府の滅亡」
というものは、免れなかっただろう。
しかし、それだけではなく。
「鎌倉幕府を滅ぼした後」
ということであれば、
「歴史を元に戻す」
ということが、いかにおろかなころか
というのを、身に染みて分からせたのが、この、後醍醐天皇における。
「建武の新政」
というものだったのだ。
さすがに武士もこれには不満であり、
「一度は敗れた足利尊氏を慕って、武士が終結することで、後醍醐天皇は、吉野に逃れ、そこで、朝廷を立ち上げることになった。
そのため、京と吉野に、
「二つの朝廷」
というものができるという、歪な状態で、足利時代が始まったのだ。
この時も、天皇中心の中央集権国家を作ろうという野心は、
「武士が存在し、封建制度がなりたっている以上、無理だ」
ということがハッキリとした時代でもあった。
それが、いわゆる、
「幕末」
という時代に差し掛かると、少し、事情が変わってくる。
というのは、
その時代になると、問題は、
「それまで行っていた鎖国というものを、アメリアが、砲艦外交で、脅しをかけてくることで、やむなく開国したことから始まった」
といえるだろう。
最初こそ、
「外国を打ち払う」
という勢力があったのだが、そのうちに、
「四国艦隊下関砲撃事件」
であったり、
「薩英戦争」
などにおいて、
「海外の力を目の当たりにした」
ということで、薩摩や徴収は、
「攘夷は無理だ」
ということで、
「天皇中心の中央集権国家にして、幕府を倒す」
という考えになったのだ。
これが、
「尊王攘夷」
という考えから、
「尊王倒幕」
という考えに変わっていったのだ。
つまり、
「武士が中心」
という、
「古い中世における、封建制度」
というものを、徹底的に粉砕し、新しい世の中にするために、西洋に習うというやり方を模索したのだ。
だから、明治政府とすれば、
「幕府が政権を返上しようとも、幕府の存在を許すことはできない」
ということで、あくまでも、
「倒幕による、中央集権国家の建設」
を模索したのだ。
これは奇しくも、
「江戸時代に入った時の、徳川がやった、豊臣政権の遺構を徹底的に破壊したというあのやり方ではないか」
260年経ってから、自分たちのやったことをされてしまうということで、
「時代は巡ったとしても、基本は変わらない」
ということになるのかも知れない。
この時は、
「海外からの圧力」
というものと、
「世界的な流れ」
には逆らえなということが分かったからだろう。
なぜなら、
「もう、武士の時代は終わった」
ということである。
世界的にも中世、封建制度のような時代はとっくに終わりを告げていて、
「帝国主義」
が多く存在していた。
鎖国がなくなったことで、諸外国のことが分かってきて、明治維新を迎えるにあたって、日本国内で起こった、
「戊辰戦争」
と呼ばれるものは、一種の。
「英仏による。代理戦争だ」
といってもいいかも知れない。
旧幕府方には、フランスが、新政府軍にはイギリスが、それぞれついての戦争であった。
それでも、何とか新政府軍が勝ち、いよいよ、
「天皇中心の中央集権国家」
というものができあがった。
大きな目的の一つとして、
「武士をなくす」
つまり、
「士農工商」
と呼ばれる身分制度の撤廃が目的だったのだろうが、内乱が多かったこともあって、平等とはいいながらも、
「武士は、士族」
ということで、その存在を残し、徐々になくしていくという方法しかとることがでいなかったのだろう。
そんな時代において、
「時代のミステリー」
というのもあっただろう。
そもそも、これだけの内乱があり、しかも、国内で、英仏の代理戦争まであったくらいなので、
「よく植民地にならなかった」
ということであろう。
確かに、イギリスの新政府が勝ったのだから、この新政府を倒すか、傀儡政権のようにすることだってできただろう、
しかし、それができなかったのは、
「アメリカに配慮して」
ということだったのかも知れない。
そもそも、日本を開国させることに成功した、
「功労者」
というのは、アメリカではないか、
アメリカが、
「開国しないと砲撃する」
という姿勢を見せたことで、幕府が開国に踏み切ったではないか。
それを考えると、
「アメリカを無視して、イギリスだけで、植民地にしてしまうことはできない」
なんといっても、
「日米修好通商条約」
というものがあるからだ。
そういう意味でのミステリ^というのは、
「植民地にならなかったことの理屈は分かるが、そのおかげが、アメリカによる砲艦外交だったというのは、皮肉なことだ」
という、
「歴史の綾」
というものが、そこに潜んでいるということからであろう。
作品名:小説の書かれる時(前編) 作家名:森本晃次