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小説の書かれる時(前編)

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「天下泰平の時代」
 がやってきたということであった。
 その時代は、260年続き、反乱はあったが、大きな戦のない時代であった。日本の歴史においても、
 いや、
「世界の歴史においても、260年も、戦争のない時代というのは、実に稀である」
 ということから、そういう意味で、
「徳川時代というのは、世界的に特筆すべき時代だった」
 といってもいいだろう。
 それを考えると、それだけ、戦国時代が、歴史的に激しかったということになるのであろう。
 外交という意味では、平家が滅んだのは、痛かったのかも知れない。
 そういう意味で、考え方として、
「平家の世の中であれば、うまく中国との外交がうまく行っていて、元が攻めてくることもなかったかも知れない」
 といえるのではないだろうか?
 歴史というのは、
「答えがない」
 と言われるが、
「もしも」
 ということがあったとすれば、本当に、日本の歴史はまったく変わっていたかも知れないと思えるとすれば、
「平家の滅亡」
 ということは、歴史の転換点としては大きかったのかも知れない。

                 歴史の「ミステリー」

 他の時代としては、
「歴史のミステリー」
 として、両輪といってもいいことなのかも知れないが、まず一つは、
「本能寺の変」
 ではないだろうか、
 明智光秀が、織田信長を討ったという、これも、
「軍事クーデター」
 といってもいいだろう。
 こちらは、
「実は明智光秀単独犯」
 ではなく、その後ろに黒幕がいたのではないか?
 ということであった。
「朝廷、足利幕府説」
 など、それから、
「長曾我部元親」
 などの、周辺の人物説。
 さらには、
「秀吉、家康」
 という、当事者による員簿説など、いろいろある、
 それぞれに、説得力があり、どこまでが本当なのかというのが分からないといってもいいだろう。
 また、もう一つは、幕末になるのだが、
「坂本龍馬暗殺の真相」
 である。
 天下人でも、天下を狙っている人物ということではないが、その行動力が、混沌とした時代を暗躍する人たちにとっては、目障りな存在と言えるだろう。
 そのために、狙われた、
「坂本龍馬」
 ある意味、
「出る杭は打たれる」
 というところであろうか、これこそ、時代をさらに混沌とさせる大きな社会問題であった。
 他にも
「政変」
 などと言われるものがたくさんあったにも関わらず、
「坂本龍馬暗殺」
 というものが、この時代に関わらず、他の時代を含めても、
「最大の謎」
 と言われているのは不思議である、
 この近くには、
「桜田門外の変」
 で暗殺された、井伊直弼であったり、
「紀尾井坂の変」
 で殺された、大久保利通など、暗殺事件でも謎が残ったものがたくさんあったではないか。
 井伊直弼にしても、大久保利通にしても、時の政府の重鎮ではないか。それに比べて、坂本龍馬は、
「一介の、脱藩武士でしかない」
 ということなのであった。
 また、
「歴史が答えを出してくれる」
 というような言葉を聞いたことがあったが、これは、何か、
「映画だったか、ドラマのセリフ」
 だったかのように思う。
 その話というのは、これも、謎という意味では、いくつかの、
「考えさせられるところがある」
 という意味で、考えさせられるところであった。
 その事件というのは、
「226事件」
 であった。
 これは、表向きに言われていることとしては、
「天皇にこびっている、君側の奸。つまりは、特権階級をいいことに、甘い汁を吸っている連中を懲らしめる」
 ということでの、
「軍事クーデター」
 だということになっている。
 確かに、農村出身者の多い派閥である、
「皇道派」
 と呼ばれる、青年将校たちからすれば、
「国を憂うるのであるから、そんな連中を許してはおけない」
 ということで、
「自分たちは、君側の奸を討つために、決起した」
 ということなのである。
 しかし、実際には、彼らが狙ったのは、そのすべてが、対立する派閥である、
「統制派」
 の面々であったということと、
「やつらが、いずれ、派閥争いを優位にしようとして、クーデターを企てる」
 ということが、陸軍内部で囁かれていたことで、その目的が、
「派閥争いである」
 ということが分かったのだ。
 そして、それを天皇も分かっていて、しかも、自分が信頼する側近を狙われたのだから、天皇としても、怒り心頭だったわけである、
 天皇はすぐに、
「反乱分子」
 として、陸軍が、反乱分子に同情的なのを諫めながら、
「お前たちがやらなければ、私が鎮圧の指揮を執る」
 とまで言わせたことで、陸軍も、本腰になったのだ。
 反乱軍とみなされた彼らは、自分たちが、
「もうダメだ」
 と悟ると、兵を原隊に戻したのだ。
 その時に、
「歴史が答えを出してくれる」
 と言ったということになっているが、派閥争いが事実だとすれば、これは言い訳でしかない。
「表と裏」
 軍においての、この立場は、果たして、
「個人至上主義」
 といっていいのか、それとも、
「美という正当性を重視して、自分が犠牲になってもいい」
 という考えの、
「耽美主義」なのか?
 歴史の答えは、
「そんなに簡単に転がっているものなのだろうか?」
 と思えるのだった。
 実際に、歴史というものには、その時の政治体制によって、
「見せる部分」
 と、
「見せない部分」
 つまりは、覆い隠す部分というものがある。
 特に、歴史の大きな節目、例えば、古代から中世に向かってなどの時代では、そういうことは往々にしてあるだろう。
 たとえば、戦後時代から江戸時代に向かう場合など、結構。そういうことが横行したという。
 例えば、
「秀次事件」
 というのがあったが、これもそうであった。
 秀吉に子供ができないことで、自分の姉の子供である、甥っ子の秀次を養子に迎え、
「関白職を譲って、自分は太閤ということになり、権力を握り続ける」
 ということをもくろんでいたが、そんな時に限って、秀吉の側室である、
「淀殿」
 に子供ができた。
 前にも一度子供ができていたが、その時は、2歳で亡くなったが、今度の子はすくすくと育つようだ、
 そうなると、
「息子に天下の譲りたい」
 と思うのは、親心というものか、ここから先は、真意のほどは難しいが、
「秀次、御乱行」
 という話がウワサとして飛び込んでくる。
 つまり、
「秀吉に息子ができたことで、自分の立場が危なくなった。そのために、何もかも嫌になって、狼藉を働く」
 ということであったのだ。
 しかし、それは、あくまでもウワサであり、
「実しやかに囁かれ、今では、それが真相ではないか?」
 と言われているのが、
「秀次を追い落とすために、そのようなウワサを流した」
 ということである。
 結局、秀次は、捉えられ、高野山に幽閉され、最後には、
「切腹を明示る」
 という、それこそ、秀吉の方が、
「御乱行ではないか」
 ということであった。
 ただ、中には大名の中には、