小説の書かれる時(前編)
それを思えば。国民感情も分からなくもないが、政府や軍がどのような状態なのかということを国民が知っていれば、こんなことにならなかったのだろう。
政府も軍としても、
「面目のようなものがあったのだろう」
それを思うと、仕方のない部分もあっただろうが、やはり問題としては、
「引き際が肝心」
と言われるということであろう。
これは、自費出版社側にも言えることで、
「出版社側は、自転車操業というのが分かっていて、会員を増やすということも分かっている」
しかし、実際に、ある程度までくれば、
「飽和状態」
ということになり、本を出したいという人が減ってくるということが分かっていたのかということであろう。
どんどん増やせば、それだけ、そのうちに限界に陥ることは誰が考えても分かることだろう。
そのタイミングを見計らって、そこまでくれば、今度は、本を出したいという人が、複数出すように進めていくのが、次の段階であろう。
しかし、それは困難を極める。
「一作でも、かなりの費用なのに、二つとなると、さらにである」
ということだ。
それよりも、本来であれば、
「一作品を出して、それが売れるということを確認すれば、二作目も視野に入れられるが、売れるわけのない無名の作家の本が売れていないのだから、次にお金を叩くということは、お金をどぶに捨てるようなものである」
といえるのではないだろうか?
それを考えると、今の会員に、
「次作」
というのは、難しいだろう。
そうなると、
「いよいよここが引き際か?」
ということになるだろう。
「しょせんは、ブームであって、そのうちにすたれてくる」
ということも分かっている。
そうなれば、被害がないうちに、引き下がればいいのだろうが、そうこうしているうちに、
「詐欺である」
ということが、本を出した人にバレるのである。
本を出した人たちにいい分は、
「金額が正当ではない」
ということではない。
彼らの言い分としては、
「本屋に一定期間置く」
ということのために、理不尽だと思っても金を出しているのだ。
それが守られていないということは、今度は、不当な利益までも、一度は目を瞑ったかも知れないが、そこにさかのぼって、訴えることになるだろう、
そうすると、一年の出版部数が日本一になるくらいの出版数なので、相当な数の会員がいるのだ。
その中の何人か? いや、何十人かが、うったえにくるだろう。
中には、
「集団訴訟」
ということになるかも知れない。
訴えられると、出版社は、四面楚歌であった。
うまく、訴えを退けることができたとしても、もう訴えられたということは、社会に知れ渡り、
「自費出版社系。つまりは、本を出しませんか? という話は、そのほとんどは詐欺である」
というウワサが流れると、誰が、
「本を出したい」
と思ったとして、自費出版社系にお願いするというのか?
何と言っても、会員がいないと、宣伝費と、人件費だけで、かなりの額になるので、小さな出版社なのだから、あっという間に、倒産ということになる。
つまり、
「詐欺をしなければ、あっという間に、倒産する」
ということが、証明されたということだ。
そんな、出版社に引っかかりかけて、何とか逃れることができたのが、昔の足柄霊光だった。
彼はその芸術性として、工芸作家に次の活路を見出した。
そもそも、
「何かを作るということが好きだった」
ということと、手先が器用だったということで、学生時代から、工芸が得意だったというのもある、
小説に一度は流れたが、
「モノづくりの楽しさ」
ということを思い出して、本来の工芸作家になれたのは、ある意味、
「タイミングがよかった:
というべきか、運がよかったのかも知れない。
彼が書く小説には、そんな工芸作家への思い入れのようなものがあり、ミステリーの中でも、
「耽美主義的な作品」
というものが多かったのだ。
「耽美主義」
という言葉は知っていたが、
「芸術家と耽美主義」
というのは、切っても切り離せない中にあると思った時、
「自分の作風は、この耽美主義なのかも知れないな」「
と感じたのだった。
探偵小説には、
「本格派探偵小説」
と、
「変格派探偵小説」
というものがある。
本格派」
というのは、
「たいていが出てきて、見事にトリックを解明したりして、爽快に事件を解決するような話」
をいうのだ。
「変格派」
と呼ばれるものには、これと言った定義があるわけではなく、
「探偵小説という括りの中で、本格派以外のもの」
という発想が、変格派ということになる。
その変格派というのは、いわゆる、
「猟奇犯罪」
であったり、
「都市伝説やオカルト色のあるもの」
であったり、あるいは、
「SMや、同性愛などと言った、変質者によって形成される話」
というものであったりという、一種の、
「アウトロー的」
な話が多いのではないだろうか?
その中に、もう一つあるとすれば、これは、他の変格派とかぶるところがあるのだが、それがいわゆる、
「探偵小説においての、耽美主義だ」
といっておいいのではないだろうか?
耽美主義というのは、前述のように、
「何においてよりも、美というものが優先される」
ということであり、
「それが、モラルであったり、道徳よりも優先される」
ということである。
だから、
「犯罪を芸術と考えれば、異常性癖であったり、変質者、オカルトのような都市伝説などというものも、ひっくるめて考えると、耽美主義の分類に入るのではないだろうか?」
ということであった。
逆にいえば、
「本格探偵小説といえるものの中にも、変格派といえるものがあるのではないか?」
ということでもあるのだった。
そんな中で、耽美主義的な話が前面に出ていたが、その犯罪トリックに、
「交換殺人」
というものを考えたことで、本人は、
「これは、
「本格派探偵小説だ」
と言い張っているのだった。
そもそも、交換殺人というものは、
「探偵小説などでは、書かれることはあるが、実際にはありえない犯罪ではないか?」
と言われている。
だから、なかなか探偵小説でも、サスペンスドラマでも、トリックにされることはあまりない。
それは
「交換殺人を可能ならしめた場合は、それこそ、完全犯罪になる」
ということになるだろうからであった。
これは、密室殺人にも言えることで、
「機械トリック」
というよりも、
「どうして密室にしなければいけないか?」
というリアルな問題の方が、ミステリーとしては面白い。
それを考えれば、交換殺人においても同じであり、そもそも、密室とは大きな違いが一つあるのだった。
それが何かというと、
「密室殺人の場合は、死体が発見されたその時に、密室であるということが分かったうえで、事件に望むことになる」
つまりは、
「密室殺人というトリックに、探偵が挑む」
という構図であった。
しかし、逆に、
「交換殺人」
というのは、
「これが交換殺人だと分かった時点で、もう謎解きは終わったようなものだ」
作品名:小説の書かれる時(前編) 作家名:森本晃次