小説の書かれる時(前編)
「そういえば、昔見た、中国映画で、紫禁城内部の甘やかされて育つ皇帝を描いた映画があったが、それを思い出す」
という人も多いだろう。
日本は、民主主義で、実際に、象徴ではあるが、天皇家でもない限り、そんな、
「帝王学を学ぶ」
ということはない。
ということになるのかも知れないが、実際には、企業の中には、世襲の会社もあり、いわゆる、
「同族会社」
というのは、そういう社長も中にはいたかも知れない。
それこそ、
「側近がしっかりしているから、会社が保たれた」
あるいは、
「同族会社の2代目が贅の限りを尽くしたということで、その代で、身代を崩す」
というようなことは、昔から起こってきたことだったのではないだろうか?
しかし、それも。ほとんどが、
「バブルがはじけた」
ということで、終わりを告げてきたのではないだろうか?
確かに、バブルがはじけたことで、それまで、
「神話」
とされてきた、
「絶対的なこと」
が、通用しなくなってきた。
特に。
「銀行などのような、金融機関が潰れることはない」
と言われてきたのに、バブルがはじけたことで、最初に経営破綻したのが、その銀行だったのだ。
基本的に、
「銀行が潰れない」
と言われた理由の一つとして、
「銀行が潰れると、そのパニックは、想像以上の混乱を招き、さらなりパニックを生むのではないか?」
ということで、政府が、そんな状態を何とかしようとして、銀行が潰れるのを阻止しようとするからだということであった。
しかし、実際には、政府が助け舟を出す前に、銀行はひとたまりもなく潰れていく。
それが、複数となり、ほとんどの銀行が先ゆかなくなってしまっては、政府としても、どうすることもできないだろう。
そうなると、
「経営方針の転換」
というものが問題になり、
実際に表むきの体制としては、
「吸収合併」
ということが余儀なくされる。
何とか、合併することによって、技巧の利用者であったり、預金者を守ることができたところも多かっただろうが、結果として、
「経営破綻」
に追い込まれたところも、少なくはなかった。
それだけ、
「バブルの崩壊」
というのは、ひどいものだったのだ。
それが、平成に入ってから、少ししてのことで、実際に、
「昭和と呼ばれた時代の末期には、その兆候はあった」
といってもいいだろう。
そんな時代において、今の世の中では、
「もう、30年も経っているのに、その傾向は尾を引いている」
といってもいいだろう。
バブルの頃は、
「世界ランキングで、日本企業はベストテンの上位を占めていた」
というのに、今では、
「ベスト50にも、入っているかどうか」
という体たらくである。
それを思うと、
「日本には、それだけの何か、特殊な体制がある」
ということであろう。
というのも、
「日本には、海外にはmない、昔からの体制がある」
といえる。
それが、
「年功序列」
であり、
「終身雇用」
という考え方である。
もちろん、終身雇用があるから、年功序列という考えが出てくるわけであって、つまりは、
「一つの企業に入ると、ずっとその会社で定年まで勤め上げる」
ということである。
その基本となるのが、
「年功序列」
というものであり、
「給料は毎年のように、昇給していき、そして、数年で、上の役職に就ける」
ということになる。
だから、キチンと勤め上げれば、
「係長が、課長に、そして部長に」
という形で、
「年とともに上がっていく」
というものだ。
だから、そのためには、
「企業が強くなければいけない」
ということである。
「バブル崩壊からこっち、終身雇用などは、なくなってきた」
と言われているが、いまだに、日本の基本は、
「年功序列である」
日本という国は、
「物価は上がるが、給料は上がらない」
と言われているが、それは、
「企業が内部留保を持っているからだ」
と言われている。
内部留保というのは、
「会社が、ため込んでいる、いざという時の貯えだ」
ということだ。
実は、これは、悪いことばかりだとはいえない、
確かに、給料が上がらないのに、物価が上がることで、実に困った状態になってはいるが、今回の、
「世界的なパンデミック」
というものが起こった時、もし内部留保がなければ、ほとんどの会社は、あっという間に潰れているだろう。
特に、政府が発した、
「緊急時代宣言」
というものが、大きかったといってもいい。
あの時は、
「病院、インフラ、生活に最低限必要な食糧、日用品などの、スーパーやコンビニなどのお店」
それ以外は、
「休業要請」
だったのだ。
日本は、他の国のように、
「有事というものがない」
ということで、戒厳令のような、
「国民の権利や自由を、政府の一存で制限ができる」
ということはない。
憲法に規定された。
「基本的人権の尊重」
であったり、
「法の下の平等」
というものがあるために、権利や自由を制限することができないのだった。
ただ、それでも、
「伝染病の恐ろしさ」
から、休業に応じた。
中には、その間に、経営ができなくなり、倒産していくところも多かっただろう。
「従業員も、路頭に迷う」
ということになり、
「地獄のような時代の始まりだ」
といってもよかったであろう。
それを思うと、
「内部留保があるおかげで、倒産せずに済み、社員が路頭に迷うこともないかった」
といってもいいだろう。
社員は、給料が下がったり、事情を知らない人は、不満だっただろうが、まだクビになるよりはマシということで、本当に、この時代は、店が閉まっていて、暗黒だっただけではなく、社会情勢も、暗黒のトンネルの中を、出口も分からずに、彷徨っているという、そんな時代だったといっても過言ではないだろう。
それが、
「世界的なパンデミック」
で、実際に、
「バタバタと人が死んでいく」
ということであったり、
「医療崩壊を起こす」
ということになったりしていたのだ。
歴史的な話
あれはいつ頃からだろうか? 猟奇殺人と耽美主義の見分けがつかなくなったのは。
猟奇殺人というと、小説の世界では、今の時代に起こる殺人というよりも、銭前後のあの時代を思い起こすのであった。
特に戦前というと、今とは文化だけではなく、政治体制、皆の考え方まで違っていた時代。
もちろん、
「あの時代に生きていたい」
という感覚はないのだが、タイムマシンというものが存在していて、
「タイムパラドックス」
というものを考えないでいいというのであれば、
「見てみたい」
と感じるのも、ウソではない。
ただ、社会体制が、一つのことに特化していて、
「国家主義」
と言えばいいのか、
「本当にあの時代が、今に繋がるのか?」
ということが気になってきた。
これは、わが国、日本というものに限ったことではない。アジア諸国においても、あるいは、ヨーロッパ諸国においても、その地域の、
「主義」
作品名:小説の書かれる時(前編) 作家名:森本晃次