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小説の書かれる時(前編)

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「実に緻密に計算された、頭脳明晰の人物ではないだろうか?」
 ということになるのだ。
 そんな耽美主義というのは、基本的には芸術の世界のお話とうことになる、
 ただ、耽美主義というと、なかなかあまりいい意味には使われない、なぜなら、あくまでも、
「美を追求する」
 ということに特化しているからであろう。
 ただ、
「美」
 というものが、どういうものであるかということを考えると、正直、耽美主義の根幹が分からなくなり。
 特に、
「美というものは、人によって感じ方が違うのだ
 例えば、過去の平安時代の美人というと、今の美人とは、比較にならないものではないだろうか?
 もちろん、絵巻の絵を見ているだけでの判断なので、実際に絵巻の人物がどういう人だったのかということは分からないが、少なくとも、
「絵巻として、美人だということで残っているのだから、実際の人を、さらに、当時の美人の概念に重ねた形で、綺麗に飾って描いたとも考えられる」
 だから、みんな同じような顔に見えるのであって、よく見れば、
「紫式部と、清少納言」
 とは、雰囲気は少し違っているように思うが顔は区別がつかないように思えるではないか。
 平安貴族としての男性もそうだ。
 皆同じ顔に見える。
 これが、その時代の一番美しい人物だということで、皆同じ顔に描くというのが、あの時代の一種のトレンドだったのかも知れない。
 そんなことを考えていると、逆に、
「あれが、平安時代の美だったのではないか?」 
 と言われているが、その信憑性は分かるというものだ。
 また、外人に対してもそうだ、
 人によっては、
「外国人の女性。特に金髪女性に憧れを持っている人もいるだろう」
 つまり、
「美を持って、尊ぶ」
 という印象なのだろうが、逆に、
「肌の色が違ったりして、気持ち悪い」
 と思う人もいるだろう。
 特に、快楽を素直に表現する時のあの声を、
「まるで獣のようだ」
 と感じてしまうと、完全に興ざめしてしまう人もいるだろう。
 かたや、あれを美だと感じる人もいれば、
「美とは、かけ離れたものだ」
 と感じる人もいる、
 美しさの基準に、人それぞれのブレがある以上、
「耽美主義」
 というものが、どれほど、曖昧なものだといえるのであろうか?
 とも考えられる。
 となると、
「耽美主義」
 というのは、
「美を追求する」
 と思っている人がいたとしても、それが同じ感覚なのかどうか、怪しいものだ。
 その人が、
「美しい」
 そして、
「これが芸術だ」
 と思ったとしても、そのことを分からずに、
「猟奇殺人だ」
 ということで片付けると思う人もいるだろう。
 ここに一人、スーパーの警備員として雇われた男性がいるのだが、彼は、このスーパーに勤め始めて、そろそろ一年になろうとしていた。
 このスーパーは、元々、
「24時間営業」
 をしていたが、ここ数年前からの、
「世界的なパンデミック」
 というものによって、経営が極端に悪化し、
「時短営業」
 を何度も余儀なくされたことで、
「24時間営業には耐えられない」
 ということになったのだ。
 だから、以前の、
「24時間営業」
 であれば、警備員はいらなかった。
 必ず誰かがいるからである。
 ただ、もっとも、その店員の中に、よからぬ考えを持った人がいれば、別なのだが、実際にはそんなことはなかったようだ。
 ただ、それも、
「パンデミック前」
 のことであり、
「世界的なパンデミック」
 が襲ってきてからというもの、
「何が起こっても、別に驚きもしない」
 という時代になってきたのだった。
 問題だったのは、パンデミックが流行り出した時のことだった。
 世界中での流行は、日本にも襲い掛かってきた。
「伝染病に国境はない」
 というのもその通りで、最初こそ、政府もかなり甘く見ていて、そもそも、
「パンデミックが流行した、最初の国の国家元首と、国賓として、招こうという計画を、パンデミックが世界的に大きな問題となり、国によっては、都市閉鎖という、いわゆる、ロックダウンを行っていた時に、まだ、国賓で招くなどという戯言を言っていたのだ」
 さらに、その時すでに、
「小中学校の全国的な、閉鎖」
 ということを政府独自で行って、調整もしていないので、大きなパニックを招いた後のことだったのにである。
 当時のソーリは、側近にすら相談もせず、もちろん、学校側とも、何も話どころか、調整もしないまま、
「一週間後から、小中学校をすべて、休校にする」
 などと言いだしたのだ。
 ただ、保育園や幼稚園だけは、なかなかすぐにはいかないので、その限りにあらずという、
「だったら、何のための、小中学校だけが休校なんだ?」
 という、
「いかにも中途半端で片手落ちの対策をしたのか?」
 ということになる。
 さすがに反発が強かったことで、政府もやっと、いろいろなところでの事の重大さに気付いたのか、
「国賓として招くことは辞める」
 と、やっと言いだして、こっちもやっとであるが、
「鎖国状態」
 というものを作り出したのだった。
 それによって、外国から、病気を持った人が入ってこないということになったのだ。
「それにしても、そんな簡単なことに、政府もやっと気づいたのか」
 ということを言われた。
 そもそも、政府は、どこまで、このパンデミックに危機感を感じていたのか分からない。
 何と言っても、日本は、ずっと戦争もなかった、
「平和ボケ」
 の国である。
 それを考えると、
「政府が一番、平和ボケだ」
 といってもいいだろう。
 だから、
「先に、学校芸さを行う」
 という、基本的な順序も分からないソーリが生まれているのだ。
 それも、実際にはしょうがないだろう。
 何といっても、政治家というものは、
「庶民がどのような暮らしをしているのか?」
 ということを分からない人種だということだからだ。
 このソーリではないが、昔ソーリをやっていた男が、定価で、数百円のカップラーメンの値段を、
「大体。5000円くらいか?」
 と、真顔でマスゴミに言ったという逸話が残っているくらいだからである。
 特に政治家というのは、今はそのほとんどが、
「世襲」
 というものである。
 世襲というのは、
「代々受け継がれていく」
 というもので、
「今の政治家の親は、そもそも政治家で、2世議員というのが、そのほとんどを占めている」
 と言われているではないか。
 特に、今の政治家は、選挙において、
「親の地盤をそのまま受け継ぐ」
 ということなので、自分から、票を集めるということはしない。
 そのくせ、
「親は政治家なんだ」
 ということで、子供の頃から、
「親の七光り」
 というもので育ったことで、
「好き放題にやってきて、自分が政治家になることは約束されている」
 と思っている。
 分からないことは、秘書や側近が教えてくれる。
 というどころか、何でもやってくれるというものだ。
 それこそ、
「中国における、紫禁城内での、皇太子のようだ」
 といってもいいだろう。