小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

小説の書かれる時(前編)

INDEX|4ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

 がまったく変われば、その時代背景も変わってくるので、
「歴史が変わる」
 というのも当たり前のことである。
 だから、時代を、
「区分分け」
 することもできるのであり、例えば、
「古代、中世、近世」
 という分け方もできるだろう、
 日本においても、分けることができる。
 例えば、古代といえば、原始時代から、クニというものができて、そこで、小競り合いっが起こってくる中で、朝鮮半島の影響を受けてくることで、王の力を占めそうとするための、
「古墳」
 と呼ばれる、国王の陵墓というものの巨大なものが作られるようになる。
 まるで、聖書の中に出てきた、
「バベルの塔」
 の話のようではないか。
「地域がどこであっても、人間の考えることは同じだ」
 ということなのか、それとも、
「バベルの塔」
 の話において、最後に描かれた内容として、
「神様が人間が自分たちを冒涜したことに起こって、人類の言葉が通じないようにして、そのため、人類が世界各国に散っていった」
 というのがあったが、その人たちの一部が、朝鮮から日本に渡ってきたことで、
「巨大古墳を築く」
 という状態になっていったとは、考えられないだろうか。
 信憑性としては、十分にあるのではないかと思われるのだが、果たしてどうであろうか?
 要するに、
「自分の権力を示すことで、国家の統一を図る」
 ということを中心にしているといってもいいだろう。
 そういう意味で、
「バベルの塔」
 の話のラストは興味深い。
 全世界で、似たような巨大遺跡が作られているのを考えれば、
 例えば、
「エジプトのピラミッド」
 などの存在を知っていて、それをうまく神話化することで、聖書を作ったと考えれば、
「ピラミッドも、元々は、バビロニアから広がった」
 ということがいえるのではないか。
 そして、それ以後の日本などの未来において、同じようなものが作られたのは、ただの偶然なのか、それとも、
「バベルの塔」
 の記憶から、巨大なものを作ろうということなのかということである。
 そうなると、今度は、
「それら巨大遺跡は、少なくとも、神に近づこうなどという、大それたことではなく、神に敬意を表するため」
 という考え方であるとすれば、
「バベルの塔」
 と、
「巨大遺跡」
 との間で、繋がりがあると考えられるだろう。
 だから、決して、
「バベルの塔」
 以降には、
「天にも届く」
 というような、巨大な遺跡は存在しない。
 だが、今の時代においては、
「摩天楼」
 などという高層ビル群が、聳えているが、それはあくまでも、
「神に近づく」
 あるいは、
「王の権威」
 を示そうとするものではないといえるだろう。
 ただ、
「自国の権威を世界に示そう」
 という意識はあるようだが、それが、果たして神の怒りに触れないとも限らない。
 そう考えると、摩天楼を神が許すのであれば、
「バベルの塔」
 の話は、あくまでも、
「伝説である」
 ということになり、
「神様の存在」
 という信憑性はないことになる。
 ただ、高層ビルを壊す事件が過去にあったが、あれも、宗教が絡んでいることだったので、ひょっとすると、
「バベルの塔」
 の再来ということを言いだすとすれば、それが、信憑性のあることか、ただの言い訳なのかは、それこそ、人それぞれの考え方によることだろう。
 日本で、古代遺跡の時代を通りこすと、今度は、そのタイミングということか、
「仏教」
 というものが伝来してくる。
 そこで、元々あった、日本古来の宗教と衝突したということであったが、ここで一つ、疑問が起こってくる。
「巨大遺跡」
 を、
「バベルの塔」
 の話が入っている、聖書だと考えると、そのバックには、キリスト教があることになる、
 仏教と日本古来の宗教とが、対立したのであれば、
「キリスト教」
 とであれば、さらに大きな衝突になったのではないか?
 と考えられるのだ。
 確かに、当時の日本には、文字というものがなかったので、書物としては残っていない。外国の書物にもないということは、
「西洋のキリスト教のことなど、歴史書に書き残すなど、汚らわしい」
 という思いだったのか、それとも、
「本当に、キリスト教なるものは、その時には渡来していなかった」
 ということであろうか。
 まさか、
「バベルの塔」
 という話だけ伝わって、それが宗教色があるわけではない、ただの、物語としての、伝来だったのか?
 ということである。
 それを考えると、考え方は次第に膨らんでいき、可能性というものは、たくさんあるということになるのであろう。
 それが、
「未来」
 というものであり、
「未来には希望が待っている」
 という考えが、どれほどお花畑的な発想になるのかということは、分からないというものであろう。
 それを考えると、
「歴史というものが、節目節目にあって、それが、本当に、いい方に進んでいる」
 とは言えないのではないだろうか?
 特に近世などはそうであろうが、古代から中世もそうだといえる。
 歴史のターニングポイントの中には、その事件が起こったことで、
「歴史が、100年さかのぼった」
 というようなことを言われたりしている。
 それが、クーデターであったりすることが、
「歴史を勉強していると分かってくる」
 というものであった。
 いくつかあるのだが、まず、一つとして、
「乙巳の変」
 というものがそれではないだろうか?
 これは、いわゆる、
「大化の改新」
 というものに繋がるもので、近年まで言われていたこととして、
「三代に渡って、豪族の中で、頭一つ抜け出した蘇我氏が、天皇の権威を利用して、皇族を転覆させる」
 という計画を持っていることから、
「中大兄皇子、中臣鎌足に滅ぼされた」
 ということが正しいと言われるようになっていたのだ。
 これは、それこそ、
「天皇が神」
 であり、蘇我氏が、
「塔を作った、バビロニアの王」
 という立ち位置で考えれば、
「蘇我氏は、神をも恐れぬ悪である」
 ということになるだろう。
 その当時、
「巨大遺跡」
 から繋がる考えがあったとすれば、神をも恐れない豪族は、
「滅ぼされて当たり前だ」
 ということになるだろう。
 だから、長い間歴史の真実ということで、
「天皇家の転覆を狙った蘇我氏に対し、天誅を下した」
 ということになっている。
 しかし、言われていることとしては、
「クーデター」
 という言い方をしている。
 これは、
「すでにある権力者を、新興勢力が潰した」
 ということで、戦国時代の、
「配下のものが、上もものを討ち取って、成り上がる」
 という
「下克上」
 に近いものだといえるのではないだろうか?
 それを考えると、
「そもそも、勢力を持っていた蘇我氏に対して、新興勢力である、中大兄皇子と、中臣鎌足が謀反を起こした」
 ということになるだろう。
 そうなると、どうなるのか?
 というのは、
「中臣鎌足は確かに、新興勢力だったかも知れないが、中大兄皇子というのは、その名の通りの、皇子である」
 つまりは、
「中大兄皇子というのは、すでに皇族」
 ということになる、